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7/21

母の願い

 その日の夜。


 ルーベル村には静かな風が吹いていた。


 夕食を終えた後。


 父は椅子に座ったまま寝ている。


 正確には寝落ちだ。


 昼間の仕事で疲れたのだろう。


 大きないびきが聞こえる。


「父さんまた寝てる」


 トムが小声で言う。


「起こすか?」


「やめとけ」


 レオンは笑った。


「起きたら機嫌悪いぞ」


「それは嫌だ」


 トムは真顔で頷いた。


 経験者だった。


 過去に何度も起こしている。


 そして何度も怒られている。


 学習はしているらしい。


 一応。



 母は台所で片付けをしていた。


 水の流れる音。


 皿の触れ合う音。


 見慣れた光景だった。


 レオンはふと立ち上がる。


「手伝う」


 母が少し驚いた顔をした。


「珍しいわね」


「そうか?」


「そうよ」


 少し笑う。


「ありがとう」


 レオンは皿を受け取った。


 拭く。


 棚へ戻す。


 それだけの作業だ。


 でも。


 母は嬉しそうだった。


「兄ちゃん偉い」


 トムも参加してきた。


 だが。


 三枚目の皿を落としそうになる。


「やっぱり座ってろ」


「なんで!?」


「危ない」


「できる!」


 できなかった。


 危なかった。


 母が慌てて受け止めた。


「ほら」


「……」


 反論できなかった。



 片付けが終わる。


 トムは眠そうだった。


 祭りが終わったとはいえ。


 毎日全力で遊んでいる。


 十歳の体力は底なしに見えて。


 実際はそうでもない。


 欠伸をしている。


「もう寝なさい」


 母が言う。


「まだ眠くない」


 大嘘だった。


 目が半分閉じている。


「ほら」


 母が頭を撫でる。


「おやすみ」


「……おやすみ」


 素直に部屋へ向かう。


 階段を上がる途中。


 眠気でふらついた。


「危ない」


 レオンが支える。


「大丈夫」


「大丈夫じゃない」


 トムは笑った。


 眠そうな顔のまま。


「兄ちゃんいるから大丈夫」


 そう言った。


 レオンは少し困った。


 本当に。


 この弟は昔からこうだった。



 しばらくして。


 レオンも部屋へ戻ろうとする。


 その時だった。


「レオン」


 母が呼び止めた。


「ん?」


 振り返る。


 母は片付けを終えたばかりだった。


 布巾を畳みながら、少しだけ笑っている。


「最近ね」


「?」


「トム、何かあるたびにあなたの話をするの」


 レオンは首を傾げた。


「そうか?」


「そうよ」


 母は楽しそうだった。


「兄ちゃんが木剣を振ってた、とか」


「兄ちゃんが教えてくれた、とか」


「兄ちゃんみたいに強くなる、とか」


 レオンは少し困った顔になった。


 なんとなく照れ臭い。


 母は続ける。


「今日だって」


 くすりと笑う。


「一人でお使いできたのは、兄ちゃんが頑張ってるからだって言ってたわ」


「……」


 レオンは言葉に詰まった。


 そんなことを言っていたのか。


 知らなかった。


「だから」


 母は少しだけ優しい顔になった。


「いつもありがとう」


「何が」


 反射的にそう返していた。


 本当に分からなかった。


 当たり前のことだと思っていたからだ。


 弟の面倒を見る。


 困っていたら助ける。


 転んだら起こす。


 それだけのことだった。


 母は小さく笑う。


「そういうところ」


「?」


「父さんに似たわね」


 レオンはますます分からなくなった。


 褒められているのか。


 そうじゃないのか。


 よく分からない。


 けれど。


 母は嬉しそうだった。


 それだけは分かった。


「ねえ」


 母が窓の外を見る。


 夜空だった。


 無数の星が瞬いている。


「これからも仲良くしてあげてね」


 静かな声だった。


 願うような。


 祈るような。


 そんな優しい声。


「分かってる」


 レオンは答えた。


 少し照れ臭かった。


 でも。


 本心だった。


 トムは弟だ。


 面倒で。


 うるさくて。


 よく転ぶ。


 すぐ調子に乗る。


 けれど。


 大切な弟だった。



 部屋へ戻る。


 トムは既に眠っていた。


 首飾りを握ったまま。


 幸せそうな顔で。


 レオンは少し笑う。


 毛布を掛け直した。


「風邪ひくぞ」


 小さく呟く。


 返事はない。


 静かな寝息だけが聞こえる。


 昼間はあれだけ騒がしいのに。


 寝ている時だけは妙に大人しい。


 少しだけ羨ましいくらいだった。


 レオンは窓の外を見る。


 星空が広がっていた。


 穏やかな夜だった。


 寝ているトムの頭をそっと撫でる。


「おやすみ」


 小さく呟いて。


 レオンは自分の部屋へ戻った。

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