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10-6 精神世界と現実の狭間で

 現実世界の地下工房は、崩壊の瀬戸際にあった。


 行き場を失った膨大な魔力の奔流が、古い回路を焼き切りながら咆哮を上げている。


 メギストス師父は額に浮き出た汗を拭う暇もなく、左手で多重障壁を維持し、右手で端末を叩き続けていた。


 その背後では、バナード師匠の大剣とアイリスの剣が火花を散らし、防衛用の自律石像を次々と粉砕していく。


 その時、メギストスの操作する端末に、青白い光の線が奔った。


 猛烈な圧力で破綻しかけていた魔力値が、一瞬だけ、だが確実に減衰したのだ。


「……何じゃ、少し負荷が軽くなりよったぞ! ルシか、ルシなのか!?」


 端末のログを走査したメギストスは、目を見開いた。


 精神世界へ潜行しているはずのルシが、内側から施設の制御権を奪取し、世界樹ユグドラシルとの間に直接的な魔力の逃げバイパスを構築し始めているのが読み取れた。


「そうか……余剰魔力を世界樹へと還元し、その上で巨大な循環回路を構築しようというのか。 この不安定な直轄領そのものを、世界樹の管理下に組み込むというわけじゃな。

 ……良かろう、その案のったわい!」


 メギストスは不敵な笑みを浮かべ、物理的な逃げ道の構築を加速させる。


 ルシが精神世界から世界樹の根を誘い込み、師父が現実世界から道を繋ぐ。


 師弟の共演が、千年の時を超え地獄と化した工房で始まった。


 ◆


 一方、世界樹の深層域。


 俺は、情報の荒波を掻き分けながら、世界樹のコアへと意識を深く沈めていた。


 直轄領から溢れ出す余剰魔力を、そのまま放出させれば大爆発を引き起こす。


 だが、それを世界樹の根へと吸い込ませる逆流回路(還元経路)を構築し、さらに不足時には世界樹から安定した魔力を供給する双方向の循環式を組み上げれば、話は別だ。


 これは、シグルドやアイズベルク家が、千年の間奪い、隠すだけで、一度として向き合ってこなかった負の遺産への、魔導師としての回答だった。


(……これで、直轄領の魔力供給は安定する。

 この地の住民たちが、シグルドの残滓に怯える必要もなくなるはずだ)


 俺が精神世界で数千の魔導文字を編み上げている最中、師父から端末の通信路を介して念話が届いた。


『ルシ、聞こえるか! こちらでエルフィの肉体が崩壊を始めた。

 お主が魂と肉体を繋ぐ鎖に細工をした反動じゃろう。

 ……現実世界の、人間の子供としてのエルフィの体はもう保たん。

 リーフ殿と同じく、魂を核とした自律型魔導式として実体化させる以外に道はないぞ。

 こちらが安定したら、すぐにそちらに注力するのじゃ!』


「……分かりました、師父。 必ず彼女を救います。

 そして、ネロの心を守ってみせます」


 俺はネロの方へ視線を向けた。


 もしここでエルフィが消滅してしまえば、ネロは二度と立ち直れないだろう。


 せっかく取り戻し始めた彼の人としての感情が、再び深い闇に閉ざされてしまう。


 それだけは、何としても避けなければならない。


 ◆


 その頃、ネロは懸命に、エルフィの魂に語りかけ続けていた。


 俺たちの周囲では、書き換えられた術式の断片が蛍のように舞い、幻想的な光景を作り出している。


「エルフィ、一緒に行こう。 外の世界はね、とっても広いんだ。 怖い人なんていない。 みんな、僕たちを助けてくれる優しい人たちばかりだよ」


 ネロは震える手を差し出し、彼女の翡翠色の瞳を真っ直ぐに見つめた。


「ここにいるリーフ姉さんはもちろん、ルシ兄さんだって、怒ると怖いけど本当は誰より温かいんだ。


 それに地上にいるメギストスさんに、アイリスさん……バナードさんは、ちょっと声が大きくて厳しいかもしれないけど、みんな面白い人たちなんだ。

 ……一人じゃないんだよ、エルフィ」


 エルフィの瞳の焦点が、ゆっくりとはっきりとネロを捉え始めた。


 ネロは、悲しみを押し殺すように言葉を継ぐ。


「……他の、十一人のみんなは……残念ながら、もう天国へ行っちゃったみたいだけど。

 でも、エルフィはまだここにいる。 僕が、君を独りにはさせないから」


 その時だった。


 沈黙を守り続けていた少女の唇が、微かに動き、初めて言葉が紡がれた。


「……いいえ、ネロ。 みんな、まだここにいるよ」


「……えっ?」


 ネロの動きが止まる。


 彼女の声は、幼い子供のものとは思えないほど、深く、澄み渡っていた。


 まるで、この情報の海そのものが語りかけているような、不思議な響き。


「みんな、天国なんかに行ってない。 みんな、私の中にいるの。

 ……あの子たちの夢も、痛みも、全部ここに溶け合っているのよ」


 俺はその言葉を聞いて、解析眼を彼女の魂の深層へと向けた。


 驚愕した。


 崩壊した十一柱の子供たちの思念体。


 それらが、最後の一柱であるエルフィの魂に引き寄せられ、統合されている。


 彼女は今、十二人分の記憶と魔力を一身に背負う、巨大な集合知の器となっていたのだ。


(……だからこれほどの魔力圧が生まれているのか。


 彼女一人の命じゃない。 十二人全員を、救えというのか……!)


 師父が懸念していた魔力暴走の真の原因はこれだった。


 器を失った十一人の魂が、エルフィという唯一の出口を求めて殺到している。


「ルシ! 施設がもう限界よ!」


 リーフの叫びと同時に、精神世界が激しく明滅し始めた。


「……上等だ。 十二人まとめて、俺が新しい器に再構築してやる!」


 俺はネロに叫んだ。


「ネロ! その手を離すな! エルフィを、いや、彼女たち全員を抱きしめていろ!

 今から、彼女の魂を世界樹の特権階級に昇格させる!」


 俺は世界樹の核を掴み、自身の全魔力を注ぎ込んで、前代未聞の再構成を開始した。


 現実世界と精神世界、師父との共鳴。


 すべてを一つに束ね、崩壊しゆく少女の魂を、永遠の存在へと書き換えていく。


 俺の意識が白濁する中、エルフィの翡翠色の瞳が、優しく俺を見つめていた気がした。

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