2-1 師匠・シグルドと対面:世界は不協和に満ちている
魔導師として再定義された直後、俺の意識は深い闇へと沈んだ。
次に目を覚ましたとき、どれほどの時間が経過していたのだろうか。
まぶたの裏側を焼くような白光が収まり、ようやく視界が焦点を結んだ。
そこは、禁忌の森の湿った地面ではなく、天幕の天井だった。
「……う、あ……っ」
身を起こそうとした瞬間、脳髄を直接針で刺されるような激痛が走った。
目覚めたばかりの脳に、かつては聞こえなかった世界の不協和音がなだれ込んでくる。
風が空気を震わせる音、焚き火の爆ぜる音、土の下で蠢く虫の気配……それらすべてが 純粋な音ではなく、処理しきれない膨大な非構造化データとして俺の聴覚を蹂躙した。
「あああッ! 頭が、頭が割れそうだ……!」
とっさに両手で耳を塞いだが、その不快なノイズは鼓膜ではなく、脳内の術式階層から直接響いてくる。
止まるはずがなかった。
パニックに陥りかけたその時、誰かの温かな手が、そっと俺の頭に触れた。
――静止。
嘘のように、脳内をかき乱していたノイズが凪いだ。
嵐のあとの静寂のような穏やかさに息を整え、俺はゆっくりと顔を上げた。
そこには、慈悲深い眼差しを向ける一人の老人と、その背後で腕を組み、冷徹な観察者の目で俺を見下ろす一人の少年がいた。
「……あなた様は、一体。 ……僕は、どうなったんですか」
「自己紹介がまだじゃったな。 儂はメギストス=ファーレン。
王都から調査に来た魔導師じゃ。 そしてこちらにいるのは、儂の弟子でシグルド=アイズベルク。
……主、名はなんと申す?」
「……ルシ、です。 ……お貴族様」
この世界で苗字を持つのは貴族だけだ。
名無しの平民である俺は、本能的に萎縮してそう答えた。
だが、メギストスは穏やかに首を振る。
「貴族かどうかは気にするでない。 それよりも……何故、あんな禁忌の場所に一人でいた?」
「……食べ物が無いからと、森に捨てられました。 口減らし、だそうです。
そのまま森を進んだら、地表に巨大な宝石があったので、綺麗だと思って、つい触れてしまいました」
俺の告白を聞いて、メギストスは「なるほどの」と痛ましげに呟いた。
一方で、少年のシグルドは鼻で笑うように吐き捨てた。
「ふん、口減らしか。 無知な平民の子供が、世界樹の端末に指を突っ込んだというわけか」
シグルドの向ける視線は、憐れみのようでいて、その実、自分たちの領域を汚されたことへの不快感が混じっていた。
「ルシよ。 主が倒れてから、既に三日が経過しておる。
……先ほど、世界の不協和音が聞こえると言っておったが、それ以外に何か変わったことはないかの?」
「……何だか、僕が僕じゃなくなった感じがします。
上手く言えませんが、世界が前とは違って見えるんです」
「ほう。 どのようにじゃ?」
「人や物に……見たこともない文字が、複雑に絡まって見えます。
あの人の周りにも、貴族様の周りにも、変な文字が浮いていて……」
メギストスは眼を細め、懐から一冊の本を取り出した。
古びた、重厚な装飾が施された魔導書だ。
「それは、こんな字かの?」
彼が指し示したページには、魔法の構成式――魔術文字が記されていた。
「……はい。
その本の表紙や中に書かれているのと似たような、不思議な形をした字が見えます」
「ほう、それは興味深いな。
世界の『記述』が肉眼で見えておるというわけか……」
メギストスが何事かを考察しようとした、その時。
天幕の外から、聞き覚えのある嫌な声が響いてきた。
「ルシは目が覚めたのですか! ならば返していただきたい!」
現れたのは、俺を森に捨てた叔父を筆頭とした、村の大人たちだった。
村長までもが同行している。
彼らは俺が「生きて見つかった」と聞き、何らかの利権、あるいは再び無償の労働力として回収しにきたのだろう。
「ほう。
口減らしに捨てた子供を、もう一度捨てるために引き取るのか?
それとも、また無償で村に奉仕させる気かの?」
メギストスの冷徹な問いに、村長たちは言葉に詰まった。
「そ、それは……村の決まりでして」
「残念ながら、それは叶わぬ。
この子供は、禁忌の森で不治の病に侵された。
放っておけば、村中に感染するかもしれんぞ」
メギストスが嘘をついた。
隣でシグルドが何か言いたげに眉を寄せたが、老魔導師の鋭い一瞥に黙り込む。
「ひっ、疫病!? そんな疫病神、村には必要ありません!」
「ならば、儂らが引き取っても問題ないな?」
「はい! もちろん! おい、帰るぞ! 病気をうつされてはかなわん!」
叔父は「はひっ」と情けない声を上げ、大人たちは脱兎のごとく、逃げるようにその場を去っていった。
彼らが去った後、メギストスは再び俺の方を向き、真剣な顔で告げた。
「さて、ルシ。 主が不治の病に侵されているというのは、半分は本当だ。
もっとも、他人にうつるような類のものではないがな」
「……どんな病気、なんですか? 僕は、死ぬんですか?」
「世界樹ユグドラシルは分かるか?
この国、いや、この世界の理を司る、なくてはならない基盤じゃ。
……主は、その世界樹の核と半分繋がってしまった。
いわば生きた根っこになった訳じゃな」
「……どうすれば、治りますか?」
不安で震える俺に、メギストスは静かに、けれど力強く答えた。
「それは儂にも分からん。
これから詳しく調べてみなければな。
……そこで提案があるのじゃが、ルシ。
主、儂の弟子にならぬか?」
その言葉は、俺の……ルシ=ファーレンの運命を、根本から書き換える決定的な一言だった。
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