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筆先に踊る白磁の死神  作者: 大須賀隼
死神の揺り籠
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夢の瓦礫

二年前。アリオスがいたパーティは、特別なものであった。  


カイル、ミリー、ロルフ。彼らは冒険者として出会った仲間ではない。シルヴァ村で泥にまみれて育った、文字通りの幼馴染だった。  


「いいか、アリオス。俺たちが有名になったら、この村に大きな冒険者組合の支部を建てるんだ。そうしたら村に仕事が回ってきて、みんながもっと豊かになる。それが俺たちの夢だろ?」  


リーダーのカイルが笑い、アリオスもまた、未来への希望に瞳を輝かせて頷いていた。カイルはガキ大将がそのまま大きくなったような、太陽のように明るい戦士だった。魔術師を志すミリーは、村一番の跳ねっ返りだが誰よりも情に厚い少女。そしてロルフは、口数は少ないが、いつも幼馴染たちの怪我を真っ先に心配する心優しい神官志望の少年だった。彼らは、家族よりも長い時間を共に過ごしてきた。  


「アリオス、剣筋が少し硬いわよ。ほら、もっと力を抜いて!」


「……あまり、無理はするな。僕が後ろにいるけど、限度がある」


ミリーのからかうような激励と、ロルフの冷静な諫言。四人で囲む野営の火は温かく、どんなに過酷な依頼の夜も、アリオスは孤独を感じたことなどなかった。当時のアリオスは、剣の才に恵まれていた。パーティの「目」であり「矛」となるアリオスは常に先頭で仲間たちを脅かす外敵を探して討つセンサーとなっていた。


パーティを組んで半年。その過敏なまでの感覚が最悪の形となって牙を剥いたのは、ある古びた遺跡の探索中だった。


「……待ってくれ。この先、妙な気配がする。俺が少し先を見てくるよ」


慎重を期した判断だった。通路が二手に分かれる不気味な階層。アリオスは仲間を安全な場所に待たせ、最も腕の立つ自分が単独で先行し、安全を確保しようとした。


「気をつけろよ、アリオス。深追いはするな」


カイルの信頼に満ちた声を背に、アリオスは暗闇の先へと消えた。  


だが、それは巧妙な「分断」の罠だった。アリオスが角を曲がった直後、背後で巨大な石扉が音もなく滑り落ち、彼と仲間たちの間に越えられない壁を作った。


「カイル! ミリー!!」


アリオスが必死に扉を叩いたその時、壁の向こう側から、身の毛もよだつような地響きと、そして――仲間の絶叫が響き渡った。  


アリオスを誘い込み、孤立させたところで、残された三人の足元に致命的な崩落と魔導罠が起動したのだ。生物的な探知しやすい気配で斥候をおびき寄せ、魔法的なメインギミックを動かす。探知に優れた冒険者に対し牙をむく罠だ。


「あああああッ!!」


アリオスは狂ったように壁を剣で叩き、魔法を叩きつけた。だが、古代の防壁は無慈悲に彼を拒絶し続ける。  



ようやく壁を破壊し、瓦礫の山となった通路へ戻った時、そこには――。



真っ先に目に飛び込んできたのは、仲間を庇うようにして瓦礫の下敷きになったカイルの姿だった。


「カイル! 起きてくれ、カイル!!」


瓦礫を掻き出し、引きずり出したカイルは、すでに息の根も絶え絶えだった。隣ではミリーもロルフも、冷たくなった石板の下で物言わぬ骸と化している。


「……アリオ、ス……。……よかった……お前は、無事……か……」


「ごめん、俺が……俺が傍にいれば! 俺が一人で先になんて行かなければ!!」


アリオスは血まみれのカイルを抱きしめ、叫んだ。索敵という正論を選び、仲間を置き去りにした自分の判断。それが、守りたかったはずの幼馴染たちを、孤立無援のまま死へと追いやったのだ。


「いいんだ……。お前が、生きていれば……。……冒険を、嫌いにならないでくれ。……俺たちの夢……」


カイルの手が、アリオスの頬を撫でようとして、途中で力なく落ちた。静寂が遺跡を支配する。アリオスは、一人だけ傷一つ負わぬ「白磁の肌」を仲間の血で染めながら、夜が明けるまで泣き続けた。



月明かりさえ届かない深夜、酒場の扉が、軋んだ音を立てて開いた。現れた影に、当直を務めていた数人の職員が息を呑む。



アリオスだった。  



しかし、そこには昼間までの、若き天才剣士の面影はどこにもなかった。装備は無惨に砕け、全身は泥と、そして自分のものではないおびただしい返り血に汚れている。彼は力なく歩みを進め、吸い寄せられるように一つのカウンターへと向かった。そこに、リリアンがいた。  


彼女はアリオスの姿を認めると、驚きに目を見開いて立ち上がった。


「アリオス、様……? 一体、何が……」


アリオスは答えられなかった。カウンターに縋り付くようにして、彼は震える膝をどうにか支えている。  

リリアンは急いでカウンターの裏から駆け寄ってきた。その表情は、一人の冒険者の窮地を心から案じる慈愛に満ちている。


「……リリアン、さん……。俺、俺が……カイルが……」


血を吐くような思いで、アリオスが言葉を紡ごうとしたその時。  

リリアンが静かに右手を挙げ、彼を制した。


「……まずは、これを」


彼女は懐から取り出した清潔な白布を、アリオスの頬へと伸ばした。アリオスは困惑し、何かを言いかけようとしたが、リリアンの手つきは迷いがなかった。彼女はアリオスの話を促すよりも先に、柔らかな布越しに、彼の頬にこびりついた赤黒い染みを拭い始めた。


「私が拭っているうちに、ゆっくりと落ち着いてください。あなたには時間が必要です」


その声は、どこまでも穏やかだった。アリオスが幼馴染たちの死を、最期の言葉を語ろうとする間も、それを制し、一枚、また一枚と、布を替えて、まるで高価な陶器の汚れを落とすかのように、丁寧な手つきでアリオスの顔や首筋の血を拭い去っていく。


ようやく血の跡が消え、アリオスの肌が元の白磁のような輝きを取り戻したのを確認すると、リリアンは小さく、満足げな吐息を漏らした。そして白布を丁寧に畳み、そこで初めてアリオスの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「……さあ、アリオス様。落ち着かれましたか。お話しください。何があったのですか?」


アリオスは、堰を切ったように嗚咽を漏らしながら語り始めた。索敵という正論に溺れ、仲間を孤立させた自分の慢心が、村の幼馴染たちを皆殺しにしたこと。自分が彼らの夢を、未来を、全て踏みにじってしまったこと。特に、瓦礫の中から引きずり出したカイルが遺した、あの最期の言葉が、アリオスの脳裏で何度も、何度も再生される。


『……泣くな、アリオス。冒険を……嫌いにならないでくれ……。俺たちの分まで、お前が……最高の、冒険者に……そして、俺たちの夢を……』


それは本来、遺された者への精一杯の励ましだったはずだ。しかし、今の彼にとっては、いかなる極刑よりも重い宣告だった。リリアンは、アリオスの震える手を、カウンター越しにそっと包み込んだ。


「彼らの想いを無駄にしないこと。それが、生き残ったあなたの、唯一の義務です。……あなたは、冒険を続けなければなりません。死んでいった皆さんのためにも」


カイルたちが遺した「冒険を嫌いにならないで」という願いを、リリアンは「冒険を続ける義務」へと、その言葉一つですり替えてみせた。


「あの方たちは、あなたに夢を託したのでしょう? ならば、あなたが足を止めることは、彼らの死を本当の意味で無価値にしてしまうことと同義です。……お分かりですね?」


アリオスは顔を上げ、リリアンの瞳を見た。そこには深い慈悲が宿っている。アリオスは、この静かな眼差しこそが、犯した罪を分かち合ってくれる救いだと思い込んだ。  自分が冒険者であり続けることだけが、死んだ三人の存在をこの世に繋ぎ止める唯一の方法なのだと、彼は信じ込まされた。


「……そうだね。……俺、やるよ。みんなのために、強くならなきゃいけないんだ。俺が……彼らの夢を、叶えるんだ」


アリオスの瞳に、義務感という名の光のない決意が宿る。もはや彼にとって、冒険は憧れではなく、死ぬまで続く「服役」へと変質していた。  


リリアンは、それを見て穏やかに微笑んだ。


「はい。……お力添えします、アリオス様。あなたが冒険を続ける限り、私はここで、あなたをお守りします」



このときはまだ、誰もがアリオスに優しかった。


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