父の背中
夏祭りの翌朝。
ルーベル村は静かだった。
昨夜遅くまで騒いでいた反動だろう。
広場にはまだ片付けられていない机や椅子が残っている。
空になった樽。
消えた焚火の跡。
踏み固められた土。
祭りが終わった後の村は、どこか寂しかった。
それでも。
人は生きていく。
畑は待ってくれない。
麦も野菜も。
毎日世話をしなければ育たない。
「レオン」
朝食後。
父が声を掛けてきた。
「今日は向こうの畑を見るぞ」
「北側の?」
「ああ」
ルーベル村から少し離れた場所にある畑だ。
歩けば三十分ほど。
それほど遠くはない。
「分かった」
「俺も行く!」
当然のようにトムが言う。
父は即答した。
「駄目だ」
「なんで!?」
「お前は昨日遊びすぎた」
「関係ない!」
「ある」
レオンは笑った。
最近このやり取りを何度見ただろう。
「兄ちゃん!」
助けを求めるように見てくる。
「諦めろ」
「裏切った!」
大袈裟だった。
だが。
その顔が少し面白かった。
◇
村の北側。
父と二人。
空は高かった。
雲がゆっくり流れている。
夏の匂いがした。
畑に着くと。
父はしゃがみ込んだ。
土を触る。
麦を見る。
葉を見る。
根を見る。
何かを確認している。
レオンには分からない。
同じように畑仕事をしていても。
父ほどの知識はない。
「どうだ」
父が聞く。
「順調そうに見える」
「そう見えるか」
「違うのか」
父は少し笑った。
「半分正解だ」
そう言って葉を指差す。
「ここ」
レオンは覗き込む。
確かに。
少し色が違う。
「虫だ」
「分かるのか」
「分かる」
父は当然のように言う。
長年の経験。
毎日見続けているからこそ分かる違い。
レオンは少し感心した。
父は特別強いわけじゃない。
剣の達人でもない。
英雄でもない。
ただの農民だ。
けれど。
この畑のことなら誰よりも詳しい。
誰よりも真剣だ。
それが少し格好良かった。
◇
昼。
二人は木陰で休憩していた。
母が持たせてくれた弁当を食べる。
パン。
干し肉。
少しの野菜。
豪華ではない。
けれど美味かった。
「なあ」
父が突然言う。
「何だ」
「お前、村を出たいと思ったことあるか」
レオンは驚いた。
珍しい質問だった。
少し考える。
「ないな」
正直に答える。
父は頷いた。
「そうか」
「父さんは?」
逆に聞いてみる。
父は笑った。
「昔はあった」
「へぇ」
意外だった。
父は生まれた時から村にいるものだと思っていた。
「若い頃はな」
遠くを見る。
少し懐かしそうな顔だった。
「冒険者になりたいとか思ったこともある」
レオンは思わず吹き出した。
「父さんが?」
「失礼だな」
父も笑う。
「本当だぞ」
「想像できない」
「母さんにも言われた」
二人とも笑った。
風が吹く。
麦が揺れる。
穏やかな時間だった。
「でもな」
父がぽつりと言う。
「結局ここに残った」
畑を見る。
空を見る。
遠くの村を見る。
「悪くなかったぞ」
その言葉には重みがあった。
後悔ではない。
諦めでもない。
自分で選んだ人生への誇りだった。
レオンは少しだけ父を見た。
大きな背中だった。
子供の頃から見てきた背中。
働き者で。
不器用で。
家族想いで。
時々くだらない冗談を言う。
そんな父の背中。
いつの間にか。
少しだけ追い付きたいと思うようになっていた。
◇
夕方。
二人が村へ戻ると。
「兄ちゃーーーん!!」
トムが全力で飛び込んできた。
そして。
案の定。
転んだ。
「いてぇ!」
レオンは額を押さえた。
「何で毎回転ぶんだお前」
「転びたくて転んでるわけじゃない!」
本人は真面目だった。
父は横で笑っている。
トムは土だらけだ。
「何してたんだ」
「働いてた!」
「本当か?」
「本当!」
胸を張る。
そこへ母が家から出てきた。
「嘘です」
「母さん!?」
即答だった。
レオンは吹き出した。
父も笑う。
トムだけが納得していなかった。
「働いた!」
「どれくらい?」
母が聞く。
「えっと……」
トムが考える。
「五分!」
「遊んでた時間は?」
「いっぱい!」
正直だった。
母は呆れていた。
父は肩を震わせている。
レオンも笑った。
どうしようもない弟だった。
けれど。
嫌いじゃない。
むしろ好きだった。
「兄ちゃん!」
トムが言う。
「なんだ」
「今日な!」
話したいことが山ほどあるらしい。
友達と遊んだ話。
川で魚を見つけた話。
祭りの残りの菓子をもらった話。
全部話すつもりなのだろう。
「分かった分かった」
レオンは笑った。
「とりあえず家入るぞ」
「うん!」
トムは嬉しそうに頷いた。
空は少し赤くなり始めていた。
畑の向こうでは風が麦を揺らしている。
夕飯の匂いがした。
今日も一日が終わる。
特別なことは何もない。
いつも通りの一日だった。
レオンは父と並んで歩く。
その少し前をトムが歩く。
母が家の前で待っている。
それだけで十分だった。




