6-0 出立の残響:マルチ・パーティと、背後の揮発信号(ビーコン)
王都ユグドラシルの暁は、雨上がりの回路を洗う洗浄液のように、どこまでも青く透き通っていた。
中央発着場に鎮座する魔導飛空艇『アトラハシウス号』。
その甲板に立つ俺の隣には、琥珀色の瞳を湛えたリーフが、旅装に身を包んで佇んでいる。
当初の予定では、これは俺と彼女、二人だけの内密な調律行脚になるはずだった。
シグルドという巨大な不具合を摘出した直後の王国において、副団長という特権階級にある俺が、あまりに多くのリソースを王都から引き抜くわけにはいかないと考えたからだ。
だが、現実は往々にして、事前のシミュレーション通りには進まない。
「……ルシ。
よもや、年寄りを置き去りにして、若者だけで『精霊の森』の攻略に赴くつもりではあるまいな?」
重厚なタラップの先、不敵な笑みを浮かべて道を塞いでいたのは、白銀の髭を蓄えたメギストス師父だった。
その隣には、岩塊のような体躯を誇るバナード師匠が、巨大な大剣を無造作に肩に担いで立っている。
さらには、飛空艇のハッチからひょっこりと顔を出したのは、特務の漆黒の法衣を翻すアイリスだった。
「な……。 師父に師匠、それにアイリスまで。 どうしてここに」
「どうしてもこうしてもあるものか」
バナード師匠が、雷鳴のような声で笑った。
「愛弟子の初仕事だぞ。 肉弾戦の護衛が必要なのは、解析眼で見ずとも明白だろう。
お前の剣術は、まだ時折ファンブルが出る寸前の危うさだからな」
「バナードの言う通りじゃ」
メギストス師父が、魔導書の束を小脇に抱え直す。
「世界樹の根が精霊の森を侵食しているという事象は、単なる魔力の枯渇ではない。
理の根幹に関わる重大な例外処理じゃ。
わしの古の智慧が、ログの解析に役立つ時もあろう」
俺はため息をつき、最後にアイリスへ視線を投げた。
彼女は王都の治安維持を司る特務一個師団の要だ。
「特務の指揮はどうしたんだ、アイリス。
君が現場を離れて、王都の安全は保てるのか?」
アイリスは、肩をすくめて涼しい顔をして見せた。
「案じるまでも無いですわ、ルシ。 私はまだ若輩者。
現場の指揮は信頼できる副官たちと師団長に委譲してきましたわ。
何より、これは陛下直々の『勅命』ですの。
救国の英雄に万が一の危機があってはならんと、お墨付きをいただいていますわ」
逃げ道は完全に塞がれていた。
俺の脳内で、二人旅というハネムーン気分は、瞬時に五人の強力なパーティ行脚へと書き換えられた。
各員が異なる権限を持つ、この国最強のユニット。
「……分かった。 五人で精霊の森へ向かおう。 賑やかな旅になりそうだな」
俺が折れると、パーティの空気は一気に前向きな熱を帯びた。
飛空艇の魔導エンジンが重低音を響かせ、甲板が微かに振動を始める。
「リーフ。 ……精霊の森からの『悲鳴』は、まだ聞こえるか?」
俺の声に、リーフは表情を曇らせた。
彼女の琥珀色の瞳は、遥か南西、緑の深淵が広がる方向をじっと見つめている。
「ええ……。もう、囁き声なんてレベルじゃないわ。
今はもう、耳を塞ぎたくなるような絶叫に近い。
森全体の魔導回路が、過負荷で悲鳴を上げている……そんな感じよ」
「絶叫か。 ……急ぐ必要があるな」
飛空艇が浮力を得て、ゆっくりと高度を上げ始める。
眼下には、白亜の街並みが広がる王都ユグドラシルが、ミニチュアの基盤のように遠ざかっていく。
平和を取り戻したはずの、美しい景観。
だが。
その光景を解析眼で見下ろした瞬間、俺の視界に不純なノイズが走った。
「……なんだ、これは」
王宮の地下、厳重に封印されたはずのシグルドの左腕が保管されている座標。
そこから、目に見えないほど微弱な、しかし極めて規則的な定位信号が、脈打つように放たれていた。
それは、揮発性のあるデータが消えゆく直前の、最後のリトライ命令(再送要求)のようにも見えた。
シグルドは既に王都を追われ、その身は物理的に分断されているはずだ。
保管されているのは、ただの肉体の一部に過ぎない。
(……いや、違う。 これは単なる残響ではない)
解析眼が捉える信号の波形は、どこか待ち状態を維持するための信号に似ていた。
何かが、あそこで静かに起動の瞬間を待っている。
あるいは、外部からのリモート・アクセスを受け入れるための裏道が開いているのか。
「ルシ? どうしたの、そんなに王都を見つめて」
リーフが心配そうに覗き込んでくる。
「……いや。 少し、通信環境が気になっただけだ」
俺は違和感を胸の奥へ押し込んだ。
今、俺が最優先すべき仕事(優先順位:高)は、悲鳴を上げ続ける精霊の森の救済だ。
王都のセキュリティは、師団長と精鋭たちが守っている。
何より、この飛空艇には王国の至宝とも呼べる三人の賢者が揃っているのだ。
(考えすぎだ。 シグルドの残した塵が、風に舞っているだけのこと……)
だが、その確信とは裏腹に、解析眼の端で点滅し続ける微弱なビーコンが、網膜に焼き付いて離れなかった。
飛空艇は雲海を突き抜け、翠緑の海へと向かって全速力で加速する。
俺たちの背後で、王都にあるユグドラシルという名の巨大な世界樹が、人知れず未知の術式を走らせ始めていることも知らずに。
出立の残響は、祝祭の余韻をかき消すように、不気味な低周波となって俺の意識の底を揺らし続けていた。
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