9-1 暗黒のガバナンス(宰相の最期)
王都の地下深く。
そこには、地上の喧騒と破壊から隔絶された、贅の限りを尽くした絶対安全圏が存在していた。
王宮の最深部に位置するその空間で、宰相ヴォルガ=ド=グラディウスは、最高級のワインを揺らしながら、魔法鏡に映し出される地上の惨状を高みの見物と決め込んでいた。
彼の周囲を固めるのは、私欲のために国を切り売りしてきた側近と、権力に寄生する貴族たちだ。
だが、鏡の向こうで王都の街並みが消去されていく光景を前に、彼らの顔からは余裕が消え失せていた。
「宰相閣下……本当に、本当に大丈夫なのですか?」
「このシェルターの障壁は、あの化け物の攻撃に耐えられるのか……!?」
震える声で問いかける貴族たちを、ヴォルガは冷笑と共に一蹴した。
「案ずるな、小心者ども。
このシェルターを覆う多重魔導防壁は、あの忌々しいルシが展開していた防御術式を徹底的に解析し、再現させたものだ。
かつて、あの小僧の障壁は世界樹の眼(天罰の雷)すら完全に無効化したではないか!
ならば、同系統の魔導反応であるあの人形の攻撃とて、防げぬ道理はない」
ヴォルガの言葉は、一見すれば論理的であった。
だが、その論理には致命的な誤認が含まれていた。
ルシがかつて世界樹の雷を防いだ障壁は、彼が現代魔法の極致として組み上げた独自の動的防御アルゴリズムによるものだ。
対して、ヴォルガが研究させて作らせたのは、その表面的な魔力構成を模倣しただけの、静的な劣化版に過ぎない。
さらに致命的なのは、雪原の神殿において、ルシの現代魔法の障壁が古代魔法によって容易に貫通されたという事実を、彼らが知らないことだった。
その時だった。
魔法鏡の視界が白濁し、ネロが放った一条の光刃が、王宮の第一防衛ラインを紙細工のように切り裂いた。
直撃した時計塔の一部が、爆発すら起こさず、ただ、そこに無かったこととして空間ごと消失する。
「ひぃぃぃぃっ! 消えた……消えたぞッ!!」
一人の貴族が、恐怖のあまり失禁しながら頭を抱えてうずくまった。
その無様な姿に、ヴォルガの眉が不快げに跳ね上がる。
「……見苦しい。 貴様のような臆病者は、新世界の秩序を担う我らの同志にはふさわしくない。 おい、この男を外へ連れ出せ!
あの魔人の攻撃の露と消え、自らの無能を証明するが良い!」
ヴォルガの非情な命令により、衛兵たちが泣き叫ぶ貴族を引きずり出そうとした――その瞬間。
シェルター全体の空間が、激しい異音と共に軋んだ。
ネロが放ったのは、物理的な熱量攻撃ではない。
世界樹の深層権限を用いた古代魔法による空間定義の抹消。
対して、シェルターを護る現代魔法の障壁は、あくまで三次元的な物理干渉を防ぐための厚い壁でしかなかった。
「な、何だ……? 魔力圧が……逆流しているだと!?」
ヴォルガの目の前で、絶対の信頼を置いていた多重防壁が、まるで古い羊皮紙が火に炙られるように、端からパサパサと崩壊を始めた。
現代魔法という脆弱な防壁の上に築かれた城。
それは、古代の管理者権限を持つネロの消去命令の前では、ただの書き込み禁止属性すら持たないゴミデータに等しかった。
「馬鹿な……ッ! 防御壁を最大出力にしろ! 予備の魔力タンクをすべて開放――」
ヴォルガの叫びは、到達した光の波動によって遮られた。
シェルターの天井が、壁が、そして彼が手にしていたワイングラスが。
音もなく透明になり、存在の輪郭を失っていく。
消えゆく意識の淵で、ヴォルガは見た。
自分が至高の兵器として飼い慣らそうとしていたネロが、自分という存在を、処理すべき不要なゴミとして冷徹に処理していく様を。
「私が……私が作り上げたはずの、私の兵器に、消されるというのか……ッ!!」
それは、身勝手な魔導師が、不具合だらけの自作魔導式に飲み込まれるような、あまりにも皮肉な最期だった。
絶叫と共に、ヴォルガ宰相はシェルターごと、この世界の全履歴から完全に抹消された。
王都を支配していた暗黒のガバナンスは、その主を失い、一瞬にして物理的な崩壊を迎えた。
残されたのは、主人を失い、暴走を加速させる死の神ネロと、その暴走を止めるために独りダイブを続ける魔導師、ルシ。
王都の政治的中枢が消滅した今、この国の運命は、文字通りルシの指先――その魔導能力に委ねられたのである。
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