2-9 覚醒:理の執行者と、因縁の再会
王都の巨大な外門をくぐった時、俺を待っていたのは感傷的な歓迎ではなく、無知ゆえの嘲笑だった。
白銀の甲冑に身を包んだ門番たちは、俺の差し出した身分証代わりの木札と、その幼い顔立ちを交互に見て、腹を抱えて笑い出した。
「おい、聞いたか?
この十歳の坊主、『ルシ=ファーレン』と名乗りおった。
職業は魔導師で、宮廷魔導師団の入団試験を受けに来たんだとよ!」
「坊主、嘘をつくならもっとマシな設定を考えろ。
王都は田舎者丸出しのガキが妄想を垂れ流して遊ぶ場所じゃないんだ。
とっとと失せな」
彼らにとって、魔導師とは長年の研鑽と高貴な血筋、そして相応の年齢を重ねてようやく辿り着ける聖域なのだ。
俺は努めて冷静に、感情の起伏を排した声で問いかけた。
「……では、実際に魔法を使って見せれば、嘘ではないと認めていただけますか?」
「ふん、できるものならな。 せいぜい指先から火花でも出してみせろよ」
「今、かけました。 足元を見てください」
門番たちが鼻で笑いながら視線を落とした瞬間、その顔から血の気が引いた。
彼らの足元は、一寸の狂いもなく膝下までが透き通った永久氷塊に閉ざされていた。
詠唱も、予備動作も、魔力の揺らぎすら感じさせない、事象の直接的な上書き。
「なっ……なんだ、足が凍りついて動かん!」
「無理に動かない方がいいですよ。
物理的な結合を無視して凍結させていますから、無理をすれば脚が根元から、もげます」
淡々と告げる俺の言葉に、門番たちは戦慄した。
彼らはようやく、目の前の子供が自分たちの理解を遥かに超えた何かであることを悟り、必死に許しを請うた。
氷を解かし、俺は大通りを真っ直ぐ進んだ。
背後で「とんでもない逸材が来た」と魔導通信が飛び交うのを感じながら。
◆
王城の演習場。
そこには、慢性的な人手不足を補うために常設されている入団試験の会場があった。
この国の心臓である世界樹ユグドラシルの調律は過酷を極め、並の魔導師では精神が焼き切れてしまう。
その補充要員を募る場に現れた俺を見て、一人の男が凍りついた。
「……ルシなのか?」
そこにいたのは、王都で『氷の貴公子』と持て囃され、今や副団長の座にまで上り詰めていた兄弟子、シグルドだった。
彼は五歳のまま時が止まっているはずの俺が、十歳の姿で現れたことに激しく動揺していた。
「お久しぶりです、兄弟子。
今は師父から名を譲り受け、ルシ=ファーレンと名乗っています」
「師父だと? あの御方は今、どこにいる」
「師父メギストス様なら、旧友の武術家、剛拳のバナードと共に、西の荒野へ向かわれました。
あそこは魔物と魔獣がひしめく死地……もう、会うことは叶わないかもしれません」
俺はあえて、二人が向かった銀鱗の港町エリュシオンの名を伏せた。
シグルドの瞳に宿る、歪んだ執着心を感じ取ったからだ。
シグルドは「そうか(あの荒野を老いぼれ二人で越えられるはずがない)」と内心で毒づき、冷酷な笑みを浮かべた。
「入団試験だったな。
……ならば、あそこにある標的を壊してみせろ。 話はそれからだ」
シグルドが指し示したのは、訓練用の魔導人形だった。
だが、それは単なる標的ではなかった。
人形の周囲には、シグルドが己の限界まで魔力を注ぎ込んだ、二百五十五枚にも及ぶ高密度の多層障壁が展開されていた。
周囲の魔導師たちや見物の騎士団からも、同情の混じった囁きが漏れる。
「ひどすぎる……。
あの多層障壁は、団長クラスでも突破に数時間はかかる難攻不落の要塞だぞ。
子供相手に本気で潰しにかかるとは」
周囲の喧騒を余所に、俺は視界を理の記述へと切り替えた。
二百五十五枚の多層障壁。
シグルドにとっては自信作なのだろうが、俺の眼には、ただ冗長で非効率な古い記述の積み重ねにしか見えない。
(……邪魔だな)
俺は一歩も動かず、ただ思考のなかで解除を命じた。
多層障壁を構成する魔力の結合点を一瞬で解体し、無防備になった人形の心臓部へ、大地から突き上げた無数の岩槍を叩き込む。
――砕音。
次の瞬間、無敵を誇った障壁は霧散し、訓練用の人形は見るも無残に刺し貫かれていた。
「な、何をした……!? 障壁を貫通したというのか!?」
「いえ。
障壁が邪魔だったので、根源から消去して、アースランスで貫きました。
難しいことではありません」
こともなげに言う俺に、シグルドは顔を真っ赤にし、畏怖と嫉妬が混ざり合った、呪いのような言葉を吐き捨てた。
「……化け物が」
彼はそれだけを言い残し、逃げるように立ち去った。
呆然とする周囲を制したのは、一部始終を静観していた魔導師団長だった。
「合格だ。 これほどの腕を持つ者を、落とす理由がない。 異論はないな?」
こうして、俺は最年少記録を塗り替え、宮廷魔導師となった。
シグルドは、俺を光の当たらない地下深く、世界樹の調律という過酷な現場に押し込めておけば、二度と浮上してこないと考えていたのだろう。
だが、俺にとってはそれこそが救いだった。
「これで、毎日リーフと一緒に世界樹の内部を歩けるな」
そう。
あの時は、本気でそう思っていたんだ。
まさか、そこから五年間、一度の休みもなく調律という名の強制労働に服することになるとは。
その間、団長が不審な事故で不在となり、シグルドが実権を握り団長になった。
そして、あの運命の追放の日へと繋がっていくとは、まだ知る由もなかったんだ。
◆
「――リーフ。 これが、俺の過去、すべての始まりだ」
語り終えた俺の声が、店じまいを始めた酒場『潮風亭』の穏やかな静寂の中へと溶けていく。
視線を上げれば、目の前には空になった皿と、エルフの如き神秘的な美しさを宿した相棒、リーフが座っていた。
かつて世界樹の深層で出会った、形も持たぬ小さな光の塊だった彼女。
今や俺の隣で同じ食事を楽しみ、同じ夜気を感じる、かけがえのない唯一の半身だ。
「あとは、君も知っての通りだ。
年中無休で、世界樹の調律という名の強制労働に没入させられていた五年間。
……そして、俺を使い潰した挙句、役立たずの無能だと断じて放逐した、あの日へと続くんだ」
自嘲気味に笑い、冷めかけたスープを一口啜る。
リーフは紺碧の髪を揺らし、琥珀色の瞳でじっと俺を見つめ返した。
「……ルシ。 五年間、あなたは一人で世界を支えていた。
王都の魔導師たちは、それを当たり前の自然現象だと思い込んで、あなたの献身に気づきもしなかった。
……愚かなのは、彼らの方よ」
「はは、そうかもしれないな。
でも、おかげでこうして君の居る、この港町まで来られた。
あの地下室で、理の記述だけを見つめて一生を終えるより、ずっといい」
俺は酒場の窓から、夜の海を眺めた。
かつての師父メギストスが、旧友と共に目指したというこの銀鱗の港町エリュシオン。
王都を追放された俺が、まず最初に向かうべき場所として選んだのは、やはりあの温もりを持つ師たちが隠居しているはずの、この地だった。
◆
その頃、俺たちが去った遥か後方の王都――。
かつて俺が調律という名の守護を続けていた宮廷魔導師団の本部では、静かな、けれど致命的な崩壊が始まっていた。
「……報告しろ! なぜ世界樹の第七階層の術式がこれほど乱れている!?」
今や団長の座にふんぞり返るシグルドの怒号が、地下の調律室に響き渡る。
そこに並ぶ数十名の精鋭魔導師たちは、青い顔をして、かつてルシが一人で座っていた調律の座に群がっていた。
「わ、分かりません……!
これまで自動的に修正されていたはずの術式のエラーが、一向に収まらないのです!
まるで、魔法そのものが自律性を失い、崩壊を始めたかのような……!」
「馬鹿なことを言うな!
あれはただの自然現象だったはずだ。
あの出来損ないのルシを追い出したところで、何の影響もないはず……ッ!」
シグルドは震える手で、ルシが五年間にわたって手入れを続けてきた膨大な魔導の記述を覗き込んだ。
そこに残されていたのは、常人には理解すら不可能なほど高度に洗練され、もはや芸術の域に達した最適化された世界の残滓だった。
ルシという一人の異能が、五年間、無給かつ無冠のまま、その神域の並列演算能力を駆使して、王国の崩壊を食い止めていた。
その事実を、彼らは今さら、自分たちが放逐した空白の巨大さによって思い知らされようとしていた。
「……クソっ、なぜだ……!
なぜあいつの残した術式が、俺たち全員でかかっても制御できないんだ!?」
シグルドの叫びは、誰にも届かない。
世界樹の葉を失い、その幹を切り捨てた王都は、自分たちが何を失ったのかも理解できぬまま、緩やかな、けれど確実な連鎖崩壊へと沈み込んでいく。
◆
そんな王都の混乱など、今の俺にはもう関係のないことだ。
俺はスープの、最後の一口を飲み込み、木製の椅子を鳴らして立ち上がった。
「さて、リーフ。
お腹も膨れたことだし、明日には隠居したはずの老人二人を本格的に探しに行こうか。
この広い港町のどこかに、師父たちはいるはずだ」
「ええ、ルシ。 私たちの新しい旅路は、まだ始まったばかりだものね」
俺は漆黒の魔導衣を整え、酒場の扉へと歩き出す。
五歳の時に捨てられ、十歳で世界を救い始め、十五歳でようやく自由を掴み取った。
ルシ=ファーレン。
かつて世界に定義されなかった少年は、今、自らの意志でこの広い世界の理を歩き、自分だけの物語を紡ぎ始める。
その夜、ルシとリーフは、魂の誓約を交わした、魔力のパスが完全に同期した、あるいは共鳴体として不可分な存在になった。
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