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7-1 システムへの回帰:母なる意思と、断絶のプロトコル

 北の山脈を叩く吹雪の音を背景に、アイリスが握る魔導通信石が青白く明滅していた。


 その石の向こう側――王都の枢密院では、リーフの決死の覚悟を嘲笑うかのような政治という名の強行処理が進行していた。


 現在、王都の最高会議では、世界樹の運用ステータスを戦時設定ウォー・モードへと強制遷移させるべきだという意見が圧倒的多数を占めていた。


 彼らの論理は至極単純だ。


 宮廷魔導師十数名の不審死、および禁忌兵装『ネロ』の消失。


 これらは明白なテロ行為であり、王国は実質的な内戦状態にある。


 ゆえに、世界樹の出力リミッターを解除し、監視の閾値しきいちを最大まで引き上げることで、反体制派の魔力的動向を一掃すべきだというものである。


 ゼノス魔導師団長は、苦虫を噛み潰したような顔で壇上に立ち、声を荒らげた。


「……待たれよ!

 宮廷魔導師団の内部にさえ、敵の『スパイ』が潜伏している可能性が極めて高いのだ。

 その不透明な状況下で、世界樹の設定を攻撃的な戦時仕様へと書き換えることは、むしろ反体制派に強大な軍事リソースを明け渡す結果になりはしないか!」


 そのゼノスの切実な警告は、会議場に一時の静寂と、賛否両論の拮抗をもたらした。


 だが、それは破滅へのカウントダウンをわずかに遅らせたに過ぎなかった。


 ◆


 一方、洞窟の冷気の中で、アイリスは特務部隊からの暗号化通信を受信し、王都の惨状を共有していた。


「……ルシ、まずいわ。

 王都の保守派たちが、世界樹の『再起動リブート』を強行しようとしているわ」


 アイリスの報告を受け、俺たちはリーフの意思――「フィードバックを遮断してはならない」という警告を特務部隊経由で上層部へねじ込もうと試みた。


 世界樹のリーフからのエラー報告こそが、真実を捉えているのだと。


 しかし、その試みは最悪の形で断絶した。


 リーフの身体が突如として跳ね、そのまま泥のように深い眠り――精神的な昏倒に陥ったのだ。


 直後、アイリスの通信石から悲痛な声が響く。


『……採決が下った。 戦時設定への移行承認。 世界樹、再起動プロセス開始!』


 俺は、意識を失ったリーフを抱きかかえ、その蒼白な顔を見やった。


 彼女の接続が、王都の強引なシステム変更によって、強制的に内部世界へと引きずり込まれたのだ。


 ◆


 その頃、リーフの意識は、肉体を離れて世界樹の深層、中枢制御核コア・ロジックの中にあった。


 そこは、無限に広がる光の回路が脈打つ、神聖にして冷徹な情報空間。


 その中心で、彼女は母の意思、すなわちユグドラシルのシステム人格と対峙していた。


『……リーフ。 もうお止めなさい。

 このように浅ましく、自らを滅ぼす仕組みしか作れぬ人間に肩入れするのは』


 世界樹の核が放つ思念は、慈愛に満ちているようでいて、同時に絶対的な断絶を孕んでいた。


『私と共に、ユグドラシルの安定を支えるのです。

 それがあなたの、本来の役割ロール。 分かるでしょう?

 人間は、自らが生み出した災厄に呑まれて消える運命なのです』


「……いいえ、お母様。 少なくともルシと、その仲間たちは、決して愚かではないわ。

 彼らは今この瞬間も、人間たちの歪んだ行いを、命を懸けて正そうとしている。

 私は、ルシという存在を、彼の持つ『可能性』を信じるわ」


『あの少年……ルシか。 確かに、彼の能力はこの世界の理を逸脱している。

 私も一目を置かざるを得ない』


 世界樹の意思が、静かに波打つ。


『だがリーフ。 あの『ネロ』が起動すれば、太古の昔に引き起こされた、魂さえも消去する恐怖が再演される。

 一度の惨劇から何一つ学習せぬ人類に、私は絶望している。

 その意味を、理解しなさい』


「ルシなら、きっと何とかするはずよ。

 彼の『解析眼スキャン』は、もはや人を上回っている。

 私は彼と共に、新人類としての、あるいは共生者としての道を歩みたいの」


『……よかろう。

 我が娘の、その頑ななまでの献身に免じて……もうしばらく、観測を続けようではないか』


 ◆


 一方、山頂の遺跡。


 シグルド=アイズベルクは、目の前の古代魔法文字という名の解読不能な文字の羅列を前に、憤死せんばかりの形相で吼えていた。


「ええい、何なのだこのマニュアルは!

 冗長な詩文ばかりで、肝心の起動方法が一向に見えてこん!」


 解析の歩みは、重い雪を這うナメクジのように遅滞していた。


 シグルドは知る由もなかった。


 かつて、この『ネロ』の開発に携わった太古の魔導師たちが、自らの生み出した怪物の恐ろしさに耐えかね、あえて設計図やマニュアルを意図的に難解にし、矛盾を孕ませたという事実を。


 その良心による妨害工作こそが、ネロの量産を阻止し、試作品の一体のみで計画を凍結させたのだ。


 一体。


 たった一体だけで、大陸の地図を書き換えるほどの地獄を生み出した、殺戮の魔導式。


 シグルドはその毒を啜ろうと、今なお辞書をめくり続けていた。


 ◆


 洞窟の中、俺はリーフの脈動と魔力波形をスキャンし続けていた。


 波形は安定しているが、その意識は完全に上位次元に囚われている。


(……世界樹の意思に、取り込まれかけているのか?)


 強引に彼女の意識を引き戻す強制終了を実行すべきか、それとも彼女が母(世界樹)を説得するのを信じて待つべきか。


 俺の指先が、空中に描かれた半透明のコンソールの上で、迷いのように微かに震えていた。

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