3-6 追跡:棄てられた師団と、沈黙の誓い
酒場の床に倒れ伏したアイリス=ローゼンフェルトは、途切れ途切れの意識の中で、地獄のような進軍の記憶を吐き出した。
発端は、王都から放たれた一通の魔導通信だった。
大罪人ルシの捜索を命じられた特務部隊一個師団は、魔獣が跋扈する『死の荒野』で一ヶ月以上も彷徨い続けていた。
連日の戦闘で武器はこぼれ、魔力は枯渇し、兵士たちの精神は磨り減っていた。
撤退の進言が受理されるのを誰もが確信していたその時、魔導師団長シグルドから届いたのは、慈悲ではなく狂気に近い追加命令だった。
『荒野の先に、王都の観測術式が一切干渉できない空白領域を検知した。
銀鱗の港、エリュシオンだ。
ルシの捜索は二の次で構わぬ。
その街が隠匿しているであろう強力な古代遺物を接収せよ。
街の異常な安定こそが、秘宝の存在を証明している』
その通信に、増援の約束はなかった。
傷ついた兵を、癒やす回復術師の派遣も、食料の補給さえも。
『補給は現地、港町で徴発せよ。 功績を上げぬ者に、王都の土を踏む資格はない』
傍若無人なシグルドの宣告に、師団員たちの間に黒い憎悪がたぎった。
だが王を唆したシグルドは、王命は絶対だと言い一方的に通信を切った。
彼らは断腸の思いで、動ける人数の半分を負傷者の護送として王都へ送り返し、残りの半分……死を覚悟した精鋭だけで、エリュシオンを目指して再進軍を開始した。
しかし、荒野の牙は容赦なかった。
一人、また一人と魔獣の餌食となり、あるいは魔力枯渇で力尽き、砂塵に消えていく。
最後には、師団で最も若く、最も才能を期待されていたアイリスを守るために、生き残った隊員たちが肉壁となり、彼女を港の門まで押し流したのだ。
「……私だけが……皆に庇われ……私、一人だけが……」
そこまで語り終えると、アイリスは糸が切れたように意識を失った。
◆
俺たちは顔を見合わせ、重苦しい沈黙を共有した。
倒れ伏した彼女を、俺とバナードが協力して店の奥にある客室へと運び、柔らかなベッドに横たえた。
鎧を脱がせ、傷を癒やすための寝着への着替えは、リーフが手際よく済ませた。
「……王都のやり口は、相変わらずだな。
駒が焼き切れるまで動かし、壊れれば棄てる。
シグルドらしい、やり口だ」
俺の言葉には、かつて自分が同じように扱われたことへの冷ややかな共鳴が含まれていた。
特務隊の生き残りをこのまま放置して遺跡に向かうのは、背後に火種を残すようなものだ。
俺たちは、アイリスの肉体と精神が回復するのを待つことに決めた。
三日後。
アイリスが目を覚ました。
だが、視界に俺の姿を捉えた瞬間、彼女は青白い顔を怒りに染め、枕元に置いてあった折れた剣を掴もうとした。
「……大罪人ルシ! よくも面々と……死ねッ!」
「静かに。 ここは安息の場だ」
俺が指を鳴らすと、アイリスの喉を不可視の術式が覆った。
沈黙の魔導。
声を出そうとしても、空気が振動せず、言葉にならない呻きだけが漏れる。
「君たちが信じている『正義』の裏側を、少しだけ教えてあげよう。
俺がなぜ追放され、シグルドが今、世界樹に何をしているのかを」
俺は、かつて師匠たちに語ったのと同様に、自身の正当性を淡々と伝えた。
世界樹の記述ミスを押し付けられたこと、シグルドの無知が世界を滅ぼそうとしていること。
そして、このエリュシオンの安定は古代遺物によるものではなく、自分という個人が施した調律の結果であることを。
アイリスは耳を塞ごうとしたが、ルシの声は直接彼女の意識に流れ込むように入って来た。
彼女の瞳には、シグルドへの根深い反感と、それ以上に王都の騎士としての矜持が激しく火花を散らしていた。
俺の話を肯定することは、自分を死地へ送った組織の無能を認めること以上に、殉じた仲間たちの死を無駄死にと認めることに等しかったからだ。
しかし、アイリスの心を動かしたのは、部屋の隅で腕を組んでいた二人の老兵だった。
「……伝説の、魔導師メギストス様? それに、武神バナード様……? ですの?」
彼女の瞳が驚愕に揺れる。
歴史書に名を残す生ける伝説たちが、この大罪人と親しげに語らい、行動を共にしようとしている。
その事実が、彼女の頑なな理性を揺さぶった。
「……その、遺跡とやらに、何があるというのですの」
術式が解かれた後、アイリスは弱々しく、だが確かな意志を持って問いかけた。
「街を、そして世界を救うための中枢だ。
シグルドが壊した理の代わりを、そこに打ち込む」
「ならば……私を連れて行きなさい。 貴方が大罪人か、あるいは救世主か。
この目で確かめるまでは、死んでも死にきれないですの」
仲間の命と引き換えに生き残った自分にできる、唯一の償い。
アイリスはそう自分に言い聞かせ、痛む体を引きずって立ち上がろうとした。
「仕方ないわね。 この状態の彼女を置いていっても、隠れて付いてきそうだわ」
リーフの苦笑混じりの言葉に、俺も肩をすくめて同意した。
「わかった。 出発は明日の黎明だ。
……それまでに、そのボロボロの精神を、少しは癒しておいてくれよ、騎士様」
こうして、奇妙な五人組による地下遺跡探索が決定した。
王都の呪縛を背負った少女が、俺たちの理に触れたとき、何が起きるのか。
それはまだ、誰にも予測できなかった。
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