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筆先に踊る白磁の死神  作者: 大須賀隼
死神を祓う聖声
15/19

治癒の勇者セシリア

辺境の村シルヴァへと続く街道は、冬の気配を孕んだ湿った風に支配されていた。


治癒の勇者セシリアは、泥濘に足を取られぬよう銀の意匠が施された錫杖を突き、歩みを進める。


彼女が纏う純白の法衣は、長旅の埃に汚れながらも、なお神聖な光を放っていた。その背には、癒やしの奇跡を司る勇者としての矜持と、それを上回るほどの重い「後悔」が背負わされている。


(……ようやく、着いたのね。あなたが最後に見た、この場所に)


セシリアは足を止め、村の入り口に小さく飾られたアーチを描く木門を見上げた。


王都から派遣されたあの幼い少女が――セシリアにとって妹であり、親友であり、何よりも守るべき宝物であった彼女が、絶望の中で命を落とした場所。


訃報が届いたあの日から、セシリアの時間は止まったままだ。


空間を切り裂く「転移」の才を持ち、未来を期待されていた十二歳の勇者が、なぜ辺境の魔獣一匹に敗れたのか。王都の騎士団は転移の勇者の未熟さからなる敗戦として処理したが、セシリアの胸の奥にある信仰の炎は、それが単なる負けであることを否定し続けていた。


村の門を潜ると、そこには活気とは程遠い、どんよりとした停滞が満ちていた。村人たちはセシリアの神々しい姿に一瞬だけ目を向けるが、すぐに怯えたように視線を逸らす。


その反応は、見慣れた聖職者への敬意とは明らかに異なっていた。まるで、輝かしいものを見ること自体が、何らかの「不吉」を呼び込むとでも恐れているかのように。


「……あの、少しよろしいでしょうか」


セシリアは、井戸端で作業をしていた村の女性に声をかけた。


「私は王都から参りました、セシリアと申します。半年ほど前、この村で命を落とした勇者の少女について、お話を伺いたいのですが」


その言葉が出た瞬間、周囲の空気が氷結した。女性は手に持っていた桶を危うく落としそうになり、顔を青白くさせて後退りする。


「や、やめておくれよ、あんた……。あの娘の話は、この村じゃ禁忌なんだ」


「禁忌? なぜですか。彼女はこの村を救おうとした英雄のはずです」


「英雄? ああ、そうかもしれないね。でも、あの子を連れていったのは……あの男、死神なんだよ」


女性は声を潜め、震える指先で村の中央にある建物を指差した。冒険者組合。その入り口の陰で、一人の青年が佇んでいた。


セシリアの視線が、その「影」に釘付けになる。磨き抜かれた白磁のような肌。夜の帳を溶かしたような漆黒の髪。あまりに整いすぎたその貌は、神が作った最高傑作のようでありながら、纏っている空気は底なしの泥濘のように暗い。青年の周囲だけが、陽光を吸い込む断絶された空間のようだった。人々は彼を避けて通り、あるいは背後から十字を切って囁き合う。



「あれが……『白磁の死神』か……」



噂には聞いていた。


組んだ女性冒険者が、ことごとく無惨な死を遂げるという呪われた冒険者、アリオスの名を。


青年アリオスは、セシリアの視線に気づくと、わずかに眉を動かした。その瞳に宿るのは、侵入者を拒む拒絶ではなく、自分に関われば不幸になると訴えるような、痛切なまでの「慈悲」を含んだ警告だった。


(なんて、悲しい眼をしているの……)


セシリアの直感が、警鐘を鳴らす。


この村を覆う灰色の空気。


人々の異常な怯え。


そして、美しき死神の傍らで消えていった勇者の命。


神学的な視点から見れば、これは統計的な偶然の域を遥かに超えている。まるで誰かが、彼の周囲の光だけを選んで摘み取っているかのような、計算された「偏り」を彼女は感じ取っていた。


セシリアは錫杖を握り直し、泥濘を踏みしめて一歩、アリオスの方へと歩み出した。  


彼女の銀の装飾が、重苦しい灰色の空気の中で、挑戦的な音を立てて鳴った。



組合の重い扉を押し開けると、そこには外の淀んだ空気とは無縁の、清潔で完璧な均衡が保たれた空間が広がっていた。


磨き抜かれたカウンター、整然と並べられた書類、そして――その中心に座り、淀みない動作で羽ペンを動かす一人の女性。


「いらっしゃいませ。村外からの方ですよね。組合シルヴァ村支部へようこそ」


顔を上げた彼女――リリアンの微笑みは、春の陽光のように温かく、見る者の心を解きほぐす慈愛に満ちていた。


だが、セシリアの鋭敏な感覚は、その完璧すぎる「仮面」の奥底に、針先ほどの隙もない鉄の拒絶を感じ取っていた。


「……王都から参りました、『治癒の勇者』セシリアと申します。此度の来訪は、半年前の聖獣討伐任務、およびそれに付随する一連の事故調査のためです」


セシリアが名乗ると、酒場にいた数人の冒険者たちが息を呑むのが分かった。王都に数十といない勇者が短期間に、しかも辺境の村へ二度も来訪したのである。しかも、用件は「死神」だ。注目しない方がどうかしている。だが、リリアンだけは、瞬き一つ変えずに優雅な一礼を返した。


「左様でございましたか。勇者様をお迎えできるとは光栄です。私は受付のリリアンと申します。……して、調査とは具体的にどのようなものでしょうか。組合として協力は惜しみませんが」


「この一年にこの村で起きた、アリオス様が関わったすべての依頼記録、およびパーティ構成案を拝見したいのです。もちろん、組合王都本部の認可証はここにあります」


セシリアが卓上に羊皮紙を提示すると、リリアンの羽ペンが、一瞬だけ止まった。


それは、獲物の接近を察知した捕食者が、一瞬だけ呼吸を止めるような、微かな、しかし決定的な違和感。


「……アリオス様の記録、ですか。あの方は今、非常に辛い立場にあります。謂れのない噂を立てられ、孤独に耐えていらっしゃる。それ以上の調査が必要なのでしょうか?」


リリアンの声には、傷ついた英雄を案じる「善意」の色が滲んでいた。


だが、セシリアは錫杖を静かに床に突き、その言葉を遮る。


「正直なことを申し上げますと、『死神』アリオスへ特段の興味はありません。ただ、私は彼と組んで聖獣に喰われた彼女。その死の理由を詳細に知りたいだけなのです。ただ、それには『死神』の正体に迫る必要がある。『死神』は本当に不運により毎回全滅するのか。『死神』自ら味方にその鎌をふるっているのか。あるいは……」


セシリアの瞳が、リリアンの穏やかな瞳を射抜く。


リリアンはしばらく沈黙を守っていた。やがて、彼女はふっと、どこか寂しげな笑みを浮かべた。


「……アリオス様を疑われるのは、この村の組合に所属するものとして、少し悲しいですね。ですが、お望みとあらば。……ちょうど、アリオス様が今、外にいらっしゃいます。彼に直接お会いになれば、あなたの『理論』がどれほど残酷なものであるか、お分かりになるはずですわ」


リリアンは完璧な所作でカウンターの奥を指し示した。その態度はどこまでも謙虚で協力的だったが、セシリアの胸に宿る不快なざわつきは、さらにその濃度を増していった。



組合の裏手。湿った風が路地を吹き抜け、建物の影が怪物のように長く伸びる場所で、その「影」は立ち尽くしていた。  


アリオス。  


磨き抜かれた白磁の肌は、今や陽光を拒むかのように灰色の影を纏い、漆黒の髪は手入れもされぬまま項に垂れている。彼はただ、泥濘んだ地面の波紋を、何の時間もかけて見つめ続けていた。


「……何の用だ。死にたくなければ、あっちへ行け」


背後から近づくセシリアの足音に、アリオスは顔を上げることなく、ひび割れた声で警告を投げた。それは冷徹な拒絶ではなく、これ以上自分の周囲で命が散るのを見たくないという、悲痛なまでの嘆願に近い響きを持っていた。


「警告は結構です。私は、あの子――半年前にあなたが連れていった、幼い勇者の親友として参りました」


錫杖の銀環が、シャン、と冷たく鳴った。その言葉を聞いた瞬間、アリオスの肩が目に見えて大きく震えた。彼は壊れた人形のようなぎこちない動作で、ゆっくりと、恐る恐る振り返る。


「……あの子の、……親友?」


絶望に濁りきった青い瞳。そこに宿る自責の念の深さに、セシリアは一瞬だけ息を呑んだ。村人たちが「死神」と忌み嫌い、リリアンが「孤独に耐えている」と案じた男の正体は、あまりに脆く、今にも崩れ去りそうな空虚な器だった。


「そうです。彼女を王都で世話し、戦い方を教え、そして……この村へ送り出した者です。彼女の死を、王都は不運と片付けましたが、私は納得していません。彼女が最期に何を言い、どう死んだのか。それを知る権利が、私にはあります」


「……何の意味もない。あの子は、俺を守って死んだ。……俺が、あの子を殺したんだ。……それだけだ」

アリオスは絞り出すように言うと、再び顔を背けようとした。だが、セシリアはさらに一歩、その泥濘へと踏み込む。



「意味ならあります。もし、彼女の死が単なる不運ではなく、誰かに仕組まれたものだとしたら? あなたが『死神』と呼ばれているその理由自体が、精巧に作られた偽りだとしたら、あなたは彼女の仇を討つべきではないのですか?」



アリオスの瞳に、戸惑いと、微かな……しかし鋭い火が灯った。


「……仕組まれた? 何を言って……。俺の周りでは、みんな死ぬんだ。偶然じゃない。俺が死神だから……」


「それを、私が証明して差し上げます」  


セシリアは錫杖をアリオスの胸元に突きつけるように、凛と言い放った。


「私は治癒の勇者セシリア。不浄を祓い、理を正す者です。私とパーティを組んでください。現場へ行き、彼女の死の真実を確かめます。私が死ぬか、あなたの呪いが人為的なものだと暴かれるか。神の天秤にかけてみませんか」


「狂ってる……。あんたまで死にたいのか」


「いいえ。私は死にませんわ。……死ぬことが許されないのは、私も同じですから」


セシリアの瞳にあるのは、盲目的な勇気ではない。親友を失った空洞を埋めるための、狂気にも似た執念だった。  


アリオスは、自分を真っ直ぐに見つめるその強い光に、抗えない何かを感じていた。拒絶すればいい。無視すればいい。だが、彼女が口にした「仕組まれた」という言葉の重みが、彼の凍りついた思考の底で、重く沈んでいた。



「……分かった。……だが、俺はあんたを守らない。……守れないからだ」


「結構です。守られるのは、私ではなく……あなたのその傷ついた魂の方ですから」


セシリアは、改めてアリオスへ視線を落とす。


一見した際には美しく傷一つなく見えていた白磁の肌に違和感を覚えた。一見すれば、傷一つない滑らかな肌に戻っている。


だが、「治癒の勇者」としての彼女の眼は、その奥に潜む不自然な痕跡を見逃さなかった。  首筋に残る、刃物で無理やり膿を絞り出したような引き連れた痕。


処置が甘く、内部で癒着を起こしかけている微かな皮膚の隆起。それは、魔法や専門的な医術による治癒ではなく、「素人が深い執着をもって、無理やり接合させた」かのような、ひどく歪な治療の跡だった。


「その身体……」


「……構うな。……毒虫にやられただけだ。死に損なったがな」


アリオスが自嘲気味に腕を引く。セシリアは無言で彼の腕を掴んだ。


「っ、離せ!」


「『死神』と組むからには、こちらも万全の状態でなければ困ります。私と共に歩む者に、このような無様な傷は許しません」


セシリアが錫杖を掲げると、清廉な白金の光が路地裏を照らした。高位の治癒魔法がアリオスの全身を包み込み、皮膚の下で歪んでいた肉を、本来あるべき形へと組み替えていく。  


アリオスは驚愕に目を見開いた。リリアンが三日三晩かけて「直して」くれたはずの身体が、一瞬で、より軽く、本来の躍動を取り戻していく。


(……おかしい。これほどの深い損傷があったのなら、なぜ村の神官に頼まなかったの? この程度の治癒なら、私でなくとも村の教会で十分に完治させられたはずなのに)


セシリアは胸の内に生じた疑問を、あえて口には出さず、心の奥底に沈めた。



そのやり取りを、組合の窓から、帳簿を握りしめたリリアンが静かに見つめていた。彼女の瞳には、アリオスの側を陣取った新たな「獲物」に対する、昏く、深い、底なしの感情が渦巻いていた。

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