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1-9 沈黙:偽りの聖域と、凍結された時間

 夜の帳が完全に下りた銀鱗の港町エリュシオン。


 俺とリーフは、静まり返った『潮風亭』の重い木扉を押し開けた。


 昼間の喧騒が嘘のように、店内は深い静寂に包まれている。


 だが、そこには明白な違和感があった。


 厨房からも、奥の控室からも、生命の拍動バイタルが一切感知できないのだ。


「……不思議そうな顔ね。 マスターや他の従業員なら、最初からいないわよ」


 リーフが事も無げに言いながら、パチンと指先を鳴らす。


 すると、カウンターの奥で佇んでいたマスターの輪郭が、陽炎のようにゆらりと揺らぎ、青白い光の粒子となって霧散した。


 机を拭いていた店員も、棚のグラスも実体を失い、ただの魔力光へと還元されていく。


「あれは、私がこの場所を維持するために定義した実体型自立術式なの。

 ルシ、貴方がいつか辿り着くための場所を、私が構築しておいただけだもの」


 俺は絶句し、驚愕の眼差しで彼女を見やった。


 術式で幻影を見せることは容易だ。


 だが、物理的な質量を持ち、他人と対話し、食事まで提供する自律人形を数週間にわたって並列稼働させ続けるなど、王都の魔導師団が総出でかかっても不可能な芸当だ。


「……君には、それほどの出力リソースがあるのか。

 今は世界樹の本体から切り離されているというのに」


「愛の力よ。 貴方への、重すぎるくらいの愛。 ……それだけよ、ルシ」


 リーフは小首を傾げ、琥珀色の瞳を悪戯っぽく細めた。


 あまりに直接的で、一切の比喩を含まない宣言だ。


 俺の脳内の演算ユニットは想定外の言葉インプットに過負荷を起こし、顔面が熱を帯びるのを自覚した。


「……他人からの純粋な好意には、慣れていないんだ。

 俺に向けられるのは、いつだって『不気味なガキ』という侮蔑か、効率への好奇、あるいは才能への嫉妬……マイナスの感情ばかりだったから」


 俺が視線を泳がせながら絞り出すと、リーフは「ふぅ」と深い溜息をついた。


「本当に、朴念仁ね。

 王都で調律をしていた五年間、私は常に貴方の隣にいて、ずっとラブコールを送り続けていたのに。

 貴方ときたら『記述エラーか?』なんて顔をして首を傾げるだけだったじゃない」


「……すまない。

 あの時は、ことわりを繋ぎ止めることに必死で、周囲のログを読む余裕がなかったんだ」


 俺は消え入りそうな声で平謝りするしかなかった。


 論理では説明のつかない、胸の奥の疼きが止まらない。


「まあいいわ。

 その鈍感さの報いは、これから毎日、たっぷり時間をかけて精算してもらうから。

 覚悟しておきなさいね?」


「……善処する、としか言えないな」


 リーフはクスクスと笑い、俺をカウンターの席へ促した。


 彼女は自分用のミードを注ぎながら、ふと真剣な表情に戻り、俺の顔をじっと見つめた。


「それより、私がずっと気になっていたのは……貴方の身体のことよ。

 十歳から五年間、一緒に過ごして……いよいよ十五歳で、完全に『固定』されちゃったわね」


 彼女の指摘は、俺が最も触れられたくない自己の仕様ステータスの根幹に触れていた。


「……本来、世界樹の傍で強い魔力の波動に当てられながら調律を続けていたら、老化は早まるものよ。

 でも、貴方は違う。

 生物としての時間が、外部から強制的に停止させられている。

 十五歳の姿のまま、細胞一つ、記述一行すら変化しない……そんな異常な静止が、貴方の内側にはあるの」


「…………。 気味が悪い、だろう?」


「私は人間じゃないから、そんなことは気にしない。

 ……でも、王都の連中は違ったのでしょう?」


 リーフの優しい声が、俺の心の防壁を静かに解いていく。


「同僚も、シグルドも……過酷な労働を続けても顔色一つ変わらず、疲れも見せず、老けもしない。

 その異常性に、彼らは恐怖し、忌避していたんだと思う。

 俺がどれだけ摩耗しても助けが入らなかったのは、彼らが俺を『人間』として見ていなかったからだ」


 シグルドは、俺のこの異常を便利に利用した。


 死ぬまで使い倒せる、永久稼働の道具として。


 その事実をあらためて言語化すると、胸の奥に黒いかすのような怒りがおりのように溜まっていく。


「……ルシ。

 貴方のその力、そして隠されている秘密を、私に教えてくれない?


 貴方を構成する本当の『内面』を、私は知りたいの」


 リーフの琥珀色の瞳が、夜の静寂の中で真摯に光る。


 俺は重い口を開いた。


 誰にも、師匠であるメギストスやバナードにさえ、すべてを語ったことはなかった。


 だが、彼女になら、この壊れた物語の断片を預けてもいいと思えた。


「……そうだな。

 あれは、俺が五歳の時だったかな」


 意識が、現実の音を失っていく。


 俺は、今や遠い霧の彼方にある、すべての始まり――あの忌まわしくも美しい、運命の日の回想へと深く沈み込んでいった。

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