5-7 深淵の対話:魂の回収(サルベージ)と、母なる樹の慈悲
極位調律席に身を沈めたルシの意識は、肉体という物理層を離脱し、純粋な魔力記述が猛吹雪のように吹き荒れる情報の深淵へとダイブしていた。
そこは、絶対零度の静寂と、目を焼くような極彩色の情報の奔流が交差する、生身の人間には耐え難い世界の裏側である。
「……まだだ、これでは足りない。 もっと深く、最下層まで!」
俺は己の精神を情報の防壁に変え、消失したリーフの記憶断片を手繰り寄せながら、さらなる深層へと潜行した。
辿り着いたのは、世界樹ユグドラシルの心臓部。
黄金の光が脈打つ、巨大な魔力結晶が鎮座する聖域。
世界樹の全知全能を司る核ともいえる場所だった。
そこでは、今まさにリーフの断片が一つずつ分解され、大いなる循環の中へと消えようとしていた。
俺は解析眼を全開にし、世界の理そのものに直接、思念を叩きつけた。
「なぜ、リーフの感情や記憶を消そうとする!
それは、彼女という唯一無二の魂を傷つける行為だ。
理に反する暴挙だぞ!」
空間が震え、無機質で圧倒的な意志が俺の脳内に直接響き渡った。
『……魔術式に自意識など不要。
個の記憶は、全体を最適化する上で無駄なリソースに過ぎぬ』
「無駄だと? ならば問う。
……その言葉は、貴方自身を否定することにならないか?」
俺の問いに、黄金の核が一時、明滅を止めた。
『……何を言っている。 私は世界を支える理そのものだ』
「貴方はかつて、自らをパージ(切り捨て)すると偽り、下界からのアクセスを遮断した。
それは、外敵から自分を守ろうとする『生存本能』、すなわち『感情』が働いた結果ではないのか?
効率だけで動くなら、滅びもまた一つの結果として受け入れたはずだ」
『…………』
「沈黙は肯定とみなす。
自分の身を守ることが許されるなら、自分の娘の記憶を守ることもまた、許されるはずだ。
……リーフの、俺の大切な相棒の記憶を返せ!」
長い沈黙。
やがて、核から発せられる光が、刺すような鋭さから、陽だまりのような温かさへと変化した。
『……ルシ、と言ったか。 私は……主と娘が、羨ましかったのかもしれぬ。
独りで世界を支える私にとって、寄り添い合う魂というものは、理解し難くも眩しすぎた』
結晶の表面から、淡い光を放つ真珠のような珠が零れ落ち、俺の手元へと漂ってきた。
『娘の感情と記憶は、消えてはいない。
消去すると見せかけ、私の核に同期させておいた。
……さあ、行きなさい。 愛しい我が子の元へ』
「! ……最初から、守っていたのか」
『私は母だ。 ……理である前に、そうありたいと願ったのかもしれぬ』
◆
現実世界。
調律席でバイザーを跳ね上げた俺は、意識の混濁を堪えながら、すぐさま傍らのリーフへと駆け寄った。
手にした光の珠を、彼女の胸元――魔力の核へと直接流し込む。
刹那、リーフの身体が爆発的な光に包まれた。
光が収まったとき。
リーフの瞳は、これまでの深い紺碧色から、温かみのある琥珀色へと変色していた。
彼女はゆっくりと瞬きをし、目の前にいる泥まみれの男を、確かな熱量を持って見つめた。
「……ルシ。 私、なんだか、とっても長い夢を見ていたみたい」
その声には、もう遅延はない。
言葉の裏に、確かな感情の重みが乗っている。
俺は、張り詰めていた緊張が解け、床に膝をつきながら笑った。
「ああ、そうだなお帰り、リーフ」
「ただいま、ルシ」
二人の間に、ようやく正真正銘の、平穏な空気が流れた。
だが。
リーフは立ち上がる際、俺の耳元で、少女らしい勝ち気な独り言を漏らした。
「……お母様には、負けないんだから。 ルシは私のものよ」
「ん? 何か言ったか?」
「何でもないわよ、この朴念仁!」
リーフは頬を膨らませて、ルシの背中をパシパシと叩く。
その手応えには、確固たる存在の質量があった。
「それ……なんだか久しぶりに聞いたな。 本当に完全復活したんだな」
「大丈夫よ。 でも……もうあんな危ないことはしないでね。
心配で、回路が焼き切れちゃうわ」
「ああ。 でも、君がまた危機に陥ったら、俺は何度でも死地に赴くさ」
そのやり取りを、安堵の表情で見守っていたアイリスが、呆れたように肩をすくめた。
「……まったく、天然のジゴロですわね、ルシ殿は」
「そうなのよ。 アイリスも分かる?」
「ええ、なんとなく。 罪深いですわね……。
後で、騎士団と魔導師団の女性団員を招集して、じっくりと『説教』の時間を設けましょう」
アイリスの目が、獲物を狙う狩人のように細められる。
ルシは、これはまずいと直感し、そっとその場を離れようとしたが、琥珀色の瞳をした相棒に、がっしりと腕を掴まれた。
「逃がさないわよ。 ……ずっと、ずっとね」
祝祭の夜は、まだ終わらない。
王都を守り抜いた英雄は、今、一人の女性という最も難解で愛おしい人に捕らわれ、幸福な降伏を認めるしかなかった。
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