8.ハルムート・ヴォルデ
「こん、こん」
「騎士長。異常報告です」
ハルムート・ヴォルデは顔を上げた。扉の前に直立し、恭しい表情を浮かべる金髪の若者を見る。
「入れ、ヴォルケル」
言いながら、ペンを置き、眼鏡を外し、鼻の付け根を揉んだ。
「また貪りの胚の件か? あの狩人どもが……」
老人の目は稲妻のようだ。立ち上がり、机に積まれた書類を見て、大きく息を吐く。
「ロズモアの蟲どもめ」
座っているときは、ただの穏やかな老人に見える。
だが立つと、小山のように頑健だった。シャツの下から硬い筋肉の起伏が透ける。引き締まった顔、白の混じった髪。怒らずとも威がある。
ヴォルケルは外の者に会釈し、静かに扉を閉めて中へ入る。
「申し訳ありません、先生。今回は、新しい件です」
「新しい件? あの低能ども、吠えることしか能のない子犬どもが起こす面倒より、大きいものがあるというのか」
ハルムートは拳を握り、机を軽く叩いた。機械で組まれた腕が、きりきりと金属の擦れる音を立てる。
「ごん」――書類が跳ねた。机の表面に、うっすらと亀裂が走る。
「くそったれ。奴らがいなければ、今ごろ私は悠々と隠居を楽しんでいる。親の顔も見てないような小僧どもが。ああ、忌々しい。そのうち、奴らの母親の墓石で拳の稽古でもしてやる」
ヴォルケルは口元を引きつらせ、言わざるを得なかった。
「先生、お体裁を……」
「何が体裁だ」
ハルムートは鼻を鳴らし、何でもないように、ヴォルケルの背後へ目をやった。
「扉は閉めたんだろう」
ヴォルケル「……」
(それが、罵声をまき散らす理由ですか)
「……分かりました」
ヴォルケルは仕方なく頭を掻き、まず書類を机に置いた。それから言う。
「狩人の動向を追っている偵察員が、二十三番街でグリムを見ました」
「誰だ」
ハルムートの顔色が、急に厳しくなる。目から鋭い光が飛ぶ。
「グリムです。コルム・グリム。"黒面の蛇"。オルデル協会が認めた破壊級の黒魔術師。二年前、霜の尾根の戦いのあと、行方を消しました。現在、我々が懸賞をかけています。賞金額の引き上げには、塔の内部から大量の匿名の反対書が届いております」
ヴォルケルは、師の反応を予期していた。流暢に、標準的な資料を述べ立てる。
ハルムートは冷笑した。
「やっと出てきたか。あの蛆虫め、永遠に下水の底で震えていると思っていたが」
ヴォルケルは、ええと、と小声で言う。
「ですが、彼が必ず生きている、必ず戻ってくると、先生が確信して、懸賞金を上げ続けたのでは……」
「当然だ。私ほど、あれを知っている者はいない」
ハルムートは、自分の腕を見下ろした。オルデル協会が提供した、完全な金属の義肢だ。五指を閉じて拳を作ると、歯が浮くような機械音が鳴る。
二年前の一戦で、彼は右腕を失った。だが同時に、グリムの体の半分を吹き飛ばした。
多くの者は、グリムは死んだと思っている。
だが彼には、予感があった。あの男は、必ず戻ってくる。
「まさか、ロズモアにいたとは。灯台下暗し、か。ふん、成長したな。あのクルミのように縮んだ脳に、水以外のものも入ったようだ」
ハルムートは両手を机に置く。
「二十三番街で、何をしていた」
ヴォルケルが答える。
「偵察員の情報によれば、ごく普通に見える書店に入り、一時間以上滞在しました。本を買うか、借りるかしたようです」
「言語で力を得る黒の魔術師が、本を買う? 馬鹿げている。その書店には問題がある。背景は調べたか」
「はい。ヴァレッティ商会の名義の書店で、営業三年、信用は良好。客は少なく、商いは閑散としています。唯一の異常は、店主が異邦人らしいという点です。黒の魔術師の拠点と疑っていますが、確証はありません」
「何が不確かなんだ」
ヴォルケルは言いにくそうにした。
「ヴァレッティ商会は、ドルイドの聖職者の資産です。彼らは自然と森の信徒で、黒の魔術師と組むとは考えにくい。我々が踏み込んで商会の名誉を損なえば、ドルイドたちがクレーフ塔に抗議に来るかもしれません」
ハルムートは机を叩いた。
「くそっ。あの、草しか食わん面倒くさがりどもが」
「あの、ドルイドは草食ではありませんが……」
「知ったことか。誰だって闇の手先になりうる。そして我々騎士の務めは、闇を掃き清めることだ。グリムがその店に一時間もいた。まさか、そこで世間話をして、本を読んで、茶を飲んでいたとでも?」
「おお、我が愛弟子ヴォルケル。極悪非道の黒の魔術師が、復讐に燃える男が、どこにでもある書店で、読書を?」
「本気でそう思うなら、この尖ったミスリルの靴で、その尻を思い切り蹴り飛ばしてやるぞ」
ヴォルケルは散々に罵られ、それでも口を挟めず、愛想笑いを浮かべた。
「ですが先生。ヴァレッティ商会は、我々情報科に経費の四割を出しています」
「……」
ハルムートの顔が固まった。二度、深く息を吸う。それから机の後ろから出て、ネクタイを締め、外套を羽織った。魁偉な体躯と合わさって、「スーツ姿の暴力」がここに完成する。
「いいだろう。私が直接、二十三番街へ行く。あの書店が何者なのか、この目で見てやる」
「はい、先生」
ヴォルケルは頭を下げ、扉を開けた。
ハルムートが大股で出ていく。枝のように入り組んだクレーフ塔の内部通路を歩くと、行き交う者たちが進んで礼をする。
「騎士長、こんにちは」
「光輝の大騎士さま」
「科長、おはようございます」
「お食事は済みましたか」
――ハルムート・ヴォルデ。
クレーフ塔の十人の光輝の大騎士の一人。もっとも、それは前任だが。
グリムと霜の尾根で戦ったあと、相手は深手を負って逃げ、行方を消した。そしてハルムートは、体と精神の損傷により、半ば隠退して、クレーフ塔の情報科へ移った。
「ふう」
彼は中央のエレベーターのボタンを押す。籠が動き、ゆっくり下りていく。
クレーフ塔は、高さ三百メートルの塔だ。周囲を蜂の巣のように取り囲む庁舎と、縦横に走る内部通路が、巨大で厳密な体系を形作っている。
情報科。育成科。戦闘科。兵站科。
古から元素の力を受け継いできた騎士たちは、今も世界の悪を掃き清めるために動いている。
最も中央にある四十九基の大型エレベーターが上下を貫き、日々、数千の職員を運ぶ。まるで、燃えるたいまつの束だ。
「神谷彼方、か。……見せてもらおう、何者なのか」
ハルムートはゆっくり開く扉を見て、資料を懐に押し込み、呟いた。
そして、ふと自分の目を押さえる。
「……くそ。また、あの幻覚だ」




