10-7 魂の共鳴
世界樹ユグドラシルの最深部。
情報の激流に晒され、俺の意識は限界を迎えようとしていた。
視界が白く濁り、自身の存在の境界線すら曖昧になっていく。
だがその時、柔らかな、しかし力強い魔力の供給が俺を繋ぎ止めた。
「ルシ、しっかりして! まだ終わっていないわ!」
リーフの声だ。
彼女が注ぎ込んでくれた気付けの魔力が、麻痺しかけていた俺の思考を強引に再起動させる。
意識がクリアになるのと同時に、俺の精神の中に、翡翠色の光と共に十二人分の意識と魔力が雪崩れ込んできた。
『お兄さん、手助けするよ』『私たちも力を貸すね』『一人で背負わないで』――。
幼い少女たちの声が、多重奏のように脳内に響く。
それはエルフィの中に統合された、十一人の子供たちの思念だった。
彼女たちは俺を拒絶するのではなく、自分たちの新しい未来を切り拓くために、その膨大な魔力を俺に託してくれたのだ。
「……助かる。 これで、出力の問題は解決した」
俺は深く息を吐き、改めて頭を振って思考を同期させる。
視界の先では、ネロがエルフィの魂に寄り添い、魔力を分け与えていた。
その魔力は、かつての彼が放っていた殺戮を象徴する赤い光ではない。
俺が旅の途中で彼に伝授した、世界樹の加護を宿した温かな琥珀色の輝きだ。
俺は世界樹の核を掌握し、直轄領との還元・循環魔導式を完成させた。
もはや魔力の逆流は収まり、施設を破壊しようとしていた余剰エネルギーは、世界樹の根へと整然と吸収され始めている。
「師父、聞こえますか。 こちらの受け入れ準備は万全です。
循環経路を固定しました。 あとはそちらの判断に任せます」
俺の念話に、すぐさま現実世界のメギストス師父から力強い返信があった。
『よくやったルシ! こちらも準備OKじゃ。
今から物理層の弁を開放し、還元・循環を完全稼働させる。
……お主は、その子を頼んだぞ。
肉体の崩壊が止まらん。
一刻を争うわい!』
「了解です。 エルフィは必ず、俺が連れ帰ります」
通信を切ると、俺はリーフとネロ、そしてこちらを優しく見上げるエルフィの元へと歩み寄った。
俺は一瞬だけ、事実を伏せるべきか迷った。
だが、これから家族として歩んでいくのであれば、隠し事はすべきではない。
俺はネロの目を真っ直ぐに見つめ、正直に伝えた。
「ネロ、落ち着いて聞いてくれ。 現実世界で、エルフィの肉体はすでに崩壊を始めている」
「え……っ、じゃあ、もうエルフィは助からないの?」
ネロの顔から血の気が引く。
「いや、助ける方法は一つある。 彼女をリーフと同じ『自律型魔導式』として再構築するんだ。
……ただし、問題がある。
エルフィの魂に統合された、他の十一人の意識だ。
全員を個別の肉体に戻すことは、今の俺の技術でも不可能だ。
かといって、無理に魂を切り離せば、エルフィ自身の魂も霧散してしまうだろう」
「……じゃあ、どうなっちゃうの?」
「エルフィが代表して『表層意識』を持ち、他の十一人は彼女の『深層意識』に潜る形になる。
いわば、一人の少女の中に、十二人の家族が同居するような状態だ。
最初の内は、たまに誰かの意識が表に浮上することもあるだろう。
……ネロ。
彼女が分裂して再び崩壊しないためには、君の支えが不可欠だ。
彼女たち全員を、守る覚悟はあるか?」
俺の問いに、ネロは一度だけ強く目を閉じた。
そして、再び目を開けた時、そこには兵器としての影を一切感じさせない、一人の少年としての強い意志が宿っていた。
「……うん、やってみる。 いや、僕が絶対にやってみせる!」
「よく言った。 ……じゃあ、術式を開始する。 エルフィ、君もいいな?」
「ええ。 みんなと一緒なら、私は怖くないわ」
エルフィは微笑んだ。
その翡翠色の瞳には、もう絶望の色はない。
「心配するな。 こう見えて俺は、自分でも呆れるほどの性能を持った魔導師だ。
約千八百四十四京もの独立した術式を同時並行で扱うことができる。
……今は世界樹の循環維持に半分以上を使っているが、君を最高傑作の美少女として復活させるくらいの余力は十分にある。 何か、希望はあるか?」
俺が少しだけ口角を上げて尋ねると、エルフィは人差し指を顎に当てて、いたずらっぽく笑った。
「そうね……なら、ネロとお揃いの『紺碧色』の髪がいいな。
あとは……できるだけ可愛くしてね。 ネロが他の子に浮気しないように!」
「……っ!?」
ネロがギョッとして顔を真っ赤にする。
俺は思わず吹き出しそうになった。
「分かった。 髪は紺碧、瞳は翡翠。
ネロの目を釘付けにするような美少女だな。
……もっとも、元のままでも十分可愛いとは思うが、努力してみよう」
「ふふ、世界樹の核から聞いた通りの人ね。
リーフさんが、あなたに惚れ込んでいる理由が分かった気がするわ」
「なっ……お、お母様!? そんなことまでエルフィに伝えていたの?
恥ずかしいじゃない!」
リーフまで顔を赤くして狼狽え始めた。
「ええ。 現実に戻ったら、ネロの世話は私がします。
だからリーフさんは、思う存分ルシさんの面倒を見てあげて。
最近、構ってくれなくて寂しそうだって、お母様が言っていたわよ?」
「もう! お母様ったら余計なことを……! ルシ、もういいから早く実行しちゃって!」
リーフの抗議に、俺は苦笑しながら頷いた。
その時、還元された余剰魔力が変換され、世界樹の根を通ってこの深層域へと流れ込んできた。
「タイミングは完璧だ。 この巨大なエネルギーを、再構築の触媒に使う。
……エルフィ! 少しだけ耐えてくれ!」
「はい、ルシさん。 ……いえ、ルシ兄さま!」
「ネロ、その手を離すなよ! 彼女の魂を、現世までしっかり掴んでいろ!」
「うん、任せて!」
「術式、最終工程へ移行。 ……リーフ、力を貸してくれ!」
「ええ、いつでも行けるわ!」
「――実行(発動)!!」
世界樹の最深部で、かつてないほどまばゆい琥珀色の光が爆発した。
崩壊しつつあった十二の魂が、紺碧の髪を持つ一人の少女という形へと収束していく。
視界が白く染まり、俺たちの意識は光の渦に呑み込まれていった。
◆
その頃、現実世界の地下工房。
メギストス師父は、魔力の暴走が収まり、安定した循環が始まったことを確認して大きく安堵の息を吐いた。
だが、まだ仕事は残っている。
彼は杖を構え直し、いまだに襲い来る自律石像の群れを見据えた。
「……ふむ。 魔力の逃げ道はできた。 ここからは、老いぼれの反撃といこうかの!」
「遅かったじゃねえか、相棒! さっさと片付けて、ルシたちが戻る場所を確保するぞ!」
バナード師匠が石像の頭部を叩き割りながら吼える。
「メギストス師、信じていましたわ! さあ、一気に掃討しましょう!」
アイリスの剣閃が、暗い工房を鮮やかに切り裂く。
絶望の底にあった古代施設に、反撃の狼煙が上がった。
そして調整槽の中では、粒子となって消えかけていた少女の肉体が、全く新しい命として、再び形を成し始めていた。
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