焚き火の告白
翌朝、村の門を潜る頃には、太陽の端が東の稜線から覗き始めていた。待ち合わせの場所に現れたアリオスを見て、フレイアは隠すことなく吹き出した。
「……アンタ、引っ越しでもするつもりかい?」
アリオスの背には、野営道具一式に加え、予備の武器、解毒薬や包帯、さらには調理器具や防寒具までが整然と、しかしかなりの重量で詰め込まれた巨大な背嚢が鎮座していた。対するフレイアは、腰に二振りの短剣を吊るし、肩から小さな革袋を下げただけの、驚くほど身軽な格好だ。
「……念のための準備だ。不測の事態があれば、これでも足りないかもしれない」
「真面目だねえ。死神ってのは、もっとこう、虚無を背負って歩くもんだと思ってたよ。そんな亀みたいな荷物を抱えてちゃ、私のスピードにはついてこれないよ?」
フレイアは嘲笑うように言い捨てると、軽やかな足取りで街道を歩き出した。実際、彼女の歩みは速かった。障害物があれば跳ねるように飛び越え、道なき道も風のように通り過ぎていく。アリオスはその巨荷を背負いながらも、乱れることのない足取りで、黙々と彼女の背中を追った。
日中、何度か小規模な魔物との接触があったが、それらはフレイアの敵ではなかった。 彼女は予告通り、目にも留まらぬ速さで獲物の懐に潜り込み、短剣で喉元を断つ。あるいは、指先から放たれる小さな火弾で、接近を許さず焼き尽くす。
「どうだい、私の言った通りだろう? あんな重い荷物を背負って苦労しなくても、危なくなる前に殺しちまえばいいんだ」
返り血を拭いながら誇らしげに笑う彼女に対し、アリオスはただ
「……助かった」
と短く応じ、倒された魔物の残骸から、後に役立ちそうな素材を丁寧に剥ぎ取る。
フレイアの目には、そのアリオスの慎重さが、自分への信頼の欠如というよりは、不器用で誠実な仲間想いの現れのように見え始めていた。
(噂じゃあ冷酷な人殺しなんて言われてるが、蓋を開けてみれば、ただの世話焼きな優等生じゃないか。顔だけだと思っていたが、こりゃ羽虫が湧くわけだ)
内心でそう毒づきながらも、彼女の口角は自然と上がっていた。自分のような死線の住人から見れば、彼の慎重さは甘さにも映るが、同時にそれは、長らく忘れていた誰かに守られる心地よさを彼女に思い出させていた。彼女の中で、アリオスに対する警戒心は、急速にパートナーへの好感へと塗り替えられていった。
やがて日が傾き、森の冷気が肌を刺し始める頃、二人は川沿いの開けた場所で足を止めた。フレイアは地面にそのまま腰を下ろそうとしたが、アリオスはそれを制し、背嚢を下ろした。
「ここをキャンプ地にする。……少し待ってくれ、すぐに整える」
そこからのアリオスの手際は、フレイアを黙らせるに十分なものだった。厚手の防水布を広げて湿った地面から冷気を遮り、手際よく薪を集めて火を熾す。背嚢からは、フレイアが無駄だと断じたはずの調理器具や、干し肉と香草の入った小袋が次々と取り出された。
しばらくすると、冷えた森の空気の中に、食欲をそそる温かなスープの香りが漂い始めた。フレイアは自分の軽率さを棚に上げ、差し出された熱い木皿を受け取りながら、感嘆の吐息を漏らした。
「……ふぅん。アンタの荷物の中身、少しだけ見直してやってもいいよ。こいつは……思ったよりずっと、快適な夜になりそうだ」
揺らめく焚き火の光が、二人の顔をオレンジ色に照らし出す。温かな食事と、アリオスが用意した寝心地の良い毛布。万全な装備に囲まれた快適な野営は、フレイアの心から最後の刺を抜き去り、かつてないほどの開放感を与えていた。
焚き火の爆ぜる音だけが、夜の静寂の中に響いていた。アリオスが手際よく作った温かなスープを飲み干すと、フレイアは満足げに息を吐き、揺らめく炎をじっと見つめた。
「……ねえ、アリオス。アンタのその『死神』なんて物騒な二つ名。一体どこのどいつが付けたんだい? これじゃあ『聖女』か『執事』の方がお似合いだよ」
アリオスは答えない。ただ、自分の剣を丁寧に布で拭い続けている。フレイアはその横顔を眺めながら、自分でも意外なほど滑らかに言葉を継いだ。
「私がこの村に来たのはね……冒険なんてものに、飽き飽きしちまったからさ。元々『旋風』ってのは、私と、死んだあいつの二人で呼ばれてた名前なんだ。あいつが追い風になって、私が斬る。二人揃って、ようやく風になれた。だけど、たった一人の親友だった相棒が死んだ。そいつが死んだとき、冒険だの栄光だのって言葉が、砂みたいに味気ないものに思えてね。……そんな時にアンタの噂を聞いたんだ。『白磁の死神』。どうせ意味のない人生なら、いっそ死神にでも殺してもらおうと思ってね」
彼女はそこで言葉を切り、アリオスを挑発するように見つめた。
「でも、酒場でアンタを一目見たとき、笑っちまったよ。影を背負ったような顔をして、一体何を知った気になってるんだ。死ってのは、そんなお洒落な雰囲気の中にあるもんじゃない。もっと無様で、生臭くて、救いようのない生温いもんなんだ。……それをアンタに分からせてやりたい、なんて思ったのさ」
(――まあ、それ以上に、そのあまりに綺麗な、ダンジョンの奥底に眠る宝飾品のような顔を自分だけのものにしたくなった、っていう盗賊の強欲な本能が疼いたせいもあるんだけどさ)
後半の言葉を飲み込み、フレイアは焚き火に薪を放り込んだ。アリオスは拭っていた剣の手を止め、ようやく重い口を開いた。その声は、夜の冷気よりもさらに低く、沈んでいた。
「……死が生温い泥のようなものだということは、知っている」
アリオスはフレイアを見ようとはせず、ただゆらゆらと揺れる炎の先端を見つめていた。
「私の周りからは、人がいなくなる。……この村に来てから、組んだパーティは三つ。そのすべてが、俺を除いて全滅した」
淡々と告げられたその事実に、フレイアはわずかに目を見開いた。誇張も、憐れみを乞う響きもない。それは彼にとって、食事をすることや息をすることと同じように、逃れられない日常なのだということが伝わってきた。
「……三つとも、かい?」
「ああ。理由はそれぞれだ。不運もあれば、判断ミスもあった。……だが、結果は常に同じだった」
アリオスはそれ以上、何も語らなかった。フレイアはしばらく沈黙していたが、やがて不敵な笑みを深くした。
「三回全滅して、次は私の番だって言いたいのかい? 面白い。なら、四度目の正直ってやつを見せてあげるよ。死神のジンクスなんて、私のこの足と火炎で、跡形もなく焼き尽くしてやるからさ」
フレイアはそう言うと、アリオスの座る隣へと、音もなく距離を詰めた。白磁の頬に唇を近づけ、吐息がかかる距離でそっと呟いた。
「死神さん。やっぱりアンタ、気に入ったよ。……この依頼が終わったら、またここで本当に楽しい夜にしてやる。逃げられると思うなよ。私の敏捷さは、さっき示した通りだからね」
火照った肌の熱を至近距離で残したまま、彼女は不意に身を引くと、快活に笑って自分の寝床へと飛び込んだ。
「さて、万全の準備をして依頼をこなすよ! 見張りは三時間交代だ。……寝不足は任務の成功に支障をきたす。先に眠らせてもらうよ」
アリオスは、頬に残った熱を振り払うように一度だけ目を伏せ、小さく
「ああ、おやすみ」
と返した。
フレイアは寝息を立て始めるまで、そう時間はかからなかった。彼女の「生」への自信は、死神の隣であっても深い眠りを許すほどに強固だった。




