15-9(最終話):管理者の休日
エリュシオンの街が、燃えるような茜色に染まっていた。
海は黄金の溶岩のように輝き、断崖の上に立つログハウスの白い壁を、優しく、けれど鮮やかに塗り替えていく。
俺はテラスの椅子に深く腰掛け、沈みゆく太陽を独り眺めていた。
かつて、この時間は俺にとって、魔力供給のピークを予測し、システム負荷に備える演算の時間でしかなかった。
空の色がどれほど美しく変わろうとも、視界には常に透明な術式が流れ、世界の綻びを探し続けていたのだ。
だが、今は違う。
網膜を騒がせていた光の文字列はもう消え、ただ、網膜を焼くような夕陽の熱さだけが、心地よい痛みとして目に染みる。
俺は、自らの右腕を静かに持ち上げた。
かつて神に等しい権能を振るい、世界を再定義した魔導回路。
その紋様は今、肌の奥で淡い琥珀色の光を湛え、穏やかに脈打っている。
(……もう、俺がずっと見守っている必要はない)
不器用ながらも明日を掴もうとする若き調律士たち。
自律を始めた世界樹。
設計者がいつまでも現場に居座るのは、健全な運用の妨げでしかない。
それは依存という名の問題を生むだけだ。
「お疲れ様。 ……しばらく、ゆっくり休んでくれ」
俺は静かに目を閉じ、深く、意識の深層へと潜っていった。
右腕の回路に刻まれた、膨大な管理者権限。
俺はそれを自らの意志で、深い眠りへと誘う。
それは回路の閉鎖ではなく、世界が真の危機に瀕した時にのみ目覚める、最後の安全装置として、心の聖域に封印する儀式だ。
琥珀色の光が、ゆっくりと呼吸の速度を落とすように収束していく。
やがてその輝きは完全に消え、俺の腕には、ただの、けれど数多の経験を刻んだ男の肌だけが残った。
――スリープモードへの移行、完了。
その瞬間、身体から最後の一片の緊張が抜け落ちた。
全知全能に近い力という名の「重力」から解放され、俺は文字通り、ただのルシに戻ったのだ。
脳内を満たしていた膨大な情報処理が止まり、代わりに腹が減ったという、あまりに人間的な信号が鮮明に立ち上がる。
「ルシ! 何してるの、もうすぐご飯が冷めちゃうわよ!」
家の中から、リーフの弾んだ声が響いた。
ネロとエルフィの笑い声と、香ばしいシチューの匂いが風に乗って漂ってくる。
俺は、ゆっくりと椅子から立ち上がった。
かつては世界を救うために重い足取りで進んでいた。
けれど今の足取りは、羽が生えたかのように軽い。
扉を開けると、そこには湯気の向こうで、俺を待つ世界があった。
「あ、やっと来た。 ……ねえ、明日は街の広場でお祭りがあるのよ。
ルシはどうする?」
リーフが小首を傾げて尋ねる。
その琥珀色の瞳には、世界の行く末ではなく、明日の楽しみへの期待だけが満ちている。
俺は一瞬だけ、かつてのように効率的なスケジュールを組みそうになったが、すぐにそれを止めた。
「……そうだな。 俺も行こう。 食べ歩きにちょうどいい新作の酒が入っているらしいしな」
俺はリーフの肩を抱き、食卓へと向かった。
窓の外では、一番星が静かに輝き始めている。
かつて英雄と呼ばれた男が最後に下した決断は、自分自身の日常を、世界で一番ありふれた幸福で満たすことだった。
「さて……」
椅子に座り、温かいシチューを一口含んだ。
喉を通る熱さ、塩気、そして家族の笑い声。
それこそが、俺がこの手で書き換えた世界の、最も正しい動作確認の結果だ。
「明日も、溜まった有給休暇を消化するとしよう」
眩い明かりが灯る家の中で、笑い声が再び響き渡る。
英雄の物語はここで終わる。
だが、一人の男としての、終わりのない休日は、まだ始まったばかりだ。
Fin.
これで、今回の物語は完結します。
長い間、読んで頂きありがとうございます。
現在、次作を鋭意、執筆中です。
完成したら、投稿しますので、よろしくお願いいたします。
【 読者の皆様へお願い 】
もし「面白い!」と思っていただけましたら、
下記の【ブックマーク登録】や、
評価の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして応援していただけると、
毎日の執筆の大きな大きな励みになります!いただいた星とブクマの数が、
新しい物語を創作する原動力になります。




