9-2 特権命令の拒絶(サスペンド)
王都の政治的中枢であったシェルターが、ヴォルガ宰相と共に消去されたその瞬間、残された王都の軍民に絶望という名の恐慌が伝播した。
指揮系統を失った魔導騎士団と宮廷魔導師団は、かつてないパニックに陥っていた。
「宰相閣下が消えた!? バカな、あのシェルターは絶対だったはずだ!」
「逃げろ! あれは魔法じゃない、天災だ!」
恐怖に駆られた兵士たちが武器を投げ出し、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
各団長たちが声を枯らして諫めていたが、もはや崩壊した統治を修復する術はどこにも残されていなかった。
◆
一方、戦場の中心地――。
シグルドは、空中を浮遊するネロを見上げ、狂ったように叫び続けていた。
「なぜだ! なぜ私の命令を受理しない!
私はお前の主だ! お前を組み上げた神にも等しい存在なのだぞ!」
彼は世界樹の義腕を振りかざし、無理やり再接続を試みる。
しかし、ネロの深層回路はシグルドの魔力波動を信頼できない不正ソースとして完全に識別し、そのアクセス権限を一時停止していた。
「ひぃっ!?」
返ってきたのは主への服従ではなく、冷徹な殺戮の光刃だった。
シグルドは無様に石畳を転がり、間一髪でその存在消去の一撃を回避する。
その醜態を、メギストス師父が展開した多重防御壁の中から、アイリスが冷ややかに眺めていた。
「『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』なんて言葉があるけれど、あいつの場合は逆ですわね。
あんなにデタラメに動いていて、よく消去されないものですわ。
放っておけば、そのうちネロの自動排除に引っかかって消えるでしょうけれど」
バナード師匠は、飛来する破片を闘気で弾き飛ばしながら、不敵に笑う。
「案外、ああいう奴こそ、しぶとく最後まで生き残るものかもしれんぞ。
悪運という名の運を、生まれつき装備しているような男だからな」
「……貴様ら、もう少し固まってくれんか」
メギストス師父が、苦々しく口を開く。
「古代魔法の定義に干渉するこの障壁は、現代魔法のそれより遥かに精神リソースを消費するんじゃ。 余計な動きをされると演算が追いつかん。
障壁の有効面積を最小まで縮めるぞ、離れるな」
背後で交わされる頼もしい、あるいは軽妙なやり取りを聴きながら、俺の意識はすでに別の階層にあった。
俺の琥珀色の瞳――解析眼は、ネロという巨大なシステムの魔導式を克明に読み取っていた。
「……やはりな。 隷属の冠という物理デバイスが破壊されたことで、シグルドの管理者としての認証が失効している」
隣に立つリーフが、不可解そうに首を傾げる。
「管理者不在で自律稼働している、ということ? でも、おかしいわ。
あの子の魂は、あんな破壊を拒絶していたはず……。
あ、分かったわ、強制の『刻印魔法』ね?」
「ああ。 魂の意思とは無関係に、根源的な定義として『外敵の排除』が書き込まれているんだ。
だが……」
俺は、ネロから放たれる光刃の軌道を再計算し、ある違和感に突き当たった。
「リーフ、さっきから気付かないか? ネロの攻撃は王都を蹂躙しているが……俺たちに向けられた決定的な一撃が、一度も飛んできていない。
シグルドにはあれだけ殺意を飛ばしているのに、だ」
リーフはハッとした表情で、ネロの視線と自分の位置関係を確認する。
「言われてみれば……。 私たちがメギストス様の障壁に守られているからではなく、そもそも『ターゲット』としてロックオンされていない?
まだ、あの刻印魔法の出力が安定していないのかしら?」
「それも一理ある。 だが、本当にそれだけかな。
システムが俺たちを『敵』ではなく『身内』……あるいは『上位権限者』と誤認している可能性がある」
ルシは意を決した。
この謎を解き、ネロの暴走を止めるには、外部からのスキャンだけでは限界がある。
「リーフ、力を貸してくれないか。 あの子の深層意識に直接入り込む必要がある」
「ええ、もちろんよ。 あの子を……私の『弟』を救うためなら、私の全リソースを同期させて!」
「よし。 解析を最大出力まで強化する。
場合によってはネロの精神世界へダイブする。
その間、俺の肉体は完全に無防備になる。 ……俺を、守って欲しい」
リーフは、力強くルシの手を握り返した。
その瞳には、不安を塗りつぶすほどの強い決意が宿っている。
「分かったわ。 あなたの背中は、私と……あそこにいる最強の師匠たちが、死んでも守り抜いてみせる」
二人の魔力が共鳴し、琥珀色の光が渦を巻く。
王都が崩壊の淵に立つ中、魔導師と世界樹の娘は、悲鳴を上げる少年の魂の魔導コードへと、深く、深く潜行を開始した。
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