第4話 飼うなら首輪の値段を払って
女を囲いたがる人間は多い。
男も、女も。
違うのは、欲しがり方だけだ。
男はわかりやすい。
隣に置きたい、触りたい、自分だけのものみたいに扱いたい。
そのくせ飽きるのも早い。
だからまだ楽だ。欲望の形が単純だから。
でも女は違う。
自分のセンスで選んだものを、自分の世界観の中に置きたがる。
飾るためだったり、支配するためだったり、時々その境目も曖昧なまま。
しかも本人は、それを愛情とか期待とか育成とか、もっと綺麗な言葉で呼ぶ。
私はそういうのが一番嫌いだ。
綺麗な言葉で値札を隠されるのが。
天城麗華から再度呼ばれたのは、その二日後だった。
場所は前と同じ青山のラウンジじゃなく、今度はホテルの上階にあるプライベートサロン。
景色のいい場所が好きなんだな、と思う。
高いところにいる人間は、だいたい自分の視界に入るものを支配できると思っている。
私は少しだけ遅れて行った。
五分。
失礼にならない程度、でも“あなたのペースでは動きません”と伝わる程度。
案内された部屋には、麗華だけがいた。
真鍋はいない。
それだけで、今日は仕事の説明じゃなく、もっと個人的な交渉になるとわかる。
「時間ぴったりじゃないのね」
麗華が言った。
「ぴったりだと、待ってたみたいで嫌なので」
「可愛くない」
「可愛いだけの女なら、他にいくらでもいるでしょう」
「そうね」
私は椅子に座る前に、窓の外を見た。
東京が小さく見える。
こういう景色を見せられると、人はつい“上に来た”気になる。
でも実際は違う。
高い場所にいるだけで、上にいるとは限らない。
「それで」
麗華が脚を組んだ。
「条件を出すって?」
「はい」
「聞かせて」
「その前に確認したいんですけど」
「なに?」
「私を欲しいのは、顔ですか。話題性ですか。それとも従順そうに見えなかったからですか」
麗華は少しだけ笑った。
相変わらず、綺麗で嫌な笑い方。
「全部かもしれない」
「正直ですね」
「あなたもそうでしょう」
「私はもっと露骨です」
「わかるわ」
私はバッグから細いペンを取り出して、テーブルの上のメモパッドを自分のほうへ引いた。
こういうとき、紙に書くと相手は少しだけ本気になる。
言葉は流せても、文字は残るから。
「まず一つ目。専属に近い形にするなら、私生活への干渉はなし」
「夜の仕事も含めて?」
「そこは私が決めます」
「ブランドイメージに関わるわ」
「なら、私を使わないほうがいい」
「強気ね」
「最初からそう言ってます」
私は一つ目の条件の横に線を引いた。
「二つ目。SNS運用に口を出すなら、投稿内容の最終確認は私」
「当然、チームで管理するわよ」
「管理はどうぞ。でも、私の言葉を勝手に作られるのは嫌いなんです」
「みんなそう言う」
「みんなと一緒にしないでください」
麗華は黙った。
怒ってはいない。
でも、試している。
この女はどこまで自分を通すのか、見ている。
「三つ目」
私は続けた。
「契約期間中でも、私が不利益だと判断したら降りられる条項を入れる」
「それは無理」
「じゃあ私は受けない」
「一方的すぎるわ」
「そちらも十分一方的でしたよ。夜をやめろとか、仕事を整理しろとか」
「ブランドを守るためよ」
「私も自分を守るためです」
部屋が静かになる。
ホテルの高層階って、静かすぎて少し気持ち悪い。
下では何万人も動いてるのに、ここだけ音が切り離されてる。
「あなた」
麗華がゆっくり言った。
「本当に面白いわね」
「褒めてます?」
「ええ。普通はここで、もう少し可愛くお願いするものよ」
「お願いして通るなら、最初から苦労しません」
「そういうところ、好きよ」
「私はまだ好きになってません」
麗華はまた笑った。
この人、たぶん私に腹を立てていない。
むしろ楽しんでる。
自分に噛みつく女を、珍しい玩具みたいに見ている。
それが少し癪だった。
「四つ目」
私はペンを置いた。
「私に会いたいなら、仕事の話があるときだけにしてください」
「プライベートでは会わないってこと?」
「はい」
「食事も?」
「仕事なら」
「線引きが好きなのね」
「曖昧にすると、あとで面倒なので」
「私は曖昧なほうが好き」
「知ってます。だから先に言ってるんです」
麗華は紅茶を一口飲んだ。
カップの置き方まで綺麗で、少し腹が立つ。
こういう女は、たぶん若い頃から“ちゃんとしてる”で得をしてきたんじゃない。
ちゃんとしてるように見せる技術で、他人を黙らせてきたんだと思う。
「最後に」
私は言った。
「ギャラ、上げてください」
「まだ上げるの?」
「当然です」
「理由は?」
「面倒だから」
「正直ね」
「面倒な案件ほど高くないと割に合わないので」
麗華はしばらく私を見ていた。
その視線は冷たいわけじゃない。
でも温かくもない。
人を見るというより、価値を測る目。
「あなた、自分が何をしてるかわかってる?」
「交渉です」
「違うわ。試してるの」
「何を」
「私がどこまで許すか」
「そうですね」
「怖くない?」
「怖いですよ」
「そうは見えない」
「見せないだけです」
それは本当だった。
怖いものはある。
切られること、飽きられること、安く扱われること。
でも一番怖いのは、最初に飲んだ条件のせいで、自分の値段を自分で下げることだ。
それだけは嫌だった。
麗華はテーブルの上のメモを見た。
それから、私を見た。
「いいわ」
「どこまで?」
「二つ目と四つ目はそのまま。三つ目は条件付き。ギャラは少しだけ上げる」
「一つ目は」
「夜はやめてほしい、だったわね」
「却下です」
「ブランド側が嫌がる」
「じゃあ、私じゃなくていい」
「でも、あなたがいいのよ」
「だったら呑んでください」
言い切ったあと、自分でも少し笑いそうになった。
我ながら、可愛げがない。
でも可愛げで食べていくには、私はもういろいろ見すぎている。
麗華は長く息を吐いた。
初めて、少しだけ人間っぽい顔をした。
「期間中、表に出る夜の仕事は控える」
「表に出る、って?」
「撮られるような場所、噂になるような動きは避ける」
「完全にやめるわけじゃない?」
「ええ」
「それなら考えます」
「考える、じゃなくて?」
「まだ決めてないので」
「本当に手強いわね」
「よく言われます」
そのとき、私のスマホが震えた。
画面を見ると、拓巳からだった。
――今、話せる?
私は一瞬だけ迷って、スマホを伏せた。
麗華がそれを見ていた。
「彼氏?」
「違います」
「男?」
「そうです」
「切らないのね」
「仕事に関係あるかもしれないので」
「仕事熱心」
「生活がかかってるので」
麗華は何も言わなかった。
でも、その沈黙でわかる。
この人は、私の周りの人間関係まで把握したがるタイプだ。
やっぱり面倒だ。
交渉が終わって部屋を出ると、私はすぐに拓巳へ電話をかけた。
コール二回で出る。
「何」
『今どこ』
「ホテル」
『誰と』
「怖い女」
『雑すぎる』
「でも合ってる」
『笑ってる場合じゃない。ちょっとまずいかも』
「何が」
『この前、飛んだって言った子のこと、少しわかった』
「見つかったの?」
『いや、逆』
「逆?」
『消えたんじゃなくて、消されたみたいに処理されてる』
私は足を止めた。
廊下の絨毯がやけに柔らかい。
高いホテルって、足音まで消すから嫌いだ。
「どういう意味」
『事務所のプロフィールごと消えてる。撮影データも、SNSも、契約履歴も』
「そんなことある?」
『普通はない』
「普通じゃないってこと?」
『たぶん』
私はエレベーターの鏡に映る自分を見た。
昼の顔。
上品で、冷たくて、簡単には触れられなさそうな女。
でも今の私は、少しだけ目が笑っていなかった。
「名前は?」
『まだ確定じゃない。でも、案件はたぶん同じ線だと思う』
「証拠は」
『薄い。でも匂う』
「匂いだけで電話してきたの?」
『あなた、匂いで動くタイプでしょ』
私は小さく笑った。
本当に失礼な男だと思う。
でも、やっぱり間違ってない。
「会う?」
『会ったほうがいい』
「今夜は店」
『終わったあとでいい』
「眠いんだけど」
『じゃあ明日』
「今日がいい」
『だと思った』
電話を切って、私はエレベーターに乗った。
下へ降りる数字を見ながら、さっきの交渉を思い返す。
天城麗華は、私を高い場所に置きたがっている。
でも高い場所って、落ちたとき目立つ。
そして、前にそこへ上げられた誰かは、綺麗に消されているかもしれない。
面白くなってきた。
そう思った瞬間、自分でも少し嫌になる。
普通なら怖がるところだ。
でも私は、怖い話ほど値段を知りたくなる。
ホテルを出ると、昼の東京は何事もない顔をしていた。
信号が変わって、人が流れて、誰も誰かの裏側なんて見ない。
見ないほうが楽だから。
でも私は、見てしまう。
見たら最後、知らないふりができない。
正義感なんて立派なものじゃない。
ただ、自分の目の前で勝手に値段を決められるのが嫌いなだけだ。
私はスマホを開いて、真鍋に短く送った。
――条件、書面でください。
――口約束は嫌いなので。
送信してから、少しだけ笑った。
飼うつもりなら、せめて首輪の値段くらい払ってもらわないと困る。




