7-6 婚姻の誓約:情報の聖域と、琥珀の口づけ
世界樹ユグドラシルの最深部、全ての事象が光の奔流として流れる情報の核において、二人の魂は激しく火花を散らしていた。
俺は、自らの意識の半分を冷徹な解析機として機能させ、リーフを現世へと繋ぎ止めるための即興パッチを編み上げ続けていた。
それは、互いの魂の根幹を分かちがたく結びつける、不可逆的な魔導式。
「あ……!」
リーフが、自らの魂に刻まれる重みに気づき、声を上げた。
それは単なる保護ではない。
俺という存在の全リソースを、彼女という個体を維持するためだけに割り当てる、狂気じみた献身の証明。
「……あなた、そこまでして。 私という『個』を、無理やりにでも繋ぎ止めるつもりなの?」
「当然だ」
俺は、情報の荒波に抗いながら、一歩も引かずに言い放った。
「以前、シグルドの奸計によって、君が消えかけた時、俺は誓ったはずだ。
――君が再び危機に陥るなら、俺は何度でも死地に赴くと。
あれは、論理的な予測ではない。 俺という存在の、唯一の確定事項だ!」
「もう……本当に、バカ! この、救いようのない朴念仁!!」
リーフの罵声は、もはや怒りではなく、震えるような愛惜の情に満ちていた。
「そうだよ、俺は朴念仁だ! 効率とロジックしか取り柄のない、欠陥品さ! 悪かったな!」
俺は、言葉による対話を打ち切った。
俺は強引にリーフの肩を引き寄せ、その唇を、自らの唇で塞いだ。
驚きに目を見開いたリーフの手が、ルシの胸元をポカポカと弱々しく叩く。
だが、やがてその抵抗は消え、彼女の腕は俺の首に回され、互いの存在を確かめ合うような深い抱擁へと変わっていった。
その瞬間。
世界樹の核から、これまで見たこともないような、柔らかな乳白色の光が溢れ出した。
数千年の孤独を守ってきたユグドラシルのシステムが、二人の魂の共鳴を正当な進化として認め、祝福の旋律を奏で始めたのだ。
「……お母様(世界樹)が、笑っているわ。 私たちを、祝ってくれている」
リーフが、俺の腕の中で顔を赤らめながら囁く。
「ああ。 ……心の底から『嬉しい』と思えたのは、これで二度目だ」
「最初は……いつ?」
「リーフ、君に出会ったあの日だよ。 初めてこの胸に温かな熱が灯った。
あれが、俺の生命としての原点だ」
「……私も同じよ、ルシ。 あなたに出会った時、システムの一部だった私が、初めて自分の意思を持てた瞬間よ」
情報の海に、穏やかな凪が訪れる。
「戻ろうか。 ……アイリスたちが、下界で待っている」
「そうね。 ……でも、もう少しだけ。
この暖かさを、忘れないように刻み込んでおきたいの」
「分かった。 気が済むまで、ここに居よう」
俺は、彼女の紺碧色の髪に顔を埋めた。
だがその時、リーフがハッとしたように顔を上げ、周囲を見渡した。
「……そういえば、あの子は? ネロはどこに……?」
二人が振り向くと、そこには少し離れた光の波紋の上に立ち、花が綻ぶような笑みを浮かべる少年がいた。
銀の髪を揺らし、自らの呪われた運命を一時忘れたかのように、ネロは二人を見つめていた。
「お姉ちゃんとお兄ちゃん、仲直りしたんだね。……良かった。 すごく、綺麗だよ」
俺は、少年の瞳に宿る深い孤独を感じ取り、真剣な眼差しを向けた。
「ネロ。 君もこんな寂しい場所にいないで、俺たちと一緒に現実へ戻れないか?
魂を定着させるための、新しい『器(依り代)』なら、俺が必ず用意してみせる」
少年は、寂しげに、けれど優しく首を振った。
「……ありがとう、お兄ちゃん。
でも、それは無理なんだ。 僕の魂は、あのアダマントの檻にくっついたまま、切り離せないように造られているから……」
ネロの言葉は、太古の技術による非道な縛鎖を示していた。
俺は拳を握りしめ、少年の瞳を真っ直ぐに見据えて、静かに、けれど鋼のような決意を込めて告げた。
「……そっか。 分かった。 じゃあ、約束だ、ネロ。
もし君が、現実世界で強制的に目覚めさせられることがあっても……俺が必ず、君の体に刻まれたその『嫌なもの』を、すべて消し去ってやる。
君が君自身の意思で笑えるように、俺が治してやるから」
「……うん。 約束だよ、お兄ちゃん。 信じて、待ってるね」
ネロの姿が、光の粒子となって遠ざかっていく。
世界樹の核、母なるユグドラシルに別れを告げ、ルシとリーフの意識は、猛烈な重力に引かれるようにして、雪山の麓、あの冷たい洞窟の肉体へと帰還していった。
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