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フレッシュ  作者: 石鬼 輪たつ
第3章 hit a Satan
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チャプター9  エクセプション≪裏技≫(1/2)

「えっ、大会? すごいすごいっ!」



 そのとき急に声を張り上げ、身振みぶ手振てぶりではしゃぎだす水鈴みすず


 今月末、枝保しほが、他の都市で開催される陸上競技大会へ出場すると知ったためだ。


 走行練習を終え、苦しそうに浅い呼吸を繰り返す枝保しほは、水鈴みすずとなりに座ってはにかみ笑いを浮かべる。



「そんなにすごくないよっ。センシュケンに比べたらすっごく小さい、選手同士のれ合いみたいなもんだし……でも、この≪スキン(からだ)≫で大会に出るのは、初めてなんだ」


枝保しほさんなら大丈夫ですよ。ぜったい!」



 まゆ根を寄せる枝保しほへ、水鈴みすずはげましの言葉をかける。

 枝保しほは微笑みを返す。


 手にステンレスの水筒を持ち、ストロー口から音を立ててきゅうてつする。

 不透明な容器の中身を見ることはできないが、接続した枝保しほの内側へ600シーシーがぐんぐん流れ込んでいることは、水鈴みすずにもわかった。


 容器を一息に飲み干した枝保しほ

 大きな吐息をついた後、冷静おもむろに切り出す。



「よかったら、応援に来てくれないかな? 実はけっこう緊張してて……不安、なんだ。他の子は≪スキン≫も変えず、努力を積み重ねてる。身体の大きさは変わらないけど、経験とか想いとか……そういうので負けてる気がするの」


「えっ、行きたいです! 行きます!」


「即答じゃん。ありがとっ。じゃあ……ま、集合時間きまったら連絡するね」



 水鈴みすずの快活明朗さに、気が引けたような表情を浮かべながら枝保しほは礼を言う。


 陽光がついにビル影へと飲み込まれ、一日の夜の時間となる。

 水鈴みすず枝保しほは運動公園の入口を出たところで別れる。


 帰り際、水鈴みすず枝保しほに「がんばってーっ!」と声援を送った。


 枝保しほは気が早いなと含み笑いをして、水鈴みすずに手を振る。

 「いいしらせを持って帰るよ」という枝保しほの声に嬉しくなり、水鈴みすず諸手もろてを振り返した。



「またねーっ!」



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 ≪学園≫医務室での出会いから、2人の関係は1か月以上続いてきた。


 死に行く身体の水鈴みすずにとって、枝保しほこそが、今を生き続ける理由となっていることは明白だ。


 枝保しほの行く末を見守るため、水鈴みすずは生きていると言っても過言ではない。


 しかしそれが、出場選手でなければ第一世代(バーナム型)≪スキン≫と同等の権限も持たない水鈴みすずの、講義欠席と遠征を許可する根拠とはなり得かった。


 水鈴みすずの父親経由で事情を知った担任ソフムは、くだんの大会数日前に水鈴みすずのもとへやって来ると、右の言い分をもと水鈴みすずを説き伏せる。


 「無理は通せないんじぇね。おとなしく講義に出るんじぇねよ」と、その気の抜けるまぬけな声に、その実水鈴(みすず)はすっかり打ちのめされた。


 ことわりを入れるため水鈴みすずは、枝保しほを探すも出会えず。

 医務室のソフムに言伝ことづてを頼んだ。



 晴れない表情のままで水鈴みすずは生涯クラスの教室にもどり、一般学生の1人として講義を受ける。


 次の日も同じように過ごした。

 次の日も。

 その次と次の日は≪学園≫の講義が休みの日であるため、母親の買い物と外食に付き合った。


 大会当日も≪学園≫で、途方もない時間を講義と研究にいそしんだ水鈴みすず

 その最中に枝保しほから連絡はなかった。



 カレンダーを切り替えると、水鈴みすずは晴天の下で≪学園≫へと向かう。


 いつもの通学時刻のバスに乗り、見慣れた道路にう人や車をながめる。

 バスが≪学園≫正門前に到着する。降車する水鈴みすず

 その横を、同じ顔の人間たちがぞろぞろ追い越して≪学園≫の中へと歩いていく。水鈴みすずもいつとなくその流れに混じった。


 正門から遠く離れた研究棟の、生涯クラス・生物科では何人かの仲の良い学生が、水鈴みすずの到着を待っていた。

 水鈴みすずは学生たちとあいさつを交わす。席に着くと、いつもの顔ぶれの見慣れた後頭部が並ぶ。



「あっ、ちょっと待ってて」


「いつもの?」



 水鈴みすずの申し出にき返した愛玩用(ウイルガ型)≪スキン≫の顔を向き、こくりとうなずいた水鈴みすず



「おけおけ。じぇねこが来たら、テキトーに言っとくね」



 理解ある返答をくれる学生に、ふたたびうなずいた水鈴みすずは、そそくさと教室から立ち去る。


 水鈴みすずは医務室を訪れる。

 戸を開くと、コーヒーと紙巻きタバコの臭気が渾然こんぜん一体となったものが、いっせいに水鈴みすずを包み込んだ。


 発生源にはソフム。

 水鈴みすずと目が合った瞬間、何を言わずともデスク横の薬品棚からオピオイドの入ったカートリッジを取り出し、注射器の準備を始める。


 水鈴みすずはベッドに腰かける。ソフムが振り返るのを待った。



「そういえば……」


「あいさつもくれないんですか?」



 図々(ずうずう)しい言葉をかけた水鈴みすずに、振り返ったソフムが幼子おさなごつらで、ムッとした顔つきを見せる。



「お、は、よ、う!」


「おはようございます。ふふっ」



 ソフムをからかって笑う水鈴みすず

 

 ソフムがやって来て水鈴みすずの細腕をつかまえる。注射器をかまえられても、水鈴みすずは動揺を見せない。



「深く息を吸って?」



 ソフムの指示に従って、水鈴みすずは胸を上下させる。

 激痛に、少しのあえぎを漏らす。その間にソフムは無遠慮なようすで注射針を刺した。



「痛みの加減はいかが?」



 ソフムが茶々を入れるも、水鈴みすずはスルーする。身体の痛みが消えていく感覚に集中しているためだ。


 それは水鈴みすずにとって、いかなるなぐさめや興味をひく言葉より、信頼に足る感覚だった。



枝保しほくんのこと、気になる?」


「えっ。そりゃ、まあ……」


「以前、あの子も『ガン』になってね。経過観察と鎮静剤の投与は、私が。君みたいに言いつけを守ってくれたらいいんだけれど……枝保しほくんは『走っても気持ちよくないから』と、途中で薬をやめてしまった。繊細なんだろうね、苦しいくらいに」



 ソフムの注射器を持つ手が震える。

 間もなく、水鈴みすずの中に鎮静剤を注射し終えた。ソフムは同じ手で、注射器と灰皿に置いた紙巻きタバコを交換し、焼け焦げた快楽を思う存分にたしなんだ。



「今の≪スキン≫で3代目だって聞きましたけど」


「ふぇっ、そうなの?」


「知らなかったんですね。2代目の枝保しほさんのことは?」


「さあね。その言い草だと、2代目は『ガン』になっていないんでしょ? 私は『ガン』になるような、()()()のためだけのソフムだから。埒外らちがいのことには詳しくないんだ」



 ソフムは自虐半分に、水鈴みすずへの当てこすりを口にする。



「み、水鈴みすずは、経過観察とか、しないんですか……?」


「しないよ。言ったように、治すものでもないし、寿命の見込みも1年まるまるは残ってる。あの子はアスリートだったから、≪スキン≫を最後まで使いつぶせるように定期的な検査をしてあげた。それだけだよ」



 戦々恐々(せんせんきょうきょう)と訊ねた水鈴みすずの期待を真っ向から砕く目的で、ソフムは淡々と答える。



「そして、今回の枝保しほくんについても、私にとっては埒外のようだ。……先ほど、しらせが届いてね。水鈴みすずくんには関心事だったでしょ?」



 水鈴みすず呆気あっけにとられていた。


 ソフムは水鈴みすずの波乱の胸中をおもんぱかることなく、枝保しほ――正確には、枝保しほの両親からのしらせについて語り出す。


 それは枝保しほが競技の最中に負傷し、失格となったという内容だった。



 ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 枝保しほが競技中に負傷し、失格となった――。


 それはソフムによる説明の冒頭部分における要約であり、真実とは少し異なる。


 負傷と失格に直接的なつながりはない。


 『負傷』とは枝保しほの左脚が障害ハードルと接触した際、脛骨けいこつが砕け、肉が裂けて競技続行が不可能となったこと。

 選手の過失はあれども、反則行為にはあたらない。


 ところが、大会運営者は枝保しほの記録が『記録なし』となるべきところを『失格』としている。


 そこに何らかの事由じゆうがある。そうに違いない。

 疑り深い水鈴みすずは真実を知るために、なんでなんでとソフムにせまった。


 ソフムは最後まで事由に言及することをしぶっていたが、ついに折れて水鈴みすずにすべてを話した。



「≪憲章けんしょう≫違反の、遺伝子組み換え……?」


「ああ。ドーピングのたぐいだろうね。いわゆる薬剤ドーピングなら大目に見てもらえるけど、遺伝子となるとマズい。水鈴みすずくんも、≪スキンルーツ≫に由来しない遺伝情報で≪スキン≫を作製することが≪憲章≫違反なことくらいは、知っているでしょ」



 それが、失格の原因だ。接触事故後、何らかの検査を行ったことで発覚した可能性が高いとソフムは添える。

 強い規範意識をもつソフムの指摘に、水鈴みすずおどろき、肩をふるわせた。



「もし……ううん、事実、それをした≪スキン≫はどうなるんですか?」


廃棄はいきだ」


「――っ!」



 ソフムの返事を聞いた直後にも、水鈴みすずはベッドから跳ね上がり、外へ飛び出そうとした。



「そうでなくともっ!」



 ソフムが叫び、水鈴みすずの足を止めさせる。



「そうでなくとも、枝保しほくんの親御さんは壊れた≪スキン≫を、すぐにも4代目に替えるだろう。誰も、使い物にならない≪スキン≫で生きることなんて望まない」


水鈴みすずは、そうは思わないっ! 枝保しほさんは≪スキン≫を替えることに、本当はすごくおびえていて、つらくて、しょうがないんです。もうずっと前から壊れてるのに、見栄みばえだけ取りつくろって……だから、これからなんです。3代目(いま)枝保しほさんはっ!」


「『ずっと前から壊れてる』って……後半の方は、君の勝手な意見でしょ?」



 冷静なソフムが突き放すように言う。

 それにムッとした表情を浮かべる水鈴みすず。内出血のあざのごとく、ほおが赤くはれ上がっている。



「……もう行きます」



 深呼吸の後、向こう見ずの水鈴みすずは医務室から出ようとする。



「待って。……靴が脱ぎっぱなしだ。あと、許可なく市外へ出ることは、愛玩用ウイルガ僭越せんえつというものだよ。おとなしくして、いっしょに枝保しほくんの帰りを待とう?」



 ソフムは穏やかで幼くも、威厳ある口ぶりで水鈴みすずをさとす。



水鈴みすずは行きますっ! 第一世代(パパたち)が許してくれるもんっ!」



 水鈴みすずは聞く耳をもたなかった。

 怒号を上げると、靴下のまま廊下へ、そのまま≪学園≫を出て行く迫力でソフムの前から姿を消した。


 医務室に1体だけ取り残されたソフムは、ベッドに背中から倒れる。

 真っ白いモップのような長い髪がばっとおうぎのように広がる。


 大の字に寝そべって、短く小さな嘆息たんそくをした。



「ああ、ダメだったか。これで完全敗北のようね、枝保しほくん」

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