9-7 瓦礫の上の戴冠:再生への調律
嵐の後の静寂は、時として嵐そのものよりも残酷な現実を突きつけてくる。
王都、そして王国全土は、まさに機能不全の極致に陥っていた。
王宮の中枢が消失し、行政を司る貴族や官僚たちが逃亡、あるいは死に絶えたことで、国という巨大な機構はその重みで崩れ落ちようとしていた。
各地では食料を求める民衆が暴徒化し、それを力でねじ伏せんとする兵士たちとの間で衝突が絶えない。
その凄惨な国内情勢の中で、皮肉にも最も秩序が保たれていたのは、物理的に最も破壊されたはずの王都であった。
それは、前線で民を護り抜いた各騎士団の団長たちが存命であったこと、そして何より、民衆の怒りを一身に受ける生け贄が目の前に存在していたからに他ならない。
シグルド――国を混乱に陥れ、未曾有の天災を呼び込んだ大罪人。
アイリスの手によって引きずられていく彼に対し、民衆は容赦のない罵声と石を浴びせかけた。
「この売国奴め!」「街を返せ! 家族を返せ!」
本来、彼を収容すべき王宮地下の堅牢な牢獄は、ネロの放った光刃によって跡形もなく消え去っていた。
そのため、シグルドが押し込められたのは、偶然瓦礫の中から見つかった見世物小屋の移動用檻であった。
鉄格子の向こう側で、失禁し、泥にまみれて震えるかつての賢者候補。
その無様な姿を見て、ある者は溜飲を下げ、またある者は「なぜこれほどの罪人を、今すぐ広場で処刑しないのか」と見張りの兵士に詰め寄った。
民衆にとって、目に見える悪を断罪することだけが、壊れた心を繋ぎ止める唯一の希望となっていたのだ。
無能な王と狡猾な宰相、そして卑屈な側近たちが一掃された今、事実上の国政の頂点に立たされたのは、宮廷魔導師団の団長ゼノス=ヴァン=ブライトであった。
彼は忠誠心に厚く、組織をまとめる力には長けていた。
しかし、悲しいかな、彼にはこの未曾有の国難を一人で背負い、新たな時代を切り拓くほどの王の器は備わっていなかった。
「ルシ殿……いや、ルシ閣下。
どうか、この国を導く『英雄王』として、玉座に座っていただきたい」
ゼノス団長は、生き残った有力者たちを率い、ルシを英雄として祭り上げることで、国の安定を図ろうとした。
しかし、俺の答えは冷徹なまでに明確だった。
「断る。 俺は王になるためにここに来たわけじゃない」
瓦礫の上に集まった群衆と、期待に目を輝かせる騎士たちを前に、ルシは突き放すように言い放った。
「自分たちで考え、自分たちでこの国を立て直せ!
誰か一人の英雄に寄りかかる時代は、もう終わったんだ。
俺には、王座に座ってふんぞり返っている暇なんてない。
……俺にしかできない、世界の『修復』が残っているんだ」
呆然とする人々を後にし、俺はリーフ、そして未だ深い眠りの中にあるネロを伴って、奇跡的に戦火を免れた世界樹ユグドラシルの間へと籠もった。
◆
世界樹の間の中心。
巨大な霊樹の根元で、俺は樹木に手を触れ、深い意識の底で対話を始めていた。
かつて飛空艇の中で構想した世界樹の再構築案。
それが、この世界の理そのものであるユグドラシルにとって受け入れ可能かどうか、俺は一つずつ、世界の設計図を読み解くように確認を進めていく。
むろん、その作業の傍らで、俺は世界樹の根を通じて、王国全土に及ぶ最低限の生活環境の復旧を先行して行った。
枯れ果てた井戸に地下水を誘導し、凍てつく村々に地熱を回し、主要な街道の瓦礫を魔法的な共鳴によって端へ退ける。
それは政治家としての統治ではなく、この世界を管理する保守者としての務めであった。
しかし、この場所で彼が行わなければならない最も重要な修復は、自分たち三人の存在そのものの調整であった。
俺自身の意識は、二度にわたる世界樹との融合を経て、すでに純粋な人間とは呼べない領域に達していた。
その存在の九割方は、世界樹という巨大な魔導回路の一部として溶け込みかけている。
リーフは、世界樹の娘の化身として実体を得ているが、その根源は今も樹の脈動に依存していた。
そしてネロ。
彼は、無垢な少年の魂を、無理やり殺戮兵器としての冷徹な魔法式に繋ぎ止められた、最も不安定な存在だった。
「このままじゃ、ネロは外の世界で生きていけない……。 俺が、この子を書き換える(つくりかえる)」
俺は、自分とリーフの安定した構造を模範として、ネロの存在を根本から調律し直した。
まず、その象徴的な銀髪を、リーフと同じ鮮やかな紺碧色へと染め替えた。
瞳の色も、普段はリーフと同じ紺碧だが、強大な魔力を行使する瞬間だけは、リーフや俺と同じ琥珀色へと輝くように調整を施す。
それは、外見上の姉弟としての絆を強めるためだけではない。
王国中の人々は、あの銀髪の少年を、シグルドと共に街を破壊した恐怖の象徴として記憶している。
このままの姿では、ネロは一生、日の当たる場所を歩くことができない。
新しい髪色と瞳は、彼が過去という名の鎖を断ち切り、新しい人生を歩むための仮面でもあった。
さらに俺は、三人の存在を世界樹という巨大な供給源から物理的に切り離し、それぞれが独立して生きられる自律行動可能な魂の型へと定着させていく。
「これで、俺たちは世界樹の側に縛られる必要がなくなる。
……本当の意味で、自由にどこへでも行けるようになるんだ」
俺がその最後の一節を書き終えた瞬間、世界樹の間を柔らかな光が満たした。
紺碧の髪をなびかせるリーフ、そして同じ髪色に染まり、安らかな寝息を立てるネロ。
ルシは自分の琥珀色の瞳を見つめ、少しだけ誇らしげに、そして少しだけ寂しげに微笑んだ。
自分たちはもう、人間には戻れない。
しかし、この壊れかけた世界を繋ぎ止めるための歯車としてではなく、自らの意志で歩む守護者としての新しい命を、彼は手に入れたのだ。
瓦礫の上の玉座ではなく、世界の根源である樹の下で。
魔導師ルシの、真の意味での再構築が、静かに完了した。
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