異変
その異変は。
誰にも気付かれないほど静かに始まった。
◇
夜。
ルーベル村は眠っていた。
畑も。
森も。
家々も。
全てが静寂に包まれている。
星空は変わらない。
風も変わらない。
何も変わらないように見えた。
けれど。
その瞬間。
世界そのものが揺らいだ。
音はない。
光もない。
誰かが叫ぶこともない。
ただ。
見えない何かが世界中を駆け抜けた。
海を越え。
山を越え。
森を越え。
大陸全土を覆っていく。
そして。
消えた。
あまりにも一瞬だった。
だから誰も気付かなかった。
誰一人として。
◇
翌朝。
「兄ちゃん起きろぉぉぉぉ!」
いつもの声だった。
レオンは布団を頭まで被る。
「うるさい」
「朝だぞ!」
「知ってる」
「起きろ!」
「嫌だ」
「駄目だ!」
いつものやり取り。
いつもの朝。
何も変わらない。
はずだった。
だが。
レオンは目を開いた瞬間。
妙な違和感を覚えた。
身体が軽い。
異様なほど軽い。
昨日までと何かが違う。
眠気がない。
疲れもない。
むしろ。
力が溢れていた。
「……?」
拳を握る。
力が入る。
いや。
入りすぎる。
なんだこれ。
そんな感覚だった。
「兄ちゃん?」
トムが首を傾げる。
「どうした?」
「いや」
レオンは首を振った。
「なんでもない」
◇
朝食。
父も母もいつも通りだった。
パンを食べる。
スープを飲む。
変わらない食卓。
だが。
「ん?」
トムが突然窓の外を見た。
「どうした」
レオンが聞く。
「なんかキラキラしてる」
「何が」
「外」
一同が窓を見る。
何もない。
いつもの村だ。
「見えない?」
トムだけが不思議そうだった。
「何がだ」
父が聞く。
「なんかいっぱい浮いてる」
「虫か?」
「違う」
トムは首を振る。
「光」
◇
朝食後。
外へ出る。
すると。
村の様子がおかしかった。
騒がしい。
異常なくらい騒がしい。
広場の方から怒鳴り声が聞こえる。
「おい!!」
「誰か来てくれ!!」
「なんだこれ!?」
レオンとトムは顔を見合わせた。
急いで広場へ向かう。
◇
広場には村人達が集まっていた。
何十人も。
皆興奮している。
ある者は叫び。
ある者は笑い。
ある者は怯えていた。
「火だ!」
「本当に出たぞ!」
「見た見た!」
「魔物の呪いじゃねぇのか!?」
「ばか言え!」
完全に混乱していた。
その中心で。
村の男が震える手を見つめている。
「もう一回やれ!」
「できるか!」
「さっき出ただろ!」
「知らねぇよ!」
本人が一番困っていた。
だが。
次の瞬間。
ぼっ。
指先から火が出た。
「うわぁぁぁぁ!!」
周囲が飛び退く。
男自身も飛び退いた。
「出たぁぁぁ!!」
「また出た!」
「燃える燃える燃える!!」
広場が大騒ぎになる。
◇
「おい見ろ!」
今度は別の声。
村の若者だった。
頭が光っている。
ぴかぴか光っている。
「なんで光るんだ!?」
「知らん!」
「消せ!」
「消えん!」
さらに騒ぎになる。
老人達は祈り始めた。
子供達は大喜びしている。
犬は吠えている。
鶏は逃げ回っている。
もはや収拾がつかない。
◇
「兄ちゃん」
その時。
トムが空を見上げていた。
「ん?」
「見える?」
「何が」
「光」
レオンも空を見る。
何もない。
青空だけだ。
「何もないぞ」
「あるって」
トムは不思議そうだった。
「いっぱい」
◇
トムの目には。
世界が違って見えていた。
空気の中に。
無数の光が漂っている。
小さな粒。
羽虫のようにふわふわと浮かぶ光。
だが。
色が違った。
赤。
青。
緑。
黄。
白。
様々な色がある。
風に流され。
集まり。
離れ。
ゆっくりと世界を漂っている。
「綺麗だなぁ」
トムは思わず呟いた。
◇
「赤いのが多い人もいる」
トムが言う。
「は?」
レオンには意味が分からない。
トムは広場を見回した。
「あのおじさん赤い」
火を出した男を指差す。
「で、あっちは黄色」
頭が光る若者を指差す。
「母さんは白っぽい」
「父さんは茶色っぽい」
「兄ちゃんは――」
そこで止まる。
◇
「兄ちゃん変だ」
「何が」
「いっぱいある」
トムは目をぱちぱちさせた。
「すごくいっぱいある」
「だから何が」
「光」
レオンは首を傾げる。
だが。
トムの顔は冗談を言っている顔ではなかった。
◇
その頃には。
広場は完全に祭り状態になっていた。
「俺もできた!」
水が出た。
「うおおお!?」
今度は風が吹いた。
「なんだこれ!?」
「神の奇跡だ!」
「違う呪いだ!」
「いや祝福だ!」
村長が叫ぶ。
「落ち着けぇぇぇ!!」
誰も落ち着かなかった。
火を出す者。
水を出す者。
風を起こす者。
光る者。
騒ぐ者。
笑う者。
怯える者。
ルーベル村はかつてないほどの大騒ぎだった。
そして。
その混乱は。
決してルーベル村だけのものではなかった。
この日。
世界中で。
同じような騒ぎが起きていた。




