8-6 緋色の同期(オーバーロード):陵辱される聖域
神殿の最奥、重厚な石扉が一行の行く手を阻んだ。
そこには多重に重ねられた防壁魔法が展開されており、その奥にこそシグルドが執着した「本命」が眠っていることは疑いようもなかった。
「……プロテクト解除を開始する。 リーフ、同期を最大に」
「了解。 全演算資源をルシの解析に回すわ」
ルシとリーフは、互いの魔導神経を直結させ、解析眼をフル稼働させて術式の糸口を探った。
だが、その瞬間に二人が目にしたのは、あまりにも乱雑で、知性の欠片も感じられない魔導の瓦礫だった。
「……これが、プロテクトだと? ふざけるな……!」
ルシは思わず絶句した。
かつて氷の貴公子と謳われ、寸分の狂いもない二百五十五枚の防壁を自在に操ったシグルド=アイズベルク。
その彼が構築したとは到底信じがたい、継ぎ接ぎだらけの稚拙な術式。
ルシは解析眼による過去視を行い、その原因を突き止めた。
網膜に映し出されたのは、世界樹の義腕に飲み込まれかけ、情報の濁流に脳を焼かれながら、辛うじて魔法を発動させているシグルドの姿だった。
「ルシ……? 顔色が悪いわ。 何を見たの?」
リーフの懸念に、俺は苦々しく首を振って応えた。
「……シグルドはもう、まともに魔導式を書くことすらできない。
世界樹という巨大な物を無理やり直結させたせいで、彼自身の演算領域がオーバーフローを起こしているんだ。
今の彼は、暴走するシステムの奴隷でしかない」
俺は吐き捨てるように言うと、瞬時に最適な解除術式を編み出し、実行した。
かつてなら数時間を要したであろうシグルドの防壁は、今のルシの前では紙細工に等しかった。
一瞬の閃光と共に扉が開き、一行は部屋の中へと踏み込む。
中央に鎮座していたのは、零号機――ネロが封印されていたはずの、巨大な水晶の棺だった。
だが、その蓋は乱暴に開け放たれ、中は、もぬけの殻となっている。
「……正解を引き当てた様ですわね。 あの無謀な試行錯誤(総当たり)の末に」
アイリスが周囲を警戒しながら呟く。
俺とリーフは、再び過去視を発動させた。
今度は室内全体に情報を投影し、一行の目前にかつての光景をホログラムのように再現する。
光の粒子が形を成し、歓喜に震えるシグルドの姿が浮かび上がった。
彼は血走った眼で、ついに開いた棺を見つめている。
最強の兵器ネロが目覚め、自分に跪き、世界を壊滅させる光景を夢見て。
だが、現実は非情だった。
棺の中で横たわる漆黒の少年は、蓋が開いてもなお、ピクリとも動かない。
「……なぜだ。 なぜ動かん! パスコードは正解したはずだ!
起動しろ、起動しろと言っているんだッ!」
ネロは物言わぬ人形のように沈黙を保ったままだ。
「ふざけるな! この木偶人形が! まだこの俺様を手こずらせるというのか!」
シグルドは絶叫し、か細いネロの身体を棺から強引に引きずり出した。
そして、無抵抗な少年の胸ぐらを掴み、あろうことかその顔を、身体を、狂ったように殴り始めた。
「動け! 動かんか、このガラクタめ! 私はお前のためにすべてを捨てたのだぞ!」
無機質な金属音と、少年の肉体が床に叩きつけられる鈍い音が部屋に響き渡る。
その光景を目にした瞬間、俺とリーフの瞳から琥珀色の光が消え、燃え盛るような緋色へと変色した。
「……何という事を……!」
ルシの拳が白くなるほどに握りしめられ、周囲の大気がパチパチと放電を始める。
「許せない……! 命を、あの子を何だと思っているの……!」
リーフの声は、悲しみを超えた絶対的な拒絶に満ちていた。
二人は過負荷を厭わず、神殿の全リソースを解析眼に叩き込んだ。
詳細設計書の深層に隠されていた仕様――『入力エラーが規定回数を超えた場合、セキュリティ保護のため、蓋が開放されてもシステムは自己崩壊シーケンスへ移行する』
シグルドは、マニュアルを捨てたがゆえに、自らの運任せの操作がネロの魂を内側から焼き切っていることにすら気づいていなかった。
怒りが頂点に達した俺の思考が、神殿の管理システムと完全に同期する。
「――全防壁、強制解除。 実行」
ルシの言葉と共に、室内に張り巡らされていた隠しトラップや防御陣が、一瞬にして光の塵となって霧散した。
「アイリス、部屋の捜索を! 全ギミックを暴け!」
ルシの怒濤の指示を受け、アイリスが電光石火の動きで部屋を洗う。
本棚の偽装、床板の噛み合わせ――執念の捜索の末、壁の奥に隠された秘密の転移部屋が露わになった。
床には巨大な魔法陣が刻まれている。
ルシの解析結果は、それが王都への超長距離転移ゲートであることを示していた。
過去視の投影が、最後の場面を映し出す。
自己崩壊の煙を上げ、力なく垂れ下がるネロを抱えたシグルドが、狂気の笑みを浮かべながら魔法陣の光の中に消えていく姿。
「……王都に行ったか。 奴は、壊れかけたネロを強引に前線へ投入するつもりだ」
「この魔法陣を使って追いかけましょう!」
リーフが叫ぶが、ルシは冷静に首を振った。
「いや、危険すぎる。 このゲートの出口は、シグルドによって『ハニーポット(罠)』に設定されている可能性がある。
転移した瞬間に敵のど真ん中、あるいは世界樹の直撃を受ける場所かもしれない」
ルシは空中に瞬時に帰還用の座標を計算し、術式を編み上げた。
「一旦、待機させている飛空艇へ戻る。
中距離転移でデッキへ直接跳び、最大戦速で王都へ向かうぞ。
……奴のデタラメな書き換えで、ネロを死なせはしない」
俺の瞳に宿る緋色の輝きは、もはや消えることはなかった。
それは、システムを汚す者に対する管理者としての、そして友を傷つけられた人間としての、消えることのない断罪の炎。
一行は中距離転移の光に包まれ、怒りと決意を胸に、戦雲急を告げる王都の空へと帰還を開始した。
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