5-3 乖離:存在の断念と、不純な突起
世界樹の間には、数十名の魔導師たちによる詠唱の重奏が響き渡っていた。
新師団長率いる精鋭たちが、各々の得意分野で魔力回路を精査し、淀みない報告が飛び交う。
だが、それほどの多重知性を以てしても、リーフの足元から這い上がる存在の希薄化を食い止めることはできなかった。
「……くっ、既存の術式はすべて検証した。
整合性チェックもパスしている。
なのに、なぜ透過が止まらないんだ!」
俺の焦燥は、もはや限界に達していた。
どれほど完璧な対処しても、一時間後には無機質な初期値へとロールバックされる。
論理の海をどれほど深く潜っても、そこには正解しか転がっていない。
その矛盾が、ルシの精神を内側から焼き切ろうとしていた。
その時だった。
透過が進み、今や胸元まで透け始めたリーフが、震える唇をゆっくりと動かした。
「……ルシ、もう……いいのよ」
その声は、システムの警告音よりも残酷にルシの鼓膜を震わせた。
リーフは、悲鳴を上げる世界樹の律動をその身に受けながら、悟ったような、あまりに静かな微笑を浮かべていた。
「私、覚悟ができたわ。
……港町エリュシオンに、バックアップを取ってあるのでしょう?
いまの私がこのまま消えても、あそこの同期点から私を復旧させれば、きっと元通りよ。
……あそこはまだ、王都の系譜から切り離されて自立しているわ。
港町から出さえしなければ、きっと『私』は存在し続けられる……」
「……そんなことを、言うな!」
俺は、縋り付くように彼女の透き通った手を握りしめた。
手応えは驚くほどに軽く、指先は彼女の体温ではなく、背後の冷たい空気を掴んでいるかのようだった。
「俺にとって、ここにいる、俺と共に戦い、笑い、苦しんできた君こそが全てなんだ!
バックアップなんて……そんなものは、ただの記録の残骸だ!
魂のない空殻に用はない!」
絶叫に近い俺の言葉に、リーフはただ哀しげに目を伏せた。
愛する者のために、自分を消去することを許容する。
その献身こそが、俺には耐え難かった。
◆
沈痛な沈黙が部屋を支配しようとした、その時。
背後の観測ポイントで、一人の若い魔導師が派手に足をもつれさせ、毒づく声が響いた。
「うおっ!?……ちっ、またかよ。
いつの間にか、こんなところに『瘤』みたいな盛り上がりができてやがる。
慣れてないから、移動するたびに躓きそうになるんだよな」
その団員は、足元の不自然に盛り上がった石床を忌々しげに睨み、乱れた法衣を整えて持ち場に戻っていった。
周囲の魔導師たちも、作業の疲れからくるよくある不注意程度にしか思わず、鼻で笑って解析作業を続けていた。
だが。
俺の思考回路には、落雷のような衝撃が走った。
(……瘤? 盛り上がりだと……?)
俺は弾かれたように顔を上げ、団員が躓いた箇所を凝視した。
世界樹の間は、王都で最も厳格に管理された聖域である。
石畳の一枚、回路の一線に至るまで、ミリ単位の狂いもなく設計されているはずの場所だ。
そこにいつの間にか隆起ができるはずがない。
(論理層に異常がない。
管理命令にもバグはない。
……それなのに、一時間ごとに強制的な書き換えが起きる。
……もし、原因が『外側』にあるとしたら?)
天啓。
俺の脳内で、バラバラだったパズルの一片が、急速に形を成していく。
シグルドが地下区画で見せた、執念深い、そして物理的なまでの傲慢さ。
(そうだ。 シグルドは、魔術式の美しさなんて理解しちゃいない。
あいつがやることは、いつだって力ずくで、卑劣で……物理的なんだ!)
俺の瞳に、絶望ではない、鋭い狩人の光が戻った。
俺はリーフの手を離し、床を這うようにして、先ほどの団員が躓いた「瘤」へと駆け寄った。
「ルシ!? 急にどうしましたの?」
アイリスが驚き、駆け寄ってくる。
「……アイリス、そこを退け。 ……床を、叩き割る!」
俺の声は、確信に震えていた。
論理を尽くしたデバッグの果てに、彼はついに、シグルドが残した最も愚かで、最も致命的な物理障害の尻尾を掴もうとしていた。
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