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筆先に踊る白磁の死神  作者: 大須賀隼
死神と旋風
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フレイアとリリアン

アリオスが頷いたその瞬間、周囲の冒険者たちは呆れたような、あるいは通夜に立ち会うかのような沈痛な溜息を吐き、それぞれの安酒へと戻っていった。もはやフレイアを止める者はいない。死に急ぐ羽虫を救うほど、この村の男たちは慈悲深くなかった。


フレイアは満足げに鼻を鳴らし、乱暴に椅子を引いてアリオスと向き合った。


「話が早くて助かるよ。私はフレイア。見ての通りの盗賊さ。身軽さと短剣の扱い、それに罠外しと鍵開けに関しては、この辺りの鈍間な野郎どもの誰よりも上手いと断言できるね」


彼女は腰の短剣を軽く叩き、不敵な笑みを浮かべた。対するアリオスは、未だに戸惑いを拭えない様子で、消え入るような声で応じる。


「……俺はアリオス。剣を使う。前衛での防御と、多少の自己治癒の心得はある」


そこでアリオスは言葉を切り、テーブルを見つめた。まるで、そこにあるはずのない恐ろしい何かを見据えるかのような、異常に鋭い眼差しがフレイアに向けられる。


「……確認させてくれ。君の言う『上手い』というのは、どの程度だ? 遺跡の偽装、魔導式の警報、あるいは不用意な接触によって起動する物理罠……それらを完璧に見抜き、解除できると言い切れるのか?」


「は……? なんだい、藪から棒に。さっきも言っただろ、そこらの野郎よりずっと――」


「『よりマシ』では困る。……一瞬の過失が、隣にいる仲間の命を、すべて奪い去るんだ。それを分かって言っているのか。君が罠の見落としをしないと、その首を賭けて誓えるのか?」


アリオスの声は低く、そして切迫していた。その瞳に宿る暗い熱に、さしものフレイアもわずかに気圧され、たじろぐ。


「……ああ、誓ってやるよ。私はプロだ。あんたの首は知らないが、自分の首を安売りする気はないね」


彼女の返答に、アリオスは深すぎる溜息を吐き、ようやく肩の力を抜いた。だが、その表情は依然として晴れない。


「……分かった。……だが、それでも、構成が悪すぎる。俺と君の二人では、手数が足りない。魔法使いのような広範囲攻撃を担う者も、本格的な治癒を施せる神官もいない。このままで依頼を受ければ――」


「まったく、臆病な死神だね。盗賊は器用貧乏だって聞いたことがあるかい? あれはね、どんな技能だって扱えてこそってことだ。ほら、火炎だってこの程度ならお手の物さ」


フレイアは不敵に笑うと、指先を軽く鳴らした。その直後、彼女の手のひらの上に、鮮やかな橙色の火球が踊るように出現した。中堅の魔法使いですら杖や呪文の補助がなければ難しい無詠唱の芸当を、彼女は呼吸をするように、いとも容易くやってのけてみせた。


単なる「鍵開け」の専門家ではなく、魔術の素養すら併せ持った相当な力量の持ち主であることは、もはや疑うべくもなかった。


「……信じられないな。君ほどの腕があれば、後衛を待たずともあらゆる事態に対応できるだろう。だが、それでも……」


「しつこいね。私の腕が信じられないなら、その目で確かめることだ。数が多けりゃいいってもんじゃないんだよ。万能な私がいて、アンタが守りに徹する。人数が増えたら山分けの頭数も増えちまう。これ以上の効率的なパーティがあるかい?」


フレイアはアリオスの危惧を火球と共に消し飛ばし、軽快な足取りで立ち上がった。その背中には、自分の多才さがあればどんな「戦術的な穴」も力ずくで埋められるという、揺るぎない自負が満ちあふれている。


アリオスは、彼女が放つ眩いばかりの自信に気圧され、重い腰を上げた。二人は誘い合われるように、カウンターの向こうで待ち構える受付嬢リリアンの前へと歩みを進めた。



カウンターの向こう側では、先ほどまでペンを動かしていたリリアンが、いつの間にか完璧な「受付嬢の仮面」を貼り付けて二人を待っていた。フレイアがカウンターに身を乗り出し、やや年季が入り銀のくすんだ冒険者タグを掲示する。


「受付さん。こいつとパーティを組む。登録と……何か手頃な仕事はあるかい?」


フレイアが身分証タグを机に投げ出すと、リリアンは一度だけ、アリオスの顔を慈しむように見上げた。それは傷ついた英雄を案じる聖女のような、深く、清廉な眼差しだった。リリアンは死神が死神たる所以を知っているが、一介の受付嬢に口を挟むことは許されない。


「……承知いたしました。フレイア様、そしてアリオス様。正式なパーティ登録を完了しました。お二人でしたら……ちょうど、こちらなどいかがでしょうか」


リリアンが差し出したのは、森の奥に潜む『硬殻を持つ魔獣』の討伐依頼だった。


「物理防御が非常に高い相手ですが、どうやら魔法が効かないようで村には適合するパーティがおらず紹介する相手を迷っていました。アリオス様の重い一撃と、フレイア様の優れた短剣技術、そして……急所を貫く技術があれば、苦戦はされないはずです」


リリアンの声は、まるで二人を称賛するかのように甘く響いた。フレイアは依頼書をざっと読み、満足げに頷く。


「こいつなら戦ったことがある。でかい蟹みたいなもんでね、関節の間に鋭利なものを差し込めば余裕さ。……デカいわりに、こいつは味もいいんだ」


フレイアが事もなげに放った言葉に、隣にいたアリオスがわずかに眉を寄せた。


「魔物を食べるのか? あまりオーソドックスな食料ではないと思うが……」


「まともな飯を食える場所だけを歩いてきた奴には分からないさ。砂漠の果てや地下の迷宮に数週間も閉じ込められりゃ、動くものは全部肉に見えてくる。意外とご馳走も多いもんさ。これからいくらでも食べさせてやるよ」


彼女の言葉は、単なる強がりではなく、修羅場を幾度も潜り抜けてきた「本物」の凄みを帯びていた。アリオスはその言葉の端々に、彼女が歩んできた過酷な旅路と、それを乗り越えてきた圧倒的な経験値を感じ取り、わずかに毒気を抜かれたように黙り込んだ。


アリオスはリリアンに向き合い、話を続ける。


「周辺の情報は」


リリアンは依頼書の付帯事項欄を指さす。依頼書を覗き込んだフレイアが、リリアンの指先を追って呟く。


「季節柄、毒虫が大量発生、か。火炎で焼き払えば済む話だね。さて、歩いていけば1日半というところだ」


フレイアは不敵に笑い、依頼書をひったくるように受け取った。


「私と楽しい夜を過ごせるようしっかりと準備をするんだな。明日の日の出とともに、ここで。遅れるんじゃないよ」


そう言い残し、フレイアはアリオスの返事も待たずに歩き出した。 来た時と同じように乱暴に開け放たれた扉の先、午後の強い日差しの中に彼女の背中が消えていく。カランコロンと、また頼りない鈴の音だけが、彼女が嵐のように去っていった余韻として酒場に響いた。


静寂が戻ったカウンターの前で、アリオスは一人、取り残されたように立ち尽くしていた。 そんな彼の横顔を、リリアンは気遣わしげに覗き込む。


「……アリオス様」


鈴を転がすような、清らかで、心配の色を隠さない声。リリアンは組んだ両手を胸元に寄せ、縋るような眼差しをアリオスに向けた。


「本当に、行かれるのですか?あの方は少し……その、自信家が過ぎるように見受けられます。アリオス様が、これ以上辛い思いをされるのではないかと……私は、それが心配で」


伏せられた彼女の睫毛が、不安に震えている。それは組合の職員という立場を超え、一人の人間として彼を案じ、その孤独を分かち合おうとする、あまりに健気な態度だった。


アリオスは視線を落とし、リリアンの表情を静かに受け止めた。だが、その瞳に宿る陰りは晴れない。


「……俺は俺の役割を果たすだけだ」


短く、それだけを返した。その声には、自分に向けられた好意を拒絶するような冷たさはなかったが、同時に、誰も踏み込ませない深い断絶が横たわっていた。


アリオスは軽く一度だけリリアンに会釈し、背を向ける。フレイアが乱暴に開けていった扉を、今度は音も立てずに静かに閉め、彼はひとり、白磁のような静謐さを纏ったまま去っていった。


静まり返った酒場。リリアンは彼が去った扉を瞬きもせずに見つめ続けていた。やがて、彼女はゆっくりと視線を落とし、アリオスのために静かに無事を祈り、羽ペンを握りなおした。


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