エクセプション≪裏技≫(2/2)
靴下のまま自宅に帰った水鈴は、父親の心配をよそに、市外への一刻も早い出発をねだった。
父親が事情を訊ねても、水鈴の口から発せられる説明はいずれも要領を得ないものだ。
しびれを切らした水鈴の父親は「準備があるから、午後の出発だよ」と条件未満の提案の下、水鈴の願いを聞き入れた。
物言いをつけるだろう水鈴の母親は運よく不在であったため、2人での旅路を約束し合う。
そして約束の時間となり、水鈴と父親は都市バスを経由し、市外に向けた鉄道線へアクセスする。
陸上競技大会の開催都市まで、およそ1時間。
町どころか、村という村もない鬱蒼とした森林の緑の車窓を、水鈴は熱心にながめ続けた。
水鈴たちは当該都市に到着する。
駅舎を出て、目の中に飛び込んでくる街並みは、水鈴の住む都市を写生したようにそっくりだ。
「えっと会場は……」
「たぶん、居住区のどこかだよ。スポーツ大会を『政府』が開いてるわけない。街の人たちが主催してると思うから。とにかく早く行こうっ、パパ!」
「お、おう。妙に詳しいな……」
水鈴の主導により、2人は都市中心にほど近い居住区へと向かう。
そして、水鈴がにらんだ通り、西部一帯に運動公園として整備された土地があることを突き止める。
水鈴が行くと、巨大な運動場の建物が姿をあらわす。
圧倒される水鈴の父親。
彼をその場に置き去りにして、水鈴は建物の関係者入口へと馳せつけた。
「すみません、佐谷選手の関係者でっ! あの、ご家族は――」
水鈴は、受付のスタッフに声をかけるが、途中で言葉を切る。
水鈴の目の前にいるスタッフの口紅をつけた第一世代≪スキン≫こそ、まさしく枝保の親のいずれかだった。
「水鈴さん? どうしたの。来れないって聞いてたけど」
「あの、枝保さんはどうなったんですかっ!」
水鈴は受付カウンターをドンッと叩きつけ、切羽詰まった顔を枝保の親の顔に近づける。
そこで、ようやく水鈴の真意を悟った枝保の親。
目を閉じ、うーんと唸りを上げると、おずおず答えた。
「もう、≪スキン≫がダメになっちゃってて。どうして連れて帰ろうかって、困ってるの」
「それはっ! 死んでる、って、ことですか……?」
口にした刹那、水鈴は発言を早まったと後悔する。
ソフムに聞いたときも、これまでも、そのようなことは誰ひとり断言していなかったというのに。
そして、枝保の親を見ると、困惑した表情でうなずいている。
水鈴はたった今、自身によって、自身の中の枝保を殺したのだ。
「そんな……なんで、また。また、助けられなかった……」
頭を垂れ、受付カウンターに額をなすりつける水鈴。
涙の音を立てて、しゃくり声をひとしきり上げると、すっかり静かになる。
「えっ、と、枝保まだ控室にいるけど……」
枝保の親が失笑のうちに冗談を言う。
水鈴は何も返事をしない。
しかし、しばらくすると面を上げ、憔悴した目の焦点をなんとか枝保の親に合わせようとする。
「何が原因で、亡くなったんですか? 失血死、とか敗血症、とか……それか、水鈴が知らない病気、だったり?」
「そんなけったいな病気なんかじゃないわ。自分で死んだだけよ」
「……自分で? 自分で死ねるの?」
水鈴は初めて自分を『ガン』にした時と同じように、己の無知を鮮烈に意識した。
驚異の感情。是正しなければならないという、神の天啓がごとき抗いがたい感情に、水鈴はのみ込まれる。
「うん。こう、首にひもをかけてね。輪っかを作って。ぐっとやると――」
「もうやめて! お願いっ、う――ぇっ、えっ、が!」
「あらあら、ごめんなさいね。悲しませるつもりはなくって……」
再び顔を伏せた水鈴。
それはむせび泣いているのではない。
水鈴は受付カウンターの足元に、凄絶な嘔吐をくり返している。
首に巻いた漂白されたシルクスカーフの下で、≪人倫統制器≫がギュンギュンと激しい音を上げる。
カウンターボックスから出てきた枝保の親は、うずくまる水鈴の背中を優しく手でさすってやる。
2人の姿を、しばらく前から傍観していた水鈴の父親が、牽制のせき払いをする。
「枝保は、いつも自分で≪スキン≫を交換するようにしてるから、あんまり気にしないで」
「いつも……」
水鈴は枝保の親の言葉をおうむ返しする。
そして記憶回路が、いつかの枝保を回想した。
『替えるのに慣れてくるとね、だんだん大事にしなくなってくるんだ。壊れたらまた替えればいいって。当たり前のことだし』
『枝保さんは、怖くないんですか……死ぬこと』
『怖かったよ。初めては。でもさ、≪スキン≫を一ぺんでも替えると、死ぬってのがないってわかった』
そうだったのか。
そうだと、厳然たる残酷が、水鈴の中の華やかな枝保の姿――1枚の計られた写真のような姿を容赦なく炙る。
まだ火力が足りない。
これでは、写真は焼却されるというより、セピア色の思い出となり脳裏に焼きつきそうだ。
「大丈夫! 街に帰ったら、また枝保に会えるから。ねっ!」
「会えませんよ……」
「えっ」
突然顔を上げた水鈴。
口元のゲロをすする。
枝保の親はおどろいて、手を後ろに引っ込める。
水鈴はかすれた声でくり返した。
「もう、会えません」
水鈴の言葉が拒絶ではなく、『諦め』であることは枝保の親にもわかった。
2人はしばらく口を噤んで見つめ合う。
「もう帰ろう」と、水鈴の父親が言い出すまで、水鈴は膿を出すように、枝保の親の眼前で涙を流し続けた。




