1-8 確信:共犯者の約束と、魂の複製(バックアップ)
リーフを『潮風亭』へ送り届けた後、俺は夜の静寂に包まれたログハウスへと戻った。
地下に鎮座する世界樹の枝――青白く脈動する結晶体に向き合い、俺は再び、遠く離れた王都の世界樹本体への干渉を試みた。
「……応答が遅すぎる」
世界樹の枝から返ってくるのは、絶望的なまでに鈍い信号だ。
視界に展開された論理回路の記録を追うと、そこには地獄のような光景が広がっていた。
無数の術式が互いに干渉し、身動きが取れない膠着状態を起こしてリソースを食い合っている。
いわゆる輻輳状態だ。
王都の魔導師たちが、構造を理解せぬまま継ぎ接ぎの修正を当て続けた結果、世界樹全体が悲鳴を上げている。
俺は冷徹に判断を下した。
まず、最も優先すべきは、酒場『潮風亭』にいる彼女の安定だ。
恐らく、俺の予想通りなら、リーフ……彼女は、俺が良く知っている相棒のリーフが何らかの方法で実体化したはずだ。
俺は世界樹の深淵から、リーフの存在基盤となっている自己定義術式の全データを抽出した。
そして、それを王都の本体から完全に切り離し、この港町で独立稼働している局所端末へと複写する。
「これで……よし」
王都で何が起きようと、この港町の魔力が尽きない限り、リーフという存在に異常は起きない。
彼女の命のバックアップを、俺はこのログハウスに確保したのだ。
一方で、王都の本体に対する調律は一切行わなかった。
それは、俺を不要な存在として切り捨てた連中が、自らの血を流して片付けるべき負債だからだ。
作業の傍ら、傍受した微弱な通信ログから不穏な情報が浮上した。
一つは、特務部隊一個師団がこの荒野に向けて派遣されたこと。
もう一つは、王都の公式記録において、ルシ=ファーレンは魔獣の襲撃により死亡したことになっている点だ。
「死人探しのために、精鋭を荒野へ投じるか。 ……滑稽だな、シグルド」
この時の俺は、まだ知らなかった。
世界樹ユグドラシルが段階的崩壊という偽の警告を吐き出し、無能な管理者たちを徹底的に拒絶していることを。
世界樹そのものが、唯一の理解者である俺を求めて、世界を閉ざし始めているという真実を。
「……フーン。 貴方、やっぱり凄いわね。
母様(世界樹)に、そこまで全幅の信頼を寄せられているなんて」
不意に背後から響いた声に、俺の思考回路が一瞬、停止した。
振り返ると、入り口に佇むリーフがいた。
その瞳は、夜の闇の中でも鮮烈に輝く琥珀色へと変じている。
「リーフ。 いつからそこに……」
「最初からよ。 ……もう、隠し事は無しにしない? ルシ」
彼女は一歩、また一歩と、青白い光を放つ結晶体の方へ歩み寄る。
その足取りは、人間というよりは、高度な調律を施された精密機械のような優雅さを湛えていた。
「私は、貴方が世界樹の調律をしていた時の唯一の相棒。
不具合の海から生まれた、自立型術式の『リーフ』。
……貴方が王都を追放されたあの日、私は自分の全リソースを使って、貴方の向かう先を演算したわ。
そして、この港町に先回りして、貴方を待っていたのよ。
ボロボロになった貴方が、いつでも帰ってこられる場所を作ってね」
予想していた事だが、改めて聞かされて衝撃が脳を突き抜けた。
俺は動揺を隠すように一度視線を落としたが、すぐにその琥珀色の瞳を見据えた。
「……ああ。 認めよう。
師匠との修行時代、偶然見つけた綻び……そこに生まれた君という自立型術式に、俺が『リーフ』という識別子を与え、唯一の対話相手にした」
俺は言葉を切り、彼女の存在を肯定するように続けた。
「君が実体を持ってここにいることは、完全とは言わないが計算外だった。
だが、今の言葉を聞いて確信したよ。
……おかえり、リーフ。 俺の、たった一人の相棒」
リーフは俺の言葉を噛みしめるように沈黙した。
だが、彼女は少しだけ口を尖らせ、琥珀色の瞳をさらに輝かせる。
「……『おかえり』だけ?
五年間の激務を一緒に乗り越えて、ようやく再会できた相棒に、もっと言うことはないわけ?
貴方のその、数字と論理だけで塗り固められた思考回路の端っこに、少しは私のための感情という名のメモリは残ってないの?」
彼女の追求は、王都のどの警告よりも鋭く、俺の胸の奥を射抜いた。
どう答えれば論理的に正解なのかを必死に検索したが、返ってきたのは、言葉にならないほど暖かな、胸の鼓動だけだった。
「……それについては、今夜の蜂蜜酒を飲みながら、ゆっくりと議論しよう」
俺がそう言うと、リーフはふっと表情を緩め、琥珀色の瞳をいつもの紺碧へと戻した。
「……合格。 さあ、そうと決まれば店に戻りましょう。
貴方のバックアップを完璧にするために、特製の夜食を用意してあげるわ!」
彼女は俺の手を引き、ログハウスの外へと連れ出す。
夜空には、世界樹の異常など微塵も感じさせない、静かな星々が輝いていた。
俺とリーフ。
二人の逃亡者による、本当の共犯関係が、この夜から始まったのだ。
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