1-7 再起動:独立領域(ローカルネットワーク)と守護の誓約
その日の昼。
俺は酒場『潮風亭』のカウンターで、琥珀色に輝く極上の蜂蜜酒を煽っていた。
リーフが「昨日の夜のお礼よ」と、有無を言わさぬ勢いで差し出してきたものだ。
「……何のことか、さっぱりわからないな」
「いいから飲みなさいって。 私の勘は、あんたの演算より鋭いのだから」
俺はしらばっ切るという非論理的な選択をしたが、彼女の追求をかわすことはできなかった。
ありがたく、その冷徹なまでの喉越しを楽しむことにする。
だが、安らぎの時間は唐突に、暴力的な静寂によって断ち切られた。
パチ、パチパチ……。
店内の魔導燈が不規則に点滅し、やがてプツリと命を落とした。
世界樹の運用に携わって以来、これほどの広域な供給停止を経験したことはない。
もともと恩恵の薄いこの港町では、住人たちは慣れた手つきでキャンドルに火を灯し始めたが、俺の背中には嫌な汗が流れていた。
「……理の同期が切れた?
王都にある世界樹ユグドラシルに、致命的な欠陥が生じているな」
俺は店を飛び出し、断崖のログハウスへと向かった。
「待って、ルシ! 私も行くわ!」
背後から付いてくるリーフ。
正直、危険はないと追い返すこともできたが、この時ばかりは隣に彼女の気配があることが、ひどく心強かった。
◆
ログハウスの地下に安置された世界樹の枝の末端――銀色に輝く結晶体へと指を滑らせる。
「何あれ……嘘でしょう!?」
窓の外を指さすリーフの声。
水平線の向こう、夕焼けを切り裂くように巨大な触手が海面から突き出していた。
巨大魔獣テンタクルス。
それも一匹ではない。
「……防衛機構が、止まっているのか。
くそっ、シグルドの奴、何をしくじりやがった!」
俺は荒々しく世界樹の端末を叩き、障壁を構築しようとした。
だが、反応が絶望的に鈍い。
王都の核が混乱しているせいで、末端であるこの枝までリソース不足に陥っているのだ。
「間に合え……!」
俺は決断した。
王都のメインシステムとの接続を強制的に切断し、この港町だけの独立した局所領域を再構築する。
数千行の術式を脳内で並列処理し、実行を叩き込む。
「再起動……いけッ!」
ログハウスから青白い光が奔り、港町を包み込む不可視のドームが形成された。
障壁の構築完了。
俺はその場に膝をつき、大きく肩で息をした。
「……ふぅ。 これで、なんとかなったはずだ」
そこへ、リーフが静かにお茶を淹れてくれた。
かつて王都で、泥のような苦いマナポーションを流し込んでいた日々とは比べものにならないほど、その茶は身体の隅々にまで染み渡った。
だが、その安らぎは、不吉な咆哮によって無残に引き裂かれた。
――ヴォォォォォオオォンッ!!
障壁の展開が完了する直前、独立化のプロセスで生じたわずか数秒の隙間。
そこを突いて、一匹の魔獣が内側へと滑り込んでいたのだ。
魔獣は入港しようとしていた大型商船に絡みつき、その船体を握りつぶそうとしている。
「……演算が、一歩遅れたか」
俺は呟き、窓枠に手をかけた。
だが、まだ修正は間に合う。
「『凍れ』」
俺の瞳に映るのは、魔獣の肉体ではない。
世界という巨大な織物を構成する、幾百万、幾千万の理の記述だ。
虚空に描いた極小の術式が、絶対的な静寂を海へと注ぎ込む。
巨大な魔獣は一滴の血も流さず、精緻な氷の彫像へと成り果て、砕け散って海へと還っていった。
◆
「……と、まあ。
王都での暮らしは、あんな感じのろくでもないものだったんだ」
戦闘の後、俺は問い詰めてきたリーフに、ぽつりぽつりと過去を話していた。
「よくよく考えてみたら、俺はただの部品だった。
……だから、リーフ、君に出会えてよかったよ。
もう、あんな不味いものを食事だと思い込まなくて済む」
「もう、それだけ? あんた、自分の命が削られていたってこと、わかっているの?」
呆れたように、けれど心配そうに俺を見つめるリーフ。
俺は少しだけ視線を逸らし、本心を口にした。
「……感謝してるよ。 正直、頭が上がらない。
君が淹れてくれる蜂蜜酒や、この静かな時間は、俺にとって何物にも代えがたい報酬なんだ」
俺はリーフの目をまっすぐに見つめた。
「君を守るためだったら、俺は何でもする。
この港町の平穏も君の笑顔も、俺が綴る術式、全てで固定してやる。
……本当だ。
無理に信じてくれなくてもいいけどな」
それは、感情を数値化できない俺が、最大限の論理をもって導き出した誓約だった。
「……な、ななな、何でもだなんて……!」
リーフの顔が、みるみるうちに沸騰したかのように真っ赤に染まっていく。
彼女は「あわわ」と手を振り回しながら、完全にオーバーヒートを起こしている。
「……もう、この朴念仁。
演算能力は世界一のくせに、一番大事な心が全然読めてないんだから……」
「? 何か言ったか?」
「何でもないわよ! ほら、さっさと歩きなさい!」
ぷいと横を向いて歩き出したリーフ。
俺は首を傾げながらも、彼女の隣で歩き続けた。
背後にある世界樹の枝は、独立したシステムとして静かに、力強く鼓動を刻んでいる。
――だが、その決意を試すかのように。
王都から派遣された特務部隊の軍靴の音が、着実に、この西の果てへと近づいていた。
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