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筆先に踊る白磁の死神  作者: 大須賀隼
死神の揺り籠
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再起を呪う一角魔獣

カイルたちの死から半年。アリオスは、自らを「欠落を埋めるための器」へと変えていた。  


二度と、あの魔法の壁に阻まれない。  


二度と、あの日聞き逃した死の足音を見落とさない。  


その一心で、彼はかつて夢を語り合った剣を、ただの機能へと研ぎ澄ませた。



森の奥深く、陽光さえ届かない場所で、アリオスは自らの腕を浅く切り裂いた。  


噴き出した鮮血を、市販の魔導香へと滴らせる。  



――ジュ、と。  



本来は微かな煙を上げるだけの香が、主の魔力を帯びた血を吸って、赤黒い爆発的な煙を噴き上げた。  


アリオスの意識が、その煙に乗って周囲数百メートルへと溶けていく。木の葉の揺らぎ、土の下を這う虫の鼓動、そして地中に隠された罠の微かな魔力反応までもが、視神経を焼くような鮮明さで脳に流れ込んできた。


血で香を活性化させる――。それは索敵の精度を極限まで高める代わりに、使用者の寿命を削り、感覚を過敏にしすぎる禁忌の術。だが、今の彼にとって、自らの命が削れる痛みなど、仲間の絶叫を聞く無力感に比べれば、甘美な救いですらあった。


「……次は、壊す」


アリオスは立ち上がり、巨大な岩壁に向かって剣を抜いた。  


筋力ではない。魔力を一点に、針の先ほどの密度まで凝縮し、物質の結合そのものを断ち切る一撃。  


轟音と共に、数メートル厚の岩壁が、まるで薄氷のように粉砕された。


半年後、アリオスは再びギルドの門をくぐった。  



彼はカウンターに立つリリアンに一瞥もくれず、そのまま併設された酒場へと足を向けた。今の彼にとってギルドの職員は、ただ依頼の仲介を行うだけの機能的な存在に過ぎない。その冷淡な横顔を、リリアンはカウンターの奥から、射抜くような視線で見つめていた。


酒場の騒音の中に、アリオスの姿を認めて色めき立つ一団があった。


「おいおい、見てみろ。とんでもねえ掘り出し物が戻ってきやがった」


声をかけてきたのは、場慣れした様子の女性冒険者三人組だった。  


中央でジョッキを傾ける大柄な女戦士が、品定めするようにアリオスの全身を眺め、下卑た笑いを浮かべる。


「ねえ、君。どうだい、私たちのパーティに入らないか? 見ての通りの女所帯だが、君ほどの男なら……、くく、全員を『満足』させられるだろうよ」


卑猥な暗喩を含んだ誘いに、周囲の男たちから下品な野次が飛ぶ。  


しかし、アリオスはその言葉を理解しているのかさえ怪しいほど、無感動な瞳で彼女を見返した。そこに羞恥も不快感も、そして期待もない。



「いいだろう」



アリオスは短く答え、席に腰を下ろした。  


その徹底した温度の低さに、女戦士は呆気に取られたように目を丸くし、次いで愉快そうに膝を叩いて笑った。


「はっ、そう冷たいのもあたしは好きだよ。いいぜ、期待通りの働きをしてもらうからね」


女戦士はジョッキを飲み干すと、カウンターの奥で沈黙を守っていたリリアンへ向かって、乱暴に手を振った。


「リリアン! こいつの復帰戦にふさわしい獲物をくれよ! 景気のいいやつをさ!」


呼びかけられたリリアンは、いつものように穏やかで、春の日差しのような微笑みを浮かべて顔を上げた。


「……はい。アリオス様の再起を飾るに相応しい依頼を、いくつか見繕っておきます。精査が必要ですので、明日までお時間をいただけますか?」


リリアンの提案に異論はなく、アリオスは明日酒場で落ち合うことを女戦士と約束し、宿へと戻った。


しかし、その夜の安らぎは、思わぬ「外敵」によって乱されることになる。  深夜、アリオスの部屋の鍵が外側から音もなく開けられた。  


現れたのは、酒場の女戦士だった。彼女は薄衣を纏い、欲望を隠そうともせずにアリオスのベッドへ這い寄る。だが、過敏なほどに研ぎ澄まされたアリオスの感覚は、彼女が指一本触れる前にそれを捉えた。


アリオスは瞬時に女戦士を組み伏せ、部屋から叩き出した。だが、廊下には女魔術師と女僧侶までもが控えていた。彼女たちはアリオスの凄絶な美しさに完全に絆され、一時の情欲を分かち合おうと、しつこくドアを叩き続けた。  


結局、アリオスが彼女たちの攻勢を完全に退ける頃には、東の空が白み始めていた。  


貞操こそ守り切ったものの、肉体と神経を削る修行を半年間続けてきたアリオスにとって、この致命的な寝不足は計算外の重荷となった。


翌日、ギルドのカウンターでリリアンは一枚の依頼書を差し出した。


「辺境の洞窟に住まう、四足の魔獣の調査です。気配を消すのが非常に上手い個体だそうですが、アリオス様の索敵能力があれば、必ず見つけられるはずです」


リリアンの穏やかな励ましを受け、一行は現地へと向かった。  


洞窟内は静まり返っていた。アリオスは神経を尖らせて索敵を行ったが、魔獣の気配は欠片も感じられない。


やがて夜が訪れ、一行は洞窟の入り口で野営を張ることになった。


「アリオス、あんたは索敵で疲れてるだろ。見張りはあたしたちがやるから、少し休みなよ」  


女戦士の言葉に、アリオスは抗えなかった。


「昨日のような真似をしたらどうなるかわかっているな」


アリオスは釘を刺す。


「わかったから、睨まないでおくれ。その視線だけで、濡れちまいそうだよ」


変わらず下品な会話を繰り返す女戦士を横目にしながらも、徹夜続きの疲労と、索敵による魔力の消耗には勝てず、吸い込まれるように、泥のような深い眠りへと落ちていった。



――それが、最後だった。



数時間後、アリオスが飛び起きたのは、微かな、だが決定的な「肉が裂ける音」を聞いたからだった。  


飛び起きた視界の先、青白い月光に照らされた光景に、彼は言葉を失った。


そこには、透き通るような白毛を持つ美しい一角の魔獣が佇んでいた。  


その長い一本角は、まるで見えない糸で縫い止められたかのように、横一列に並んで寝ていた三人の女たちの胸を、正確に一突きで貫いていた。


彼女たちは、悲鳴を上げることさえ許されなかった。  


アリオスを欲し、貞操を狙った不浄な欲念が、清廉を好む魔獣を呼び寄せたのか。  


魔獣は、返り血一つ浴びていない無傷のアリオスを、澄んだ瞳でじっと見つめると、霧が溶けるように暗闇の奥へと消えていった。


「……あ……」


アリオスは動けなかった。  


なぜ、自分だけが生き残ったのか。  


なぜ、自分はあんなにも深く眠ってしまったのか。  


あの日、あれほど鍛錬を積むと誓ったのに。自分が眠らなければ、彼女たちが死ぬことはなかった。    



明け方、一人でギルドに戻ったアリオスの姿は、惨劇そのものだった。


「……帰ってこられたのは俺一人だ」


それだけ言い残して、アリオスは組合から去る。背中に声をかけようとするリリアンの姿を、彼の瞳がとらえることはなかった。


鋭利でむき出しの感情がいっぱいに詰まっていた白磁の入れ物からすべてのものが零れ落ち、涙のかけらの一つさえ、何も入っていなかった。


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