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6-5 再生の鼓動:希望の里と、静かなる演算

 精霊の森に逗留してからの日々は、かつての喧騒が嘘のように穏やかな時間が流れていた。


 だが、それは戦いの終わりを意味しない。


 俺にとっては、失われた精霊力の推移を観測し、シグルドが残した見えない汚染を洗い出すための、極めて重要な待機期間だった。


 一日の始まりは、バナード師匠による苛烈な武術修行から始まる。


「腰が浮いておるぞ、ルシ! 魔導の演算にばかり脳を使つこうて、大地の踏みしめ方を忘れたか!」


 師匠の雷鳴のような叱咤が、朝の静謐な森に響き渡る。


 この森へ足を踏み入れた際、俺の歩法の乱れ――すなわち、魔導に依存しすぎて身体の重心を見失っていた慢心を見抜いた師匠の指導は、一切の妥協を許さない。


 一方、アイリスは自ら志願して、伝説の拳聖の門を叩いていた。


 特務の代表として、シグルドという理外の怪物に煮え湯を飲まされた彼女にとって、己の武技を根底から見直すことは、守るべき王国への責務でもあった。


 その修行の場には、次第に自警団のリーダー、ガレオスをはじめとする妖精たちも加わるようになった。


「バナード殿、我らにもその、身体の芯を燃やす術(闘気)を御教授願いたい」


 かつては人間に騙され、深い不信を抱いていた彼らが、今はバナード師匠の放つ純粋な強さに惹かれ、真剣な眼差しで汗を流している。


 種族の壁を溶かすのは、言葉ではなく、共にする鍛錬の時間だった。


 厳しい修練の後は、リーフが見つけた温泉で泥のように重い疲れを流す。


 森の活性化と共に湧き出したその湯は、精霊力の残滓を湛え、神経の末端までを優しく癒してくれた。


 湯上がりに、リーフがどこからか調達してきた冷えた蜂蜜酒ミードを皆に振る舞う。


 火照った身体に染み渡るその一杯は、この過酷な復興と修行期間における、かけがえのない報酬だった。


 ◆


 里の再生を祝祭が始まった。


 俺は、女王エルーシアに、一つの進言をした。


 それは最早ここは、滅びを待つ黄昏の里ではないと言う事だ。


 女王エルーシアは静かに、しかし力強く宣言した。


「……ルシの言う通りだ。

 今日よりこの地は、終わりの予感に怯える『黄昏の里』ではない。

 失われぬ光を願う『希望の里(エスペランサ)』と改名しよう」


 歓喜に沸く里。


 だが、その光の裏側で、俺の解析眼は消えないノイズを捉え続けていた。


 ◆


 夜。


 俺とリーフは焚き火を囲み、精神の共鳴シンクロを繰り返していた。


 世界樹のネットワークは正常に戻ったはずだ。


 だが、あの黒い水晶球が粉砕された際、四散した破片が放った魔力の「指向性」が、どうしても計算に合わない。


「……何か見つかった、リーフ?」


 俺は、隣に座るリーフの琥珀色の瞳を見つめる。


「いいえ、まだよ。

 ……母様(世界樹)の記憶層にも、決定的な足跡ログは残っていない。

 シグルドは、自分が立ち去った後の『形跡』を消去することに、異常なまでの執念を燃やしている」


 彼女の言葉に、俺は奥歯を噛み締めた。


 やはりシグルドは、ただの術式の使い手ではない。


 自らが介入したシステムを汚染し、その証拠を徹底的に隠滅する、高度な隠蔽工作ステルスの達人だ。


 その時、背後からメギストス師父が静かに歩み寄ってきた。


「……一つ聞きたい、ルシよ。

 以前、シグルドによって世界樹の根に施された魔石を除去した際、お主の『天使の祝福魔法』を使えば世界樹の傷も、リーフ殿の負担も、瞬時に癒せたのではないか?

 なぜ、その万能の術式を温存した」


 俺は共鳴を維持したまま、爆ぜる火の粉を見つめて答えた。


「……俺はまだ、王都の連中を……現行の統治システムを完全に信用してはいないからです」


「ふむ。 内通者の影を追っておるのか?」


「それもあります。

 ですが、最大の問題は、世界樹という唯一のリソースに国家のすべてを依存させる中央集権型の構造そのものにあります。

 シグルドのような管理者が現れれば、国は一夜にして滅びる。

 俺は、その脆い構造を肯定したまま、すべてを祝福で塗り潰す気にはなれなかった」


 師父は感心したように、あるいは危惧するように目を細めた。


「なるほどの……。

 では、この森に留まるのは、単なる復興支援のためだけではなさそうじゃな」


「ええ。 シグルドが精霊力をどこへ送ろうとしていたのか。

 その通信の残滓を掴むまでは、ここは動けません。

 奴は必ず、どこかで次の出力アウトプットを待っているはずだ」


「……わしも、弟子の不始末にケリをつけるための、新しい知見を求めるとしよう。

 リーフ殿、すまんがわしにも、世界樹の古き記憶の一部を見せてはくれんかの?」


「わかりました、メギストス師。 ……ゆっくり、深層(奥)まで探ってみましょう」


 俺、リーフ、そしてメギストス。


 三人の知性が、世界樹という巨大な記憶媒体を介して、目に見えない敵の尻尾を追い始める。


 一方、暗闇の向こう側では、飛散した水晶の破片が放つ微弱な信号が、冷たい風に乗ってどこかへ吸い込まれていく。


 解析スキャンはまだ終わらない。


 シグルドという不具合が、この世界にどれほどの深さまで根を張っているのか。


 それを解き明かすための長い夜は、まだ始まったばかりだった。

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