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8-2 血塗られた日誌:生体中継器と、敗北の証明

 アイリスが隠し棚の奥から引き出したその手記は、触れることすら躊躇われるほどの負のオーラを放っていた。


 表紙の古い革を侵食するように、赤黒い血痕が地図のような模様を描いてこびり付いている。


 ページをめくるたびに、死臭に似た淀んだ魔力の残滓が鼻を突き、そこには魔導師としての矜持をドブに捨て、効率と強欲の果てに行き着いた生体ハッキングの凄惨な記録が綴られていた。


「……信じられないですわ。 これ、人間が正気で書く術式じゃないですわ」


 アイリスの声が、嫌悪と恐怖で微かに震える。


 日誌に記されていたのは、シグルドが失った左腕をわざと王都の地下深く、世界樹の根が這う禁域に遺棄させたという告白だった。


 内通者の手によって世界樹の心臓部付近へと運ばれた肉体を、彼はアンカーとして利用。


 世界樹の生枝で精製した特殊な義腕を介し、空間を超えて常時接続フルタイム・リンクさせていたのだ。


 その目的は、王都の守護の要である聖樹や世界樹から、膨大な精霊力と魔導力を密かに略奪ドレインすること。


 吸い上げたリソースは義腕を通じてシグルドの肉体を異常なまでに強化し、さらには最下層に眠る禁忌兵装ネロへの急速充填オーバーチャージへと回されていた。


 自らの欠損した肉体すらも通信インターフェースとして再利用し、大地の資産を食い荒らすその手法は、高潔な魔導師の探求などではない。


 世界樹という巨大なシステムを内側から蝕む寄生虫パラサイトの所業であった。


 一行の間に、石のように重苦しい沈黙が落ちる。


 メギストス師父が、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。


「……その溢れんばかりの狂気と執着を、ほんの少しでも『構築』の方向に使っておれば、これほど無残な末路を辿ることもなかったろうに」


 日誌の行間には、共犯者である宰相ヴォルガ=ド=グラディウスの名が、呪いの呪文のように何度も繰り返されていた。


 二人が王都の防衛網を内側から無力化し、世界樹を戦時体制ウォー・モードへと強制遷移させるために交わした、醜悪な密約。


 内通している側近や貴族のリストまでが、冷徹な利害計算と共に列挙されている。


「これは……王都を根底から揺るがす『不正の証拠』ですわ。 私が責任を持って保管しますわ」


 アイリスは、特務部隊としての使命感を瞳に宿し、その汚れた日誌を硬く握りしめた。


 ◆


 調査を進める俺の手が、もう一冊の薄い書物に止まった。


 そこにはネロの再起動に関する、より個人的で感情的な叫びが書き殴られていた。


 魔力を注いでも、注いでも、沈黙を守り続ける漆黒の少年兵器に対する、罵詈雑言。


 そしてあるページを境に、シグルドの筆致が激しい動揺を見せていた。


『――聖樹の回線が切断された。 あの忌々しい妖精の森で、何者が掃除を行いおった。

 私の左腕が、供給源を失ったではないか!』


 俺はその日付を見て、合点がいった。


「……これ、俺たちが妖精の森で、聖樹に絡みついていた世界樹の根を排除した時期と完全に一致する。

 俺たちが『良かれ』と思ってやった対応が、図らずもシグルドの供給ラインを一本切断していたんだ」


 供給を絶たれたシグルドは、代替手段として、より高負荷で不安定な世界樹の生枝を自らの肉体に無理やり直結させたことが記されていた。


 それ以降、日誌の文字は激しく震え、彼自身の精神が世界樹の膨大な情報量に耐えきれず脳がオーバーフローを起こし始めている様子が、痛々しいほどに伝わってくる。


 そして、日誌の末尾は、一人の人物に対する異常なまでの考察――あるいは、剥き出しの恐怖で埋め尽くされていた。


『――あの化け物。 ルシ=ファーレン。 あの男に勝つには、どうすればいい?』


論理ロジックでは勝てない。 演算スピードでも届かない。

 奴は、魔法の深淵を歩いているのではない。

 魔法そのものを書き換えてしまう規格外の不具合イレギュラーなのだ』


 ページをめくる手が止まる。


 シグルドが行き着いた結論は、絶望に満ちた敗北宣言だった。


『――私という個人では、どうあがいても奴には届かない。

 唯一の対抗手段、唯一の逆転策は……太古の魔導兵器ネロをぶつけ、概念ごと奴を消滅させること。 それ以外に、私の正義を証明する道はない』


 俺は、その記述をじっと見つめた。


 かつて背中を追っていた兄弟子が、これほどの恐怖と憎悪を自分に向けていたという事実。


「……シグルド。 あんたは、俺を『化け物』と呼んだが。

 ……本当の化け物は、自分の心すら魔導に売り渡した、あんたの方だ」


 俺の琥珀色の瞳に、冷たい、しかし燃えるような怒りの炎が宿る。


 シグルドのバックエンドに隠されていたのは、救いようのない劣等感と、それを埋めるための破壊衝動。


 一行は、血と泥に塗れた過去のログを閉じ、いよいよシグルドが待つ最深部の実行階層へと歩みを速めた。

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