表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

66/133

7-5 比翼の絆と、聖域の不協和音

 洞窟の空気は、物理的な凍結を超えて、時そのものが停止したかのような静寂に包まれていた。


 俺の琥珀色の瞳からは、もはや人間としての光が消え失せ、代わりに世界樹の根源に流れる蒼き星の血液――純粋な魔力光が奔流となって溢れ出していた。


 俺は、自らの全能力、全精神、そして血の通った肉体そのものを、岩壁に露出した世界樹の根へと叩きつけた。


「――ダイレクト・リンク。 全回路、強制同期フル・シンクロ


 脳裏をよぎるのは、五歳のあの日の記憶。


 世界樹の一部と化し、心臓の半分を機巧カラクリに変え、人としての温もりを失いかけた苦い感触。


 だが、今の俺にとって、そんな代償は計算に値しない些末な誤差に過ぎなかった。


 いや、リーフという唯一無二の存在を把持ホールドできるのであれば、人でなくなることなど、むしろ安い手数料ですらあった。


「ルシ! 待て、まさか禁忌の直結ダイレクト・リンクを……!?」


 メギストス師父が、裏返った声を上げる。


「それを成せば、お主の魂は世界樹の膨大なログに磨り潰され、二度と『人』の器には戻れぬぞ!」


「――構いません!」


 俺は、歯を食いしばり、魂を削りながら吼えた。


「リーフを……俺にとって世界で唯一の大切な人を失うくらいなら、人でなくなっても構わない! 彼女のいない世界に、俺の居場所など最初から無いんだ!」


 その悲壮なまでの決意に、メギストスは言葉を失い、ただ口を戦慄かせることしかできなかった。


 アイリスはただ黙したまま、祈るようにその光景を瞳に焼き付け、バナード師匠は静かに眼を閉じ、弟子の魂の選択を肯定するように深く頷いていた。


 俺の意識は、情報の荒野へと加速する。


 俺は、消えゆくリーフの自意識の残滓を捉えると、即興で編み出した絶対不変の魔導式を、彼女の魂の核へと叩き込んだ。


 それは、世界で唯一無二の固有識別子ユニーク・アイデンティティを付与し、自分というアンカーと彼女を強固に紐づける、世界樹の理さえも上書きするプライベート・パッチ。


『リーフ、何があっても離さない。 ……君が消えるなら、俺も一緒に消える。

 この絆は、死すらも分断できない決まりだ』


 ◆


 精神の深淵、隔離領域。


 リーフは、己の個が霧散し、巨大な無に溶けていく安堵と恐怖の狭間にいた。


 だがその時、希薄になった自意識に、冷たくも温かい鎖のような感触がまとわりつくのを覚えた。


 鎖はまたたく間に柔らかな抱擁へと変わり、情報の海の中で、見慣れた少年の形を取り始める。


『……ルシ? ルシなの!? どうして……あなたまでここに!?』


 リーフの叫びが、情報の波紋となって広がる。


『馬鹿よ、そんなリンクをしたら、あなたは人でなくなってしまう!

 それどころか、私と一緒にシステムに飲み込まれて消えてしまうわ!』


 その時、俺のどこまでも不器用で、どこまでも真っ直ぐな言葉が、彼女の魂を直接震わせた。


『構わない。 ……俺たちは比翼の鳥だ。

 リーフ、君を失うくらいなら、共に消えることを選ぶ。

 ……俺のいない世界で生きる君を見たくないし、君のいない世界で生きる俺も必要ないんだ』


「――この、大馬鹿者!!」


 リーフの意識が、怒りと歓喜で鮮烈に覚醒した。


「勝手に心中設定を組まないでちょうだい! 死ぬのも消えるのも、私が許さない!

 バカ、バカ、ルシのバカ!」


 世界樹の核、聖域のただ中で始まった、あまりにも人間臭い、激しい痴話喧嘩。


 それは、数千年の時を刻むユグドラシルの歴史において、おそらく初めて観測された計算不能な不協和音であった。


 あまりの熱量、あまりの理不尽な感情の爆発に、リーフを取り込もうとしていた世界樹の核(母親)の動きが、呆気に取られたかのように停止した。


 神聖なシステムが、二人の絆という名の強力な割り込みによって、処理を一時保留せざるを得なくなったのだ。


 ◆


 同時刻、山頂の遺跡。


 シグルドは、もはや穴が開くほどにネロのマニュアルと、そして目の前の水晶の棺を睨みつけていた。


 魔力は満ちている。


 環境は整っている。


 だというのに、ネロというシステムは起動中のロゴすら出さず、沈黙を貫いている。


「……何が足りない。

 何を、私は見落としているのだ……!?」


 シグルドは、再びマニュアルを吹雪の雪原に投げ捨てると、棺の周囲を獣のように這い回った。


 物理的な鍵穴はない。


 あるのは、注ぎ込まれた魔力量を示す不気味なメータと、その傍らに置かれた、正方形の平べったい、鈍く光る金属の板。


 古代の知恵を持たぬシグルドには、それが何を意味するのか理解できなかった。


 それは、現代の魔導師が知る呪文や触媒とは一線を画す、未知のユーザー・インターフェース。


 無駄な時間だけが、冷酷に過ぎていく。


 シグルドはまだ気づいていなかった。


 彼が平べったい板として無視しているものが、ネロという最強の兵装を解き放つための、最後の認証デバイスであることを。


 そして、そのデバイスを起動させるためのパスコードは、彼が雪に投げ捨てたマニュアルの、最も難解で詩的な一節に隠されていることを。

 もし「面白い!」「続きが気になる!」と思っていただけましたら、下記の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をいただけると、執筆の大きな励みになります!


 皆様の応援が、物語を完結まで導く力になります。

  よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ