6-4 侵食の正体:汚染コードの消去(パージ)と、刻まれた教訓
聖樹の間――そこは、この森の心臓部であり、演算の起点となる場所だ。
だが、目前に広がる光景は、シグルドという名のバグが残した、最大級にして最悪の異物の痕跡であった。
俺の解析眼が、かつてないほどの輝きを放ち、剥き出しの術式へとダイブを開始した。
◆
精神を術式の深層へとダイブさせた俺が目にしたのは、正視に耐えない惨状だった。
世界樹の根の深層、本来なら生命の循環を司るはずの領域に、シグルドの手によって吸い上げ専用の魔導式が、生々しく直接書き込まれていたのだ。
それだけではない。
里の守り神である聖樹そのものにも、精霊力を無理やり魔導力へと変換する変換式が、刃で刻んだかのように無造作に上書きされている。
さらに、それら二つの歪んだ術式を中継し、過負荷を調整しているのは、心臓の鼓動のようにどす黒く脈打つ中継水晶球であった。
ダイブから復帰し、現実の視界を取り戻した俺は、背後に控える監視役の妖精たちにも聞こえるよう、仲間にその全容を告げた。
「……酷い。 これは魔道ではない、ただの略奪だ」
メギストス師父は、愛弟子のあまりに醜悪な業に言葉を失い、喉の奥でうめき声を漏らすことしかできない。
「おのれ、シグルド……。 よくも、よくも母様を、聖樹様を!」
リーフの憤りは、周囲の気温を奪うほどに凄まじかった。
世界樹の娘である彼女にとって、生きた大樹に術式を直書きする暴挙は、自らの魂を切り刻まれるに等しい。
琥珀色の瞳を限界まで見開き、その視線だけで水晶球を粉砕せんばかりに睨みつけている。
「……その黒い水晶球は」
リーダーの男が、苦渋に満ちた顔で口を開いた。
「シグルドの奴が、聖樹から吸い上げる精霊力の負担を和らげるための『調整器』だと言って設置したものだ。
まさか、それが収奪の中継点だったとは……。
いや、薄々変だとは感づいていたのだ。
だが、我らにはそれを解析する術がなかった」
悔しさに拳を握る彼らに、俺は短く告げた。
「これを止めるには、聖樹と世界樹の両方に、本来の循環を取り戻すための『上書き魔術式』を刻み直す必要がある。
リーフ、準備はいいか?」
「ええ、今、母様と同期したわ。許可は下りている。
……いつでもいけるわ」
「そうか。 では、聖樹の方はどうかな。
一旦、玉座の間へ戻って女王陛下の確認を――」
「よいぞ。 許可しよう」
いつの間にか、女王エルーシア本人が聖樹の間へと足を踏み入れていた。
その瞳には、悲しみと、決着を望む強い意志が宿っている。
「……承知いたしました。 早速、取り掛かるとしましょう。 まずは、聖樹のバイパスからだ」
俺は脳内の演算をフル稼働させた。
聖樹に刻まれた、俺から見れば綻びだらけの拙劣な魔導式。
その脆弱性を突き、本来の精霊力を呼び戻す正道な術式を上書きしていく。
俺の指先から放たれる青白い光が聖樹の幹を走る。
すると、あれほど強固に絡みついていた世界樹の根が、拒絶反応を起こしたかのように少しずつ、後退を始めた。
周囲の見張りたちから、驚愕のどよめきが上がる。
だが、まだ終わりではない。
「次は、世界樹の番だ」
俺はリーフと意識を完全に同期させ、彼女を通じて世界樹へと介入した。
メギストス師父から古代魔導の理論的なアドバイスを受けながら、確実に吸い上げ停止と侵食部位の切断の術式を書き込んでいく。
それは、聖樹へと伸びた蔦のような根を、内側から腐敗させて切り離すための論理的な外科手術だった。
パキリ、と乾いた音が響いた。
どす黒い水晶球の表面に、幾筋ものヒビが入る。
「……今だ!」
俺は世界樹と聖樹、双方の幹を傷つけないよう、細心の注意を払いながら中継器を取り外した。
その瞬間。
ガラガラと音を立て、聖樹に絡みついていた赤黒い根が、炭化して崩れ落ちていく。
リーフの報告によれば、この腐敗は精霊の森の外、侵食の境界線まで一気に進み、そこでぴたりと止まったという。
「……やったのか?」
リーダーの呟きに応えるように、崩壊した根の残骸の向こうから、歓声が沸き上がった。
役目を終えた黒い水晶球は俺の手の中で粉々に砕け散り、その欠片は魔力の余波に押し流され、遠く雪が残る北の山岳地帯へと飛散していった。
◆
その後、俺たちは聖樹の残骸の片付けを手伝いながら、森のパトロールを行った。
効果は劇的だった。
聖樹が活性化し、正常な循環が戻ったことで、森に再び恵みが溢れ始めたのだ。
湖と川の濁りは嘘のように消え去り、力尽きていたトレントたちが再び大地を踏みしめて立ち上がる。
枯れ果てかけていた木々の幹は瑞々しさを取り戻し、手遅れに見えた古木からも、新しい生命の芽が力強く吹き出しているのを確認できた。
世界樹の根に施した切断の術式は、根の枯死と共に消滅したが、聖樹の幹に刻まれた魔術式の痕跡は、俺たちの目にはあまりに痛々しい傷跡として残って見えた。
「女王陛下。 ……この傷跡、もしよろしければ私の『天使の祝福魔法』で完全に癒やすことができますが」
俺の提案に対し、女王エルーシアは静かに首を振った。
「……案ずるな、ルシ。 意外そうな顔をしているな。
だが、これはこのままにしておくのがよい」
女王は、かつての術式の跡を愛おしむように撫でた。
「これは、我ら妖精族が犯した過ちの証だ。
外部の力を安易に頼り、本質を見失った、愚かな記憶。
……この傷を見るたびに、我らは二度と騙されぬよう、自らの足で立つことを思い出すだろう」
その言葉の重みに、俺たちは深く頭を下げた。
こうして、妖精族との間に確固たる信頼を築いた俺たち五人は、二度とシグルドのような罪人を出さぬこと、そして彼が残した不具合をすべて消し去ることを改めて誓った。
精霊の森から完全に不具合が消え去ったかを確認するため、そして森が本来の自浄能力を取り戻すまでを見守るため、俺たちはしばらくの間、この黄昏の里に逗留することに決めた。
それは、束の間の休息であり、次なるシグルド追跡に向けた、入念な再起動の期間でもあった。
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