チャプター17 ポルーション≪汚染≫(1/2)
『いのちのこえ学舎』にて、ソフムが1体死んだ。
それでも日常はつつがなく執り行われる。
学舎食堂では、道副の玩具として連れて来られた愛玩用≪スキン≫のヤスナと、労働用≪スキン≫たちが決まった席に座り、夕食が始まるのを待つ。
平常時であればソフムたちが食事を運んで来て、配膳を始める時間からすでに1時間が過ぎていた。
「お待たせしましたーっ!」
行儀のよい女装ソフムが台車を押して食堂に入る。
他の女装ソフムも後ろに続く。
最後に道副が扉を閉め、席についた。
労働用≪スキン≫たちはそれを合図に立ち上がってソフムのもとへと群がる。
ソフムが台車の上の巨大なアルミ容器を開くと、湯気を立てる料理の匂いがいちめんに充満する。
労働用≪スキン≫たちはソフムから盆と食器類を受け取り、一列に並んで献立の品を一つずつ器に盛ってもらうと自身の席へともどる。
本日の献立は普段と変わらず、野菜中心の惣菜とドリュールのかがやく丸パンだが、珍しく塊肉が入ったシチューとミートボール、フライがついた。
肉は『工学骨格』という、筋繊維と電気刺激によって旧時代の家畜肉を生産する技術で作られた培養肉が1月に数回、供されることがあった。
しかし、塊で料理に使われることは初めてのことだ。
全員が合掌した後、労働用≪スキン≫たちはいっせいに食器を持った手を止め、打ち合わせしたように誰ひとり食べ始めることをしない。
「はぁあ……いい匂い!」
ただし、愛玩用≪スキン≫のヤスナのみが例外。
塊肉のシチューを前に歓喜の声を上げて我先にと頬張った。
肉を噛みしめ、花に喩えられる笑顔を花弁が反りかえるまで開いた、これ以上ないという表情を浮かべている。
ソフムが目の前で命を落としても、何ともなかったものが。
至福の笑顔を振りまいて、ヤスナが次々肉料理に手をつけ、間隙なく口へと運んでいた。
食堂内はもはやヤスナが立てる物音のみとなり、静寂さが立ちこめる。
全員を見渡せる特等席に座った道副は前を向きながら、ヤスナの姿を横目に注視する。
「ソフムの肉だから食べないのか?」
道副は部屋全体に聞こえる声で訊ねる。
返事はない。
労働用≪スキン≫のいずれかがはっと息をのむ。
また別のものが嗚咽をこらえ、震えている。
そのとき、道副は激怒して怒号を飛ばした。
「お前たち、せっかくの肉だというのに! 食え! これも教育だ!」
顔を赤くする道副。
近くの席の労働用≪スキン≫を掴まえ、手前の肉片にフォークを突き立てて無理やりにでもその口に喰わせようとする。
道副の横暴は今日にはじまったものではないが、見かねた労働用≪スキン≫の何体かは不快感に耐えきれず、大声で泣き始めてしまった。
ソフムたちが駆け寄り、泣いているものを慰める。
食堂はひといきに喧噪の巷と化した。
――同時に、1体の労働用≪スキン≫の勇姿がひといきにその場を治めるファクターとなる。
ある1体の労働用≪スキン≫は打楽器のごとく食器を打ち鳴らしながら、肉料理をかっ込みだしたのだ。
ガツガツ、という擬態語の通りの激しさで。
目の前の皿がすぐ空になる。
放置していると、右手左手向かいの≪スキン≫たちの食事にも手をつけんばかりの勢いがあった。
突如現れた勇敢な≪スキン≫に影響された子どもたちも、同じ手法で料理を摂取しようと挑んだ。
表情筋が苦悶しながらも何体かが同じように完食を果たす。
別の≪スキン≫も、涙とソフムを退けて完食を目指しはじめる。
勇姿は波及し、ドミノ倒しのように空いた皿の光景が広がって行き、1時間もしない間にすべての労働用≪スキン≫まで行き渡った。
終わりの合掌。
ソフムたちは片づけと清掃をはじめる。
子どもたちはそれとなく参加しつつも、やはり何体かは嘔吐をこらえきれなかった。
仲間たちは食べカスのみならずその吐しゃ物も、輪になって片づける。
ヤスナは労働用≪スキン≫たちに起こった出来事の一部始終に、胸で熱いものを感じ、視線を離さなかった。
らんらんとした目に≪スキン≫たちを映す。
掃除の時間が終わる前に、道副は断りもなくその状態のヤスナを私室へと連れて行く。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
深夜、道副の私室からもどり、寝室で眠っていたヤスナはなかなか寝つくことができず、気晴らしのために廊下へ出る。
夜目が利かず、月明かりの窓際と手すりをもって歩く。
労働用≪スキン≫たちが集まって寝る部屋までは行くつもりがなく、もう少し、もう少しだけと慎重に歩を進めて眠気を誘う意図だ。
ところが、掃除用具や教材を入れるための物置に差しかかったところで、気になる話し声がヤスナの耳に入って来た。
話し声のような風の音――というには、他へ聞かれてはまずいと音量を抑える手心を覚えうるものだ。
ヤスナは意識せず足音をころして物置の戸の前までやって来る。
戸に手をかけるとスライドして開く。
物音になるギリギリのところで手加減し、隙間を作った。
体の平らなヤスナはその隙間を通って物置の中に入る。
物置のただ一つの窓が開放され、照明なしに燦として明るい室内では、労働用≪スキン≫の2体が星空を眺めていた。
手元にボロボロの古めかしい星座早見をもって、2体は指を絡ませるように差し合う。
「ねえ」
ヤスナは互いの手心を台無しにする声量で、≪スキン≫の2体へ話しかけた。
当然ながら2体は動揺して振り返る。
自分たちとは異なる……また教職用とも第一世代ともちがう、色のついた≪スキン≫が立っているのだ。
恐ろしさを感じる。
それがヤスナであるとわかって落ち着いても、2体は警戒の姿勢をくずさなかった。
「なんだよっ」
「そこには何があるの?」
ヤスナの問いかけに、2体はしばらく押し黙る。
1体がヤスナに応えようとして口をカパッと開くが、もう1体がそれを止めさせる。
「……いい。それより、なんでさっきは泣いていたの? あんなにおいしいゴハンだったのに」
「もーいいだろ、どっか行けよ!」
「あんなにおいしい……」
ヤスナは腑に落ちないと口を尖らせる。
≪スキン≫たちに拒絶の意志を示されても、納得を得たくてその場にたたずんだままでいる。
「ヤスナ」
3体の≪スキン≫の後方から声。
声だけで、3体はそれを発したのが労働用≪スキン≫だと判別できる。
名前を呼ばれたヤスナが小首を傾げながら後ろを向くと、他の≪スキン≫より少し体の大きなものが1体。
見ればそれが夕食の際、率先してガツガツとソフムの肉を食べてみせた≪スキン≫と同一個体であるとわかった。
「あまり素っ頓狂なことを訊くな。周りはおびえている。もし話がしたいなら、オレと来い」
「わかったわ」
ヤスナは軽々了承する。
そしてあいさつもなく、物置の労働用≪スキン≫の前から立ち去る。
名前を呼んだ≪スキン≫の先導で、ヤスナは学舎屋外のパラソルめいた樹木までやって来る。
夜でも、遮蔽物のない草原の中では、月に照らされた樹木の木陰が色濃い存在感を放っている。
ヤスナは木陰の外に立ち、労働用≪スキン≫の1体は木陰に座る。
やや姿が見えづらくなる。
ヤスナが≪スキン≫を注視すると、そのそばに草の絨毯を掘り返した跡のような土色模様があることもわかった。
「あなたはわかる、その、聞きたいこと」
「あなたじゃない、彩人だ。お前にヤスナと名前があるように、オレにも名前がある」
「初めて聞いた……」
「そりゃ、お前に言ったのが初めてだからな」
労働用≪スキン≫が勝ち気な性格をにじませて、妄言を言う。
ヤスナの頭は一度自身の疑問を置き去りにして、≪スキン≫の名前のことでいっぱいになる。
「誰につけられたの?」
「誰でもいいだろ。それよりいいのか、知りたいことは?」
せっかくのヤスナの疑問は晴らされなかった。ええと、とヤスナが再び考え直す。
「そうだった! なんで、ゴハンの時にみんな泣いて、あんなにイヤそうだったの?」
「それは、胸が痛いからだよ」
「むね? どこ?」
「そこだよ」
ヤスナが自身の体をさすっているところに、労働用≪スキン≫は手を伸ばしてヤスナみずからの手で胸の位置を確かめさせる。
「ソフムたちがデッカいのぶら下げてるとこだよ」
「ここが胸。……ヤスナは痛いってならなかったわ。なんで、ヤスナだけならなかったの」
「じゃあ、みんなが泣いてるとき、ヤスナの胸はどうなってたんだよ?」
労働用≪スキン≫が訊ねる。
またヤスナは言葉の意味を解釈することに少しの時間を要した。
「ぱーって、明るくなって。だっておいしかったから」
「お前。大好きなひとが死んで、肉にされて、それ食ったら胸ん中がぱーってしたってのか?」
もはや労働用≪スキン≫が、ヤスナを一問一答形式へと誘導しているような状態だった。
ヤスナにはそれを退けるだけの思考力すらもなかったためだ。
ヤスナはまだ労働用≪スキン≫からの問いに対し、何と言えばいいのかと苦慮していた。
しびれを切らした労働用≪スキン≫が先に言葉を呈する。
「もういいよ。お前は何も悪くない、本当は何も、悪くない。全部、≪人倫統制器≫って……お前の首に着いてるその黒いののせいなんだよ」
「黒いの……これ、ソフムにも、ぱぱにも着いてるよ?」
「ああ。それは、全部の『痛み』を感じなくするキカイで、お前らが都合よく生きられるようにするためのものだ。……それで痛みが、初めからなかったように錯覚してるだけ。踏みにじっていい理由にはならない」
「そっか。でも、彩人にはない」
「『どうして?』だろ。理由は知らない。でもオレたちは、そんな嘘吐きのキカイに頼って、楽に生きてるフリをしてるお前や道副とは違う! だから、オレたちのことなんか、お前らにはわかりっこないってことさ」
労働用≪スキン≫が冷淡に告げ、立ち上がる。
「お前、じゃないよ。ヤスナにもヤスナって名前があるの」
「そうか。それは悪かったな。話はこれで終わり、もう変なこと訊いて来るなよ? じゃあな」
一方的に話を切り上げた労働用≪スキン≫は、学舎にもどっていく。
ヤスナは木の下に取り残される。
色濃い陰の中、土が掘り返された痕跡を改めて見るヤスナ。
瞬間、先ほど教わった≪スキン≫の胸という場所で、別の生き物が鱗をぶつけながら這うような奇妙な感覚がする。
ヤスナは拳を握りしめ、取っかかりのない胸郭の上に、定まらないようすで押し当てた。
「全部の痛み、感じなく……。でも、痛いよ。なんで?」




