3-4 歳月:五年の静止と、再起動の理(ことわり)
窓の外では、銀鱗の港に打ち寄せる波が規則正しい律動を刻んでいる。
俺は静かに、だが淡々と、空白の五年間を語り始めた。
その言葉の一つ一つは、感情を排した無機質な記録のようでありながら、聴く者の胸を締め付ける重みを持っていた。
「……旅立ちの後、俺は王都へ向かいました。
かつて師父に教わった基礎の理を胸に、宮廷魔導師団の門を叩き、試験には最年少で合格しました。
そこまでは、順調だったと言えるかもしれません」
だが、そこから始まったのは、栄光とは程遠い摩耗の日々だった。
俺の語る王都での生活は、魔導師としての研究や探求ではなく、巨大な演算装置と化した世界樹ユグドラシルの不具合を食い止めるだけの、終わりなき戦いだった。
「五年間……一日たりとも休みはありませんでした。
世界樹の根幹から溢れ出す術式の歪みを、一行ずつ、手作業で繋ぎ直す毎日です。
食事を摂る時間すら惜しく、高濃度の魔力回復薬で空腹と疲労を麻痺させ、意識が途切れる寸前まで記述の海に沈み込む。
限界が来て、魔導回路の熱に抱かれながら寝落ちし、数時間後には再び理の崩壊に叩き起こされる……そんな繰り返しの五年でした」
メギストスとバナードは、杯を握る手に思わず力を込めた。
世界樹の調律がいかに精神を削る作業か、二人は熟知している。
それを五年間、不眠不休に近い状態で続けたという事実に、戦慄すら覚えた。
「そして、限界が来ました。
俺の手にも負えないほどの術式の腐敗……それを全て俺の責任として押し付けられ、シグルドによって国外追放を言い渡されました。
ですが、俺にとってはそれが幸いでした。
あのまま王都に居れば、俺という存在は完全に消失していたでしょうから」
俺は、追放の果てにこのエリュシオンを選んだ理由を明かした。
かつての師匠たちの隠居先であれば、王都の追っ手も容易には近づけず、あるいは再会できるのではないかという、微かな希望。
「ここへ辿り着き、実体化したリーフと再会しました。
彼女にログハウスを整えてもらい、ようやく人らしい衣食住を取り戻すことができたのです。
……そして先日、この地の魔導装置に微かな不協和音を見つけ、調査のために世界樹の核へと遠隔で触れました」
俺の瞳に、鋭い記述の光が走る。
「驚きました。
現在の世界樹は、シグルドたちの稚拙な継ぎ接ぎによって術式の輻輳を起こし、管理機能が完全に沈黙しています。
もはや、外部からの干渉を受け付けない閉鎖回路と化している。
そこで俺は、リーフの全記述をこの地にバックアップし、港町一帯を限定的な『独立した理』として再構築(再起動)したのです。
それが、師父が感じたこの街の異常な静寂の正体です」
全てを包み隠さず話し終えた俺の顔には、どこか憑き物が落ちたような清々しさがあった。
大魔導師メギストスは、唖然として弟子の顔を見つめた後、深く、重いため息をついた。
「……それで、お主は、その神域の階梯に至ったと言う事か。
世界樹という世界の心臓と、五年間も寝食を共にし、その記述を読み解き続けたのなら……成る程、そうなるか」
メギストスは、かつての愛弟子が、自分すらも見上げることしかできない高みへと到達したことを悟り、愕然としていた。
それはもはや魔法の範疇を超え、世界の理そのものを書き換える管理者の領域に他ならない。
「ええ。
ですが、こうして五年も過酷な環境に耐えられたのは、師父に授かった理知だけでなく、バナード師匠に鍛えられた強靭な肉体があったからです。
俺という存在が焼き切れなかったのは、師匠のおかげですよ」
俺の言葉に、バナードは豪快に笑い飛ばした。
「ふむ。 わしであっても、そんな地獄のような環境に放り込まれたら五年も持ったかどうか怪しいものじゃ。
教えた肉体の練磨を、地獄の中でも欠かさずやっておった成果じゃの。
……よし、わしの教えが間違っておらなんだことは証明されたわけだ」
バナードは満足げにミードを飲み干した。
過酷な歳月が、少年を化け物に変えた。
しかし、その根底にある感謝と敬意が失われていないことに、二人の老兵は救われるような思いだった。
「さて、次は……師父たちの番ですね」
俺は静かに促した。
平和であるはずのこの街に、なぜ伝説の二人がこれほどまでに警戒を強めて現れたのか。
その理由を問う俺の瞳に、静かな緊張が宿った。
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