4-2 臨界:競合する権限(レースコンディション)と、十六位の盾
王都の地下深く。
そこは、建国以来の禁忌が眠る物理隔離区画である。
シグルドは、もはや統治に関わる者としての理性をかなぐり捨て、充血した目で最深部の操作盤にアクセスキーを叩き込んでいた。
「動け……動けと言っているんだ、この役立たずがッ!」
彼が狙ったのは、二つの禁忌兵装。
まずは、神話時代の零号記述体――剥き出しの殺意を形にしたような人型兵装『ネロ』の強制起動である。
シグルドは管理者権限(偽)を盾に、凍結されたネロの心臓部へ強引な起動を、しようと試みる。
だが、その指先が鍵盤を叩くたび、空間には耳を刺すような警告音が鳴り響いた。
シグルドには理解できなかった。
なぜ、自分が正当な手続きで入力している命令が、ことごとく弾かれるのか。
その理由は、遥か西の果てにいた。
かつてこの区画の保守を担っていたルシは、シグルドのような不適格者がいつかこの禁忌に触れることを予見し、深層記述の奥底に、二重、三重の論理爆弾を仕掛けていたのである。
無理な起動命令と、強固なプロテクト。
両者が激突した刹那、制御不能となった膨大な呪詛記述が記述の衝突(競合状態)を引き起こした。
行き場を失った高密度の魔力は、世界樹のバックボーンを逆流し、全回路へと汚染を広げていく。
◆
その余波は、瞬時に銀鱗の港エリュシオンへと到達した。
俺の隣にいたリーフの身体が、一瞬だけノイズが走ったように歪み、透過した。
「……っ」
リーフが小さく息を呑む。
実体化の乱れ(ラグ)――それは、彼女の存在基盤である世界樹が、内側から毒されている証左だった。
俺の瞳が、一瞬にして凍りつく。
俺は即座に手元の端末を操作し、世界樹から流れ込んできた呪詛記述を分散処理して無害化したが、その源流にいる男への怒りは、もはや臨界点に達していた。
「……身の程を知らない書き込み(アクセス)は、身を滅ぼすぞ。 シグルド」
◆
ネロの起動に失敗し、プライドをズタズタに引き裂かれたシグルドは、狂気に取り憑かれたように次の操作へと移った。
それは、歴代の王と師団長クラスにしか起動を許されない王都最強の広域殲滅兵装――世界樹の眼(天罰の雷)の起動である。
王城の頂に据えられた巨大な魔導収束砲が、唸りを上げて空を焼き始めた。
狙いは、自分を嘲笑うルシたちが潜むエリュシオン。
その一点。
「消えろ、消えてなくなれ! 私を否定する不具合め、塵も残さず消去してやる!」
シグルドは震える指で、最終発射シークエンスのトリガーを引いた。
「五、四、三、二、一……実行ッ!!」
ドォォォォンッ!
神話の時代に神が放ったという天罰を思わせる、極大の雷撃が放たれた。
空を二つに裂き、海を蒸発させんばかりの光の柱が、エリュシオンに向かって超音速で殺到する。
◆
エリュシオンの空。
着弾までコンマ数秒という極限の状況下で、ルシは蜂蜜酒の杯を持ったまま、ただ一度、静かに指を鳴らした。
刹那、エリュシオンの全域を覆うように、幾何学的な光の膜が重なり合って展開された。
その数、正確には六万五千五百三十五枚(二の十六乗マイナス一)。
俺が普段、自身の身を守るために常時展開している論理障壁を、街全体へと拡張・展開したものである。
天から降り注いだ神の雷が、防御壁の一枚目に激突した。
凄まじい衝撃波が広がるが、障壁は一枚、また一枚と衝撃を次層へと分散し、熱量を無効化していく。
何層もの壁が光の粒子となって散っていくが、六万を超える積層の前には、神の雷といえど、あまりに無力だった。
最後の一条が消滅したとき、エリュシオンには一陣の風すら吹いていなかった。
ルシは残りの蜂蜜酒をゆっくりと飲み干し、空になった杯を卓に置いた。
「……十六位の盾もあれば十分だと思ったが、案の定だ。
シグルド、あんたの行動は低レベルすぎて、演算の無駄にすらならない」
◆
王都の管制室。
世界樹の眼が完全に無効化されたという測定結果を前に、シグルドは糸が切れた人形のように膝から崩れ落ちた。
「馬鹿な……あり得ない……。 神話の極大魔法だぞ……?
それを……あんな、簡単に防がれるなど……!」
シグルドの叫びに応じる者は、もはや誰もいなかった。
その時、王都の城門で轟音が響いた。
アイリスの号令に応じ、死の淵から戻った特務部隊一個師団の生き残りたちが、ついに城門前へと集結したのである。
それと同時に、内部でシグルドに酷使されていた魔術師団員たちが、内側から門の魔導封印を解除した。
「開門ッ! 簒奪者シグルドを、理の裁きへ引きずり出せ!」
なだれ込む特務の軍勢。
内側から反旗を翻す魔導師たち。
シグルドは、物理的にも、魔導的にも、そして人心においても、完全に孤立した。
もはや彼にできるのは、王城の最奥に引きこもり、音を立てて崩れ去る自身の帝国の終焉を、震えながら待つことだけだった。
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