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ダイヤモンドは壊れない  作者: はまゆう


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第5話 消える女には消される理由がある


人が消えるときって、案外静かだ。


事故みたいに大きな音がするわけでも、ドラマみたいに置き手紙が残るわけでもない。

昨日までいた場所に、今日はいない。

連絡がつかない。写真が消える。名前が消える。

それだけで、世界は何事もなかったみたいに前へ進む。

東京はそういう街だ。

誰か一人いなくなったくらいじゃ、景色が変わらない。

だから私は、消える女が嫌いだ。

正確には、“消えても困らないと思われる女”にされるのが嫌い。


店を出たのは、午前一時を少し回った頃だった。

今日は同伴もアフターも断った。珍しいね、と黒服に言われたけど、たまにはそういう日もある。

毎日同じように売れてる女って、実は少しずつ値崩れしていく。

手に入りそうで入らない、その距離感が大事だ。


拓巳が指定してきたのは、西麻布の裏通りにある深夜営業の喫茶店だった。

今どき珍しいくらい、ちゃんと暗くて、ちゃんと古い店。

夜の街の人間が、酔いを抜くために寄る場所みたいな顔をしている。


ガラス扉を開けると、コーヒーと煙草の残り香が混ざった匂いがした。

嫌いじゃない。

綺麗すぎる場所より、少しだけ疲れてる場所のほうが本音が出る。


拓巳は奥の席にいた。

黒いパーカーじゃなく、今日はグレーのスウェットにジャケット。相変わらず金の匂いはしない。

でも、テーブルの上にはノートPCとタブレット、それから紙のメモまで広げていて、思ったより本気だった。


「遅い」

私が側に行くと拓巳は顔を上げた。

「店終わりの女に一時集合かけといて、それ言う?」

「来ると思ったから」

「自信あるね」

「あなた、来る顔してた」

「何それ」

「断らない顔」

「失礼」


私は向かいに座って、メニューも見ずにアイスコーヒーを頼んだ。

眠いけど、眠くなりたくない夜ってある。今日がそうだった。


「で」

私はバッグを椅子の横に置いた。

「消えた女の話」

「名前はまだ確定じゃない」

「まだ、ってことは候補はあるんだ」

「たぶん“相沢ミオ”」

「たぶん?」

「芸名かもしれないから」

「便利だよね、芸名って。消すとき」

「そういう言い方する?」

「するよ。実際そうでしょ」


拓巳は少しだけ黙って、タブレットを私のほうへ向けた。

画面には、撮影現場のオフショットみたいな写真が何枚か並んでいる。

照明、メイク台、ハンガーラック、スタッフの後ろ姿。

その端に、一人の女が写っていた。


細い。白い。綺麗。

でも印象が薄い。

悪い意味じゃなく、たぶん“何色にでも染まれる”タイプの綺麗さ。

広告には向く。記憶には残りにくい。


「この子?」

「たぶん」

「たぶん多いね」

「現場でちゃんと話したわけじゃないから」

「でも覚えてる」

「覚えるよ。あの日、メインで撮る予定だったから」

「飛んだんでしょ」

「そう聞かされた」

「でも違ったかもしれない」

「うん」


私は写真を指で拡大した。

女の子は笑っていない。

撮影前の顔って、だいたい二種類ある。

“これから綺麗にしてもらえる”って安心してる顔と、“何かを試される”ってわかってる顔。

この子は後者だった。


「この案件、天城麗華が絡んでるのは確定?」

「真鍋はいた」

「それだけ?」

「あと、背景に映ってる資料のロゴ」

「見せて」

「これ」


拓巳が別の画像を開く。

ぼやけた机の上に、見覚えのある仮ロゴ。

天城に見せられたブランド資料と同じだった。

「なるほど」

「まだ弱いけど」

「弱いね」

「でもゼロじゃない」

「で、この子は今どうなってるの」

「そこが変なんだよ」

拓巳はノートPCを開き直した。

画面にはSNSの検索結果、事務所の過去ページのキャッシュ、撮影スタッフのタグ一覧。

消えた痕跡を追う画面って、なんだか少し気味が悪い。

人間って、いなくなることより、いた証拠を消されることのほうが怖い。

「事務所の所属ページから消えてる」

「退所しただけかも」

「なら過去の仕事は残る」

「残ってない?」

「かなり消えてる」

「全部?」

「全部じゃない。中途半端に残ってる」

「雑」

「そこが逆に気になる」


私はストローを回しながら、画面を見た。

たしかに雑だった。

完全に消すならもっと綺麗にやる。

でも中途半端に消えてるってことは、急いで削除している途中か、消したものに何かあったか。


「本人のSNSは?」

「アカウントごとない」

「前から?」

「いや、真鍋の事務所は所属タレント全員SNS投稿させてる。少なくとも去年までは動いてた」

「連絡先は」

「現場の共有リストにあった携帯番号は死んでる」

「家族とか」

「そこまではまだ」

「まだ、ね」


私は少し笑った。

この男、止める気で私に連絡してきたくせに、自分は追ってる。

「拓巳」

「なに」

「こういうの、いつも首突っ込むの?」

「いつもじゃない」

「じゃあ今回はなんで」

「気持ち悪かったから」

「正義感?」

「違う」

「じゃあ何」

「カメリハまで済んでたモデルが消えて、本番は真鍋が侘びながら代わりに事務所の売れ筋連れてきた。消えた子は主役だったのにスタンドイン(カメリハ代役)扱い。セット組んでたからたしかに選考し直す時間はなかったけどさ、そういう“なかったことにされる”のって嫌いなんだよ」


私は一瞬だけ黙った。

その言い方は、少しだけわかる。

私も、自分の時間や顔や名前を、誰かに勝手になかったことにされるのが嫌いだ。

「似てるね、私たち」

「どこが」

「嫌いなもの」

「嬉しくない」

「私も」

拓巳は苦笑した。

その顔を見て、少しだけ気が抜ける。

この男は、夜の街の男みたいに“わかってるふり”をしない。

だから逆に、信用しすぎると危ない気もする。


「天城、どんな人だった」

拓巳が聞いた。

「綺麗で、面倒で、たぶん人を物みたいに扱うのが上手い女」

「受けるの?」

「たぶん」

「やめたほうがいい」

「その忠告、もう聞いた」

「聞いた上で行くんでしょ」

「うん」

「最悪」

「でも、行かないと見えないものあるから」

「見えた頃には遅いかも」

「そのときはそのとき」


拓巳は露骨に嫌そうな顔をした。

ちょっと面白い。


「何その顔」

「あなた、自分が無敵だと思ってる」

「思ってないよ」

「思ってる顔してる」

「してない」

「してる」

「そう見せるのが上手いだけ」

「もっと悪い」

私は笑った。

喫茶店の薄暗い照明の下で、こういうくだらないやり取りができるのは少し楽だった。

でも楽な空気って、長くは続かない。


拓巳が急に真顔に戻った。

「もう一個ある」

「何」

「この子の最後の現場。このカメリハのあと、たぶん非公開の追加撮影が入ってる」

「追加?」

「スケジュール表にないやつ」

「なんでわかるの」

「データのタイムスタンプ」

「へえ」

「カメリハのあと、別の現場で別カットが撮られてる」

「誰が」

「そこがまだわからない」

「でも撮った」

「うん」

「どこで」

「わからない」


私はストローを止めた。

リハの後の別案件。非公開。追加撮影。別カット。

ろくでもない単語が並ぶ。


「そのデータ、あるの?」

「一部だけ」

「見せて」

「まだ」

「なんで」

「あなた、顔に出るから」

「出ないけど」

「出る」

「失礼」

「今も少し出てる」

「それは眠いだけ」


拓巳は少し迷ってから、タブレットを操作した。

表示されたのは、暗い室内で撮られた一枚の写真だった。

画質は荒い。たぶん連写の切り出し。

ソファ、ガラスのテーブル、ワインボトル。

そして、さっきの女の子。

身体の線の出る服を着て、カメラのほうを見ていない。

誰かに何かを言われた直後みたいな顔をしている。


「これ、広告じゃないね。クライアントとの会食?」

私が言うと、拓巳は頷いた。

「たぶん」

「誰が撮ったの」

「わからない」

「でも共有データに混ざってた」

「雑だね」

「だから気持ち悪い」


私は写真を見たまま、少しだけ息を止めた。

この子はたぶん、消えるつもりなんてなかった。

消えるつもりの女は、こんな顔をしない。

もっと諦めてるか、もっと媚びる。

この顔は、まだ何が起きてるかわかってない顔だ。


「愛里」

拓巳が低く言った。

「本当にやめたほうがいい」

「無理」

「なんで」

「ここで引いたら、向こうが私の値段を決めるから」

「そんなの、今はどうでもいいだろ」

「よくないよ」


私はタブレットから目を離して、拓巳を見た。

「私ね、怖いの」

「……見えない」

「見せないから」

「何が怖いの」

「こういうふうに、誰かが勝手に消されること」

「それは」

「違う。消されること自体も嫌だけど、一番嫌なのは、“消しても問題ない女”って扱われること」

拓巳は何も言わなかった。

たぶん今、初めて少しだけ私って人間を見たんだと思う。

「私はそうなりたくない」

私は続けた。

「だから、向こうがどういう値段のつけ方してるのか見たい」

「危ない」

「知ってる」

「それでも?」

「それでも」


喫茶店の奥で、カップを置く音がした。

夜は深いのに、店の中だけ時間が止まってるみたいだった。


拓巳は長く息を吐いて、髪をかき上げた。


「じゃあ、せめて一人で動かないで」

「命令?」

「お願い」

「その言い方なら考える」

「本当に面倒」

「よく言われる」

「当然」


私は少しだけ笑って、タブレットを指で軽く叩いた。

「この子のこと、もっと調べたい」

「うん」

「本名、事務所、最後に会った人、追加撮影の場所」

「事務所は真鍋か天城んとこだろ」

「あと、天城麗華がどこまで関わってるか」

「そこは慎重に」

「私は慎重だよ」

「どこが」

「雑に見えるだけ」

「それ、雑な人がよく言うやつ」


私はアイスコーヒーを飲み干した。

氷がほとんど溶けて、味が薄くなっている。

でも今夜はそれくらいでちょうどよかった。


店を出ると、外の空気は少し湿っていた。

春の夜って、たまに人の判断を鈍らせる。

優しい顔をして近づいてきて、気づいた頃には足元を曖昧にする。


「送る」

拓巳が言った。

「いらない」

「危ないって言ったばっかだろ」

「家まで男と歩いてるところ撮られたら面倒」

「じゃあタクシー拾うまで」

「過保護」

「違う」

「じゃあ何」

「共犯になる前の確認」

私は少しだけ笑った。

共犯。

悪くない響きだった。


通りに出ると、ちょうど空車のタクシーが来た。

私は手を上げて止める。ドアが開く直前、拓巳が言った。

「愛里」

「何」

「勝つ気でいるのはわかるけど」

「うん」

「相手、たぶん負け慣れてない」

私は片足を車内に入れたまま、振り返った。

「安心して」

「何が」

「私も負け慣れてないから」

ドアが閉まる。

タクシーが走り出す。

窓の外で、拓巳の姿が少しずつ小さくなった。


消える女には、消される理由がある。

でもそれは、消す側が勝手につけた理由だ。

だったら私は、その理由ごと奪ってやる。


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