10-5 暴走する古代施設
世界樹ユグドラシルの深層、情報の海。
俺がエルフィの魂を縛る死のプログラムを書き換え、彼女の存在定義を兵器から自律魔導式へと再定義したその瞬間、因果の連鎖は現実世界へと波及した。
それは救済の産声であると同時に、千年の均衡を破壊する暴挙でもあった。
◆
地下工房の静寂を切り裂いたのは、アイリスの悲鳴に近い叫びだった。
「見て! エルフィの体が……!」
調整槽の中で眠っていた少女の肉体が、淡い光の粒子となって末端から崩れ始めていた。
メギストス師父が即座に端末へと駆け寄り、古代文字のログを高速で走査する。
「何じゃと……魂と肉体が完全に乖離しておる。
ルシの奴め、肉体という器そのものを捨て、魂を純粋な情報体として再構築しようというのか!」
その直後、胃の腑を揺さぶるような重低音が、地下工房の壁を伝って響いてきた。
地鳴りではない。施設の深部から湧き上がる、行き場を失った膨大なエネルギーの咆哮だ。
バナード師匠が腰の重剣を引き抜き、低く構える。
「……おい相棒、嫌な予感がするぞ。 この振動、ただ事じゃねえ。
建物全体が悲鳴を上げてやがる!」
メギストス師父の顔から血の気が引いていく。
端末に表示された魔力の供給グラフが、限界値を突破し、真っ赤な警告色を点滅させていたからだ。
「……最悪じゃ。 この施設は十二柱の『器』に魔力を分配することで安定を保っておった。 だが、最後の一柱であるエルフィの肉体が消滅したことで、供給されていた魔力が行き場を失い、回路内で逆流を始めておる!
このままでは連鎖的な魔力暴走を引き起こし、この直轄領はおろか、近隣の村まで地図から消滅するぞ!」
「なっ……! メギストス様、止める方法はありますの!?」
アイリスが問いかけるが、事態はさらに悪化の一途をたどる。
広間の天井付近に設置されていた石像のような装飾が、不気味な魔光を放ちながら駆動を開始した。
古代の侵入者防衛兵装――自律守護石像だ。
施設が異常を検知したことで、管理権限を持たないメギストスたちを異物と判断し、排除に乗り出したのだ。
石像の瞳から放たれた高熱の魔力収束砲が、メギストスたちの足元を抉る。
師父は間一髪で杖を突き立て、古代魔法の多重障壁を展開した。
「わしはルシのように、数千の魔導式を同時並列で制御するような芸当はできん。
だが……そこらの宮廷魔導師よりは、年季が入っておるわい!
安心せい、この障壁は指一本通させん!」
師父は荒い息を吐きながら、左手で障壁を維持し、右手で震える端末を操作し続ける。
魔力暴走を抑え込むための魔力の逃げ道を構築しようと、必死に数式を書き換えていた。
「信じるぞ、相棒! 背後は任せな!」
「メギストス師、お願いしますわ。 ……私たちは、ルシたちが戻るまでの時間を稼ぎますわ!」
バナードの大剣が石像の腕を叩き折り、アイリスの剣が守護兵装の核を正確に貫く。
防衛システムの猛攻と、崩壊寸前の施設。メギストスたちは、死の淵で薄氷を踏むような防衛戦を強いられていた。
◆
外がそのような地獄絵図と化しているとは露知らず、俺たちの意識は依然として、凪いだ光の海の中にいた。
目の前で膝を抱えるエルフィの魂。
俺が術式を書き換えたことで、彼女を縛る鎖は消えた。
しかし、彼女自身が目覚めを拒む限り、魂は肉体へと戻る(あるいは新しい存在として定義される)ことはない。
「エルフィ! 僕だよ、ネロだ! 忘れたなんて言わせないよ!」
ネロが彼女の魂のすぐそばまで歩み寄り、必死に手を伸ばす。
「見てよ、今の僕を! 昔とは髪の色も瞳の色も違うけど、これはお兄ちゃん……ルシが、僕のために魔法をかけてくれたんだ。
外の光の下を、普通の人と同じように歩けるように。
誰からも兵器なんて呼ばせないように!」
ネロの声が、深層域の静寂を震わせる。
「君も、あの暗い槽の中から出してあげたいんだ。
実験の合間に、壁越しに話しただろう?
いつか空の色を一緒に見ようって。
……もう、誰にも縛られなくていい。
僕たちが君を守るから。
だから、目覚めて、エルフィ!」
少女の魂に、劇的な変化が現れた。
固く閉じられていた睫毛が震え、今度ははっきりとその目を見開いたのだ。
翡翠色の、深く透き通った瞳。
彼女は驚いたように、そして戸惑うようにネロを見つめている。
俺は隣に立つリーフと目配せをした。
エルフィの深層意識を探知する。
彼女はまだ言葉を発してはいないが、ネロの言葉を受け入れようとする意志の微かな胎動を感じた。
(……行ける。 あとは彼女自身が、こちら側の手を掴むかどうかだ)
俺は解析眼を維持しつつ、いつでも彼女の魂を新しい器へと転送できるよう、最終段階の準備に入った。
だが、現実世界からのノイズが、俺の意識を激しく揺さぶり始めた。
「……ルシ、現実世界の魔力圧が異常に高まっているわ!
メギストス様たちが苦戦している……施設が、保たないかもしれない!」
リーフの切迫した声が届く。
一刻の猶予もない。
俺はネロにすべてを託し、自分は暴走する施設のシステムへと、精神世界から直接干渉を試みることにした。
「ネロ、任せたぞ。 彼女を連れて帰ってこい。 ……地上は、俺がなんとか止める!」
俺の意識は、エルフィの魂から離れ、工房全体を包む巨大な魔力回路の奔流へと、猛スピードでダイブしていった。
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