15.真の親友
ハルムート・ヴォルデ。前・光輝の大騎士。
「黒面の蛇」コルム・グリムが、先日、二十三番街の名もない書店に現れ、一時間以上も滞在していた――極めて不審だ。そう聞いて、調査に来たのだ。
来る前に、この店の資料には目を通していた。
相手が破壊級の黒の魔術師に関わる件だけに、報告が上がる過程で一度は整理されている。状況は、はっきりしていた。
この店の背景は、呆れるほど綺麗だった。いや、空白と言っていい。
店主の神谷彼方。黒髪に黒い目の、北嶺から来た異邦人。三年前にここで書店を開き、やがて手にした価値の高い書籍が縁で、ヴァレッティ商会の副会長に気に入られ、保証を得て、正式に登録営業するに至った。
いずれも商会の内部で閲覧できる公開資料だ。商会の信用と、ドルイドたちの潔癖さを考えれば、その九分九厘は信用できる。
事実、そうだった。
この店の隅々にも、目の前の若者にも、エーテルの波動が一片もない。
ハルムートの階梯になれば、ロズモアのエーテルの流れは手に取るように分かる。欺かれる余地はない。
ならば、問いただすまでもない。この若者は何も知らない。グリムも、己の情報を彼に明かしはしない。時間の無駄だ。
若かった頃、ハルムートはこういう誤りを何度も犯した。年を経た今は、避け方を知っている。
現状は明白だ。唯一の異常は、あのガーゴイル。
グリムが本を買うふりをして、一時間をかけてここに置いていった。何かの役割があるはずだ。これは何かの座標――
ハルムートは凄みのある姿勢で若者を見据え、鋭い視線で、嘘をついているかを見極める。
「そのガーゴイルは、あんたのか」
彼方は、意外そうにあの像を見て、首を振った。
「客がくれたものなんです。まあ、記念品ですね」
(このおやじ、まさかこの工芸品を買いたいのか)
それは困る。グリムさんからの土産は、値打ちより意味が大事だ。
断り方を考えていると、ハルムートの視線が、机の上にまだ片づけていない登記簿へ滑った。そして、端に残った名前の一角を見る。
「コルム・グリム。それが、その客か」
訊いた。
彼方は、そんな何気ない動作に気づかなかった。
こんな薄暗い光の下で、登記簿から覗いた朧な一角だけで、名前を言い当てる者がいるなど、想像もできない。
だが、まさか一角だけで名前を言い当てるはずがない。
だから彼方は瞬時に悟った。――この男は、グリムを知っている。
「はい」
彼方は警戒し、表情を変えずにうなずく。
(まさか、仇討ちに来たのか)
なぜ、いきなり仇討ちの気配がする。
ハルムートは眉をひそめた。グリムが、ただの普通人に、この階梯のガーゴイルを贈るなど、ありえない。
これは確かに、典型的な黒の魔術師製のガーゴイルだ。実力は相当なもの。少なくとも恐慌級、しかも普通の恐慌級ではない。
ハルムートにとっても、多少の脅威になる。――皮膚を裂いて血を流させる程度には。
しかも、本名を晒している。……いや、待て。晒したのではなく、わざとそうしたのかもしれない。
彼らはここを黒の魔術師の拠点と推測していた。だが、この店主は普通人だ。なら、その線は消える。
だが、これを連絡の合図と見るなら――ここは、待ち合わせの場所ということになる。
彼方は、このおやじが勝手に思索に沈むのを見て、どうやら仇討ちでもなさそうだと思った。
筋を通すなら、仇討ちはまず脅し、次に詰め寄り、それからグリムの行き先や最近の行動を訊くものだろう。喋れば始末、喋らなければ殴って訊いてから始末。
今の様子は、まるで違う。どうでもいいことを二言訊いて、突っ立って考え込む。これのどこが仇討ちだ。
彼方は考えを変えた。――もしかして、このおやじはグリムの友人か。
見た目はひどく剣呑だが、長年の人を見る経験から言えば、第一印象の偏りを外せば、悪い人間ではない。
入ってきたときの気勢はすごかったが、その一挙一動は、店内のものを壊さぬよう気遣っていた。扉を乱暴に扱わず、カウンターを叩いても傷めない。
(そう考えると、むしろ細やかで、少しやさしい人だ)
彼方は思案し、咳払いをした。
「グリムさんの、お知り合いですか」
ハルムートは我に返り、奇妙な笑みを浮かべた。
「友人? ……そうだな。長い付き合いだ。だが二年前、少し行き違いがあって、彼は何も言わずに去った。最近になってようやく、消息が入った」
(やはり)
二年前――それは、グリムがこの店に来た時期ではないか。
(だからあんなに、魂の抜けた顔をしていたのか。親友と揉めたのか)
(ああ、グリムさんは本当に大変だ)
この大都市で一人暮らし、人から離れ、家族にも疎まれ、友人とも揉めた。
だが、どうやら目の前のこの男は、自ら仲直りに来たのだ。
(めでたいことだ)
彼方は嬉しそうに言った。
「そうでしたか。だから一目でグリムさんのものだと分かったんですね。きっと、いい関係なんでしょう」
ハルムートは慎重に偵察術を使いながら、何気なく答える。
「ああ、いい関係だ。真の刎頸の友、腹心の友、と言ってもいい。この数年、ずっと彼の行方を探してきた」
彼とグリムの関係は、まさに、互いの首を斬り落とし、内臓を握り潰したいほどに良い。
……二年前には、実際ほぼやった。ただ、グリムはどういう手段か、そのとき死ななかった。
この二人の老人の友情が、これほど深いとは。彼方は感動して言った。
「それは羨ましい友情ですね。残念ながら彼の住所は知らないので、分かればお伝えするのですが」
(分かったところで、偽物だろうが)
ハルムートは口を歪めた。自分でも、なぜこの店主と話し込んでいるのか分からない。
(まあ、あとで記憶を消せばいい。少し話すくらい、害はない)
彼方は言った。
「グリムさんは数日前に本を借りに来たばかりで、当分は来ないと思います。しばらくは見つからないでしょう。――よければ、少し腰を落ち着けませんか」
ハルムートは顔を上げた。若者の顔には、善意の穏やかな微笑みがある。熱い茶も差し出された。
「……あるいは、本でもいかがですか」




