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2-8 ファーレンを継ぐもの:魂の誓約と、旅立ちの刻

 過酷な村の生活の中で、俺は己が生まれた日を知らずに育った。


 親戚たちにとって俺は減らすべき口であり、その誕生を祝う価値など微塵もなかったからだ。


 これまで、およそ五歳、およそ十歳と、曖昧な時の積み重なりをただの数字としてやり過ごしてきた。


 だが、この隠れ家で世界の理に触れ、一人の人として扱われる中で、俺は自分の中に欠落していた誕生日を求めるようになった。


「……今日を、俺の誕生日にしよう」


 俺が意識の深層でそう告げると、世界樹の奔流の中に漂う光の塊――リーフが、歓喜に震えるように明滅した。


 その日は、俺が世界樹の奥底でリーフという自律する魔力の意志と邂逅した記念すべき日。


 外の世界との絆が初めて結ばれた、俺たちの原点だ。


『……ルシ。 絆、嬉しい。 私も、今日を。

 ルシと出会った記憶の刻印を、私の始まり――誕生日にする』


 リーフは、言葉を介さぬ魔術の波動で、精一杯の喜びを伝えてきた。


 世界樹という巨大な理の循環から零れ落ちた孤独な魂と、人間に捨てられた孤独な少年。


 二つの欠片が噛み合ったその日は、俺にとっても、そしてリーフにとっても、単なる暦の上の数字ではない、魂の再定義が行われた聖なる日となった。


 ◆


 やがて、運命の刻限が近づいてきた。


 王都で催される宮廷魔導師団の入団試験。


 それは、この国の魔導の頂点へと繋がる唯一の門であり、同時に、俺がこの閉ざされた隠れ家を去るべき時を告げていた。


 師父メギストス、実戦の極意を叩き込んでくれた武術家の老人剛拳のバナード。


 二人との別れが、胸の奥を静かに締め付ける。


 リーフとは、一時的な物理的別離に過ぎない。


 宮廷魔導師となれば、この国の心臓部である世界樹ユグドラシルに直接触れる機会は飛躍的に増える。


 王都の地下で、再び彼女の意識と同調できる確信があった。


 問題は、師父たちの動向だった。


「主も、ようやく一端の魔導師になったのう。

 ……儂ら老いぼれも、そろそろ潮時じゃ。

 ここを発ち、さらに西の銀鱗の港町エリュシオンへ向かおうと思うておる」


 メギストスは、どこか清々しい顔でそう言った。


 剛拳のバナードも、愛用の木刀を傍らに置き、豪快に笑う。


「ああ、海の見える場所に丸太小屋でも建ててな。

 そこで隠居して、朝から晩まで釣りと酒に溺れる隠居生活ってやつを楽しむさ」


「……そんな、危険すぎます。

 港町までの間には広大な荒野があり、そこには凶悪な魔物や魔獣が跋扈しているんですよ。

 俺が……俺が護衛としてついて行きます」


 俺が切実に訴えると、二人の老人は顔を見合わせ、まるで悪戯が見つかった子供のように笑い飛ばした。


「馬鹿を申せ、ルシ。

 主はこれから、この国の魔導を背負って立つ身じゃ。

 老いぼれの隠居に付き合っている暇などあるまい。

 ……それに、忘れたか?

  儂らは隠居するとは言ったが、『弱くなった』とは言っておらんぞ。

 まだまだ現役じゃ」


 メギストスの瞳の奥に、かつて世界を揺るがした大魔導師の鋭い光が宿る。


 剛拳のバナードも、その鋼のような拳を軽く握り込み、周囲の空気を震わせた。


 彼らは俺を安心させるために、そして俺を迷いなく王都へ送り出すために、あえて突き放すような強がりを言ってくれたのだ。


「……わかりました。 でも、必ず、会いに行きますから」


「ああ。

 主が立派なファーレンの名を汚さぬ魔導師になった頃、銘酒を持って訪ねてくるがよい」


 ◆


 旅立ちの朝。


 俺は、師父から譲り受けた漆黒の魔導衣を纏い、背筋を伸ばして隠れ家の前に立った。


 五歳の時に捨てられたあの絶望の森とは、もう違う。


 俺の脳内には、万を超える術式を同時に操る魔導の深淵があり。


 俺の肉体には、巨竜をも屠る武術の極致が宿り。


 そして何より、俺の傍らには、世界樹の理を共有する相棒リーフに繋がる杖状の端末がある。


「ルシ=ファーレン。 ……行きます」


 俺は一度だけ、自分を育ててくれた岩壁の隠れ家を振り返り、深く頭を下げた。


 師父たちの姿はもう見えない。


 けれど、彼らが授けてくれたファーレンという姓が、俺の魂に刻まれた最強の守護術式となって、その背中を支えているのを感じた。


 一歩、足を踏み出す。


 止まっていた時計の針は、もう戻らない。


 俺は独り立ちし、王都に向かって歩みを進めた。


 世界を揺るがす数多の魔術と、歪んだ運命を解き明かすために。


 若き魔導師、ルシ=ファーレンの物語が、ここから本当の意味で動き始めたのだ。

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