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フレッシュ  作者: 石鬼 輪たつ
第2章 sexy dynamite
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チャプター5  イニシエーション≪通過儀礼≫

 何気ない日の午後、水鈴みすずは≪学園≫の中で目を覚ます。食後のうたた寝ではない。

 とたん、知らないベッドから繊維せんいにおいが意識の内側へと流れ込んでくる。


 やわらかい落ち着きと、けむりいぶされるようなぬるさと……匂いに集中し始めたところで、水鈴みすずはそれが決して心地よいものではないと気づく。


 ゆっくり首を動かす水鈴みすず

 その視界は、すぐそばの人影をとらえる。

 いすに腰かけ、あしで振り子ごっこをしている。座った背の高さは水鈴みすずよりふた回りも低い。

 また、身に着けた白衣と、ベールのように透きとおる長い頭髪の助けで、人影はおもしろいくらい白く発光して見えた。



ソフム(先生)……?」


「ええ。おはよう。意識がもどったようで何より」



 発光体改め、ソフム。

 真っ白いモップのような長い髪に、目立つ大きな眼鏡をかけている。


 しかしそのソフムは、水鈴みすずの知る金切り声でも、他人を小馬鹿にした調子でもない、機械的な冷静さを思わせるおさな声をしていた。


 ソフムはいかつい安全靴を地に下ろし、かちんかちん、水鈴みすずまくら元に歩み寄る。

 ベッド脇でいすを拾ってまた着席すると、おだやかな表情を浮かべて水鈴みすずの頭を一度だけ撫でつける。



「あ、あの、なんで水鈴みすずはここに……」


「『ここ』って、君はちゃんとわかっているの?」



 その率直な問いかけに、水鈴みすずははっとなり、とっさに顔をフルフルする。


「もうっ。ここは医務室! それで君は講義のあと、席を立ったところで気を失ったの」



 ソフムから事情を聞いても、水鈴みすずはイメージが湧かないと口をとがらせた。


「あまり、健康状態がよくないように見受けられる。食事はきちんとってる?」


 真っ白い長い髪を肩に垂らしながら、ソフムは前かがみになり、水鈴みすずのベッド上にある領域を侵犯おかす。

 シーツに手をつき、ツンと突き出した鼻先を近づける。緊張した表情の水鈴みすずとの距離は、ごく間近いものとなる。



「食べて?」



 突然の申し出だった。

 言葉に続いてソフムがふところから、サックリと揚がったコロッケを水鈴みすずに差し出してくる。

 ころもの立つ、黄金こがね色をしたコロッケは情熱的な湯気を放っている。


 今にいたる数分間のどこかで電子レンジやトースターを使用しなければ実現しようもない光景だが――、



「んむっ!」



 熱々コロッケについて考察していた水鈴みすずの味覚と脳裏に、瞬間、焦げた小麦粉と甘ったるい肉の芳香が挿しはさまれる。

 ……我慢ならない。

 水鈴みすずは口へとねじ込まれた肉を、精いっぱいザクザクと噛みしめる。

 ソフムはそれを見て、してやったりと笑っている。



「食べたね。うしうし。油脂は、幸福感にかかるニューロンを活性化する。規則的な食事もよいけれど、時には息抜きの嗜好しこう品をってだね――」


「ヴォエっ! べっ! オっ」


「ちょっと! ひとが話しているところに。ごあいさつね」



 コロッケを食べた水鈴みすずが、ソフムの言葉をさえぎって嘔吐おうとした。

 清潔な白い掛布団に、黄色い吐しゃ物が飛び散り、粒子りゅうしの水玉模様がぱあっと広がる。シーツについたソフムの白衣の手にも同様の災害が降りかかった。



「ハッ、ハッ……なんっ、で、フレッシュミート……」


「牛肉のひとつでも使っていると思った?」



 さらなる嘔気おうきをこらえながら、ソフムをにらみつける水鈴みすず

 その背中を撫でさするソフムは、事態をおもしろく思ったのか、鳥のさえずりのように小さくクツクツと笑い声を上げる。



「興味深い……≪統制器≫は、自分でゲージを下げたのね?」



 水鈴みすずの返事を待つこともなく、ソフムが水鈴みすずの首元に手を当て、むき出しになった≪人倫統制器≫へとコードをす。

 ソフムはまたどこからともなく長方形の端末と、コードを介して水鈴みすずの≪人倫統制器≫とを接続する。

 端末は≪人倫統制器≫の修飾機能に係るゲージを操作するための機器だが、愛玩用(ウイルガ型)≪スキン≫に対する不同意の操作権限を持たないソフムは、端末上の表示のみを確認している。



「落ち着いた?」


「は、はい、すみません……」


「いいよ。ゲボは後で処理するから。それより、これはどういうこと? 『認知にんち』修飾どころかすべての機能のゲージが最大値。フルMAX。だのに、どうして拒食きょしょくが起きてるの?」



 ソフムは端末の画面を見せながら、水鈴みすずたずねる。


 当初の見立てでは、水鈴みすずかその家族が何らかの意図をもって、≪人倫統制器≫の『認知』修飾(殺人・共食いといった古典的タブーへの忌避感をなくす機能)のゲージを引き下げていることが、水鈴みすずの栄養失調に関与しているはずだった。

 そうであるならば、このソフムは水鈴みすずに常識的な食育指導を行うのみで、事のすべてを片づけることができた。


 しかし、操作端末かソフムが故障していない限り、ゲージ低下に起因する栄養失調・拒食ではないことがはっきりとした。



「……わかりません。ちょっと前から、食べたものすぐ吐いちゃって」


「菜食主義者の陰謀いんぼうね」


「パ、お父さんも、水鈴みすずがゲージをいじってないかって訊いてきて。見せたけど。でもそんなことしてません! だって、こんなに苦しい……」


「なるほど。……()()に加え、≪統制器≫由来でない特異的な拒食。ククク、好都合じゃないか! 君はすぐにも≪スキン≫を交換するべきだよ」


「なんでですか……?」



 水鈴みすずはまだ喉に残った胃酸の苦味を少しずつ飲み下している。

 やつれた水鈴みすずの顔に、興奮したようすでソフムが詰め寄る。



「決まりでね、君が寝ている間にとある検査をした。決まりだよ? 結論を言えば、君のなかに『ガン』が見つかった。食道ではなく肝臓……小ぶりな方だが、骨への転移も始まっていて手がつけられない。これは君の拒食とはなんら関係のないものだ。ガーン! ってね」



 感情(とぼ)しい声でソフムが、水鈴みすずを茶化す。


 ところが水鈴みすずは『ガン』の意味を知らなかった。



「えっと、その『ガン』っていうのは、そんなに深刻な病気なんですか?」


「おっと。生物科にいてそれを知らな――いや、今世いまや不要な知識か。≪スキン≫の寿命に関係なく死ぬやまい、とでも考えてくれたらいいよ。ちなみに君は1年半以内に()()可能性が高い」


「死、ぬって! そんな。なんで……」


 水鈴みすず汚物おぶつにまみれた掛布団を抱きしめ、おびえている。


 息抜きにとソフムは一度席を立ち、インスタントコーヒーをれる。イスに座り直すと、同時に紙巻きタバコを取り出して火をつける。水鈴みすずのベッドに灰皿はいざらを置く。

 ソフムはニコチンとポリフェノールの重なり合うところを吟味ぎんみし、よく味わうことで、恍惚こうこつとした顔となる。



「な、治らないんですかっ」


「治らないことはない。時間はかかるけれど。もし君が第一世代バーナムか、スポーツ競技を許可された学生だったのなら、治療と研究を並行できるよう私から便宜を図ることもできる。……君はその≪スキン≫(からだ)に、≪学園≫での使命にならぶ何かを背負っているとでも?」



 水鈴みすずが見せたけなげさ、あるいは悪あがきの幻想を、ソフムはつとめて冷静に、丁寧ていねいに粉砕した。



「何も怖がることはないよ。君の選択は2つに1つ――このまま最期の日まで苦痛に耐えて死ぬか、ただちに≪スキン≫をえて元の日常にもどるか。さすがに、フレッシュミートが食べられない原因も≪人命データ≫にあるとは考えづらい。その()()()を手放す方が、理にかなっているし、最も負担が少ないと思う」



 一本を消費し、新たな紙巻きタバコに火をつけ始めたソフムがぞんざいに告げる。


 医務室内に灰が舞うことも、一酸化炭素による息苦しさを覚えることも、水鈴みすずは意に介さない。

 ひとえにソフムの言葉を信じ切って、ぶつけようのない怒りと戸惑いの念に打ちふるえていた。



「まあ、親御おやごさんと話し合って決めるといい。私には何の権限も、価値もないからね。この場所も……そう。君の決定にしたがう。ひとまず今日は帰りなさい」



 ソフムは情け容赦のない態度で、水鈴みすずの上から掛布団を剥ぎ取った。

 肌着姿の水鈴みすずの身体があらわれる。

 ソフムは畳んである制服を手渡す。



「洗濯しておいたから。次は布団ね……」



 面倒くさそうにぼやいたソフム。


 水鈴みすずが受け取った制服の中に、シルクスカーフもきちんと折り畳まれている。

 体液らしい薄桃色は洗い落とされて元の白を取り戻しているが、水鈴みすずはそれがむしろよごれてしまったと感じる。



「ありがとう、ございます……」



 ソフムの手助けなしにベッドの上で着替えた水鈴みすずは、よろめきつつ立ち上がり、医務室を出て行った。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



「またかっ! またなのか!」



 ≪学園≫研究棟の医務室に、取り乱して叫ぶ声がとどろく。

 声を地面にあいたあなとすれば、医務室の空気は穴を埋めようと流れ込む砂礫されきのように急激に、シンと静まりかえる。ぶきみな静寂せいじゃくだ。


 怒号の主は、先日水鈴(みすず)嘔吐おうとさせた医務担当のソフムだった。



「私はほとけじゃない、それでも三度くらいは大目に見ようと決めていた。だのに……この不良め。どうして何度も何度も、周りに迷惑をかけようとするのっ」



 椅子に座るソフムは、ベッドの水鈴みすず語気ごきを強めて言い放つ。

 いかれる理由は、水鈴みすずの改心しない姿勢にある。


 『ガン』と発覚してからまさに1週間、水鈴みすずは≪学園≫でところかまわず失神しては、他のソフムや心配した学生に医務室まで搬送はんそうしてもらっていた。


 そして愛玩用(ウイルガ型)≪スキン≫の使命たる講義と研究の時間をなおざりにし、医務室のベッドの上で怠惰たいだな時間を過ごした。

 ついに本日、医務担当のソフムも水鈴の担任(じぇねこ)から「早く何とかするんじぇね」と指摘を受けたことで、我慢の限界に至ったのだ。



水鈴みすずの決めたようにさせてくれるって、先生言ったじゃん……」


「言葉のあやだ。好きにして構わないけれど、それはすじを通した上でのハナシ! 君はなんの対処もこうじず、本能のままに動かされているだけよ」



 ソフムはずれかけた眼鏡のブリッジを指で押し上げ、制しようという意図で言う。



「君の相談にのるつもりはない。ただ、君の意志があるのなら尊重はするよ」



 水鈴みすずは、ソフムに背中を向けてベッドへ横たわっていた。清潔な白い掛布団の角をぎゅっと内側へ抱きしめる。



「……みんな、今の水鈴みすずにはやく死んで欲しいんだ」


「何を言っている? 周りが求めているのは、はやくその≪スキン≫を交換することだよ」


「同じことです」


「ああ……わかった。君は()()の≪スキン≫だったね。初めての死が怖いんでしょ? さらに、それを自身で選択することも。だから前にも言ったけれどご両親に話して――」


「だからそれがイヤなんです! どうせパパたちに言ったら、水鈴みすずの気持ちなんて無視して≪スキン≫を替えようとする、決まってる! そうなるくらいなら、このまま苦しんで死にますっ!」


 水鈴みすずはソフムの忠告を受け入れず、ひっしの剣幕けんまくで思いのたけを叫んだ。



「このまま、と言うけれど……それは『ガン』で死ぬまで、という意味? なら、勘違いもいいところだよ。余命1年半とは言っても、それは延びることも縮むこともある。私は死神しにがみじゃないからね、未確定の予測だ」


「だったら、栄養シッチョーで死にます!」


「はあ? このバっ……コホン。1週間、君に付き合ってよくわかった。わきまえないガキだ。虚弱きょじゃくさをたてに自分本位の考えを通そうとする。……やつれているけれど、えてはいない。本当に死ぬ気も、ないくせに! そんな下賤げせんハンスト(ポーズ)で、他人を改心させられるわけがないでしょ」



 これまでかたくなに≪スキン≫交換をすすめていたソフムは、水鈴みすずのわがままにつられ、ついに純然たる私見を返していた。


 直後、やってしまったと顔をゆがめ、真っ白い頭髪を指でかいた。



「わ、悪かった。君の気も知らず……」



 ソフムの謝罪のべんを聞いた水鈴みすずは、ベッドに寝ながら、その泣きそうになった顔をソフムへと向ける。

 負け惜しみか、暴言か、ゆるしか、喜びか。

 何ごとかの感情には相違ないが、決して口にすることはなかった。



「本当はね、私こそ欠陥品なんだ。≪学園≫が外部に、愛玩用ウイルガ教育の先進性を誇示こじするためだけにもうけた医務室で……君たちの使命にも、永遠の命にも関与せず、存在しているのが私。君たちが対症療法なんて望まず真っ先に≪スキン≫を交換すると言ったら、もうそれだけで生きる価値をうしなう。それが私。君の行為よりも、ずっと必要がない存在。それが私だよ……」



 ソフムは白衣についたタバコのすすを手で払う。白衣のその箇所から灰色がより広がる。



「それでね、いつもはじめに言うんだ。早く≪スキン≫を替えるべきだ、と。私の元へ来て、無為むいな時間をすこしでも過ごさないうちに」


「……水鈴みすずはただ、この≪スキン≫で生きたいだけなんです」


「もうわかってる。けれど、どうして君はそこまで今の≪スキン≫にこだわるの? フレッシュミートが食べられないことも、『ガン』だって! ≪スキン≫を替えればなおるんだよ?」


「先生になんかっ、わかりませんよ」



 水鈴みすずはけんか腰の回答を、ソフムへと突きつけた。

 それから一秒でも早く逃げ出そうと、弱々しい身体をベッドから急いで起こす。衝撃で、ソフムが置いていた灰皿が医務室の床に落ちて、ひっくり返る。



「そうか……私はもう、かばわないから! 勝手にすればいい!」



 ソフムが怒声を上げる頃には、水鈴みすずの姿は医務室前の廊下へと出かかっていた。


 それを見て、激しいくやしさの念にられたソフムは歯茎はぐきをむき出しにして、廊下まで水鈴みすずの軌跡を追い立てる。

 覇気はきのない声で精いっぱいに罵倒ばとうを叫ぶ。



「わからずやあぁーっ!」

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