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【第三十七話】それがあってはこの先、きっと辛すぎる

『《白無垢の聖女(ゲーダァド・セーメル)》』

 ある密教の主で 救いを求めた少女の末路。幼い彼女は魔力を持ち 魅了する才があった故に化け物と忌み嫌われた。白い体躯は純真の象徴であり 同志である浄化された魂を引き連れる。

この世は彼女の望んだ地獄すらなく 故に自ら禁忌の聖域を荒らし 浄化の煉獄とした。魅了の術で巡礼者を呼び 喰らう。清らかになった魂の中で 彼女は孤独を嘆いたという。

 解き放たれた白い少女の魂―《白無垢の聖女(ゲーダァド・セーメル)》はフルトーさんによって地に叩きつけられ、俺達はそんな彼女の口の中に入って行った。彼曰く、それは門になるから。彼女は異界から解き放たれた現実に出現した。その時の彼女の姿は、なにか―この場合は巨大な龍のような怪物の亡骸から、それを脱ぎ捨てるように現れていた。怪物という現実の中身として、彼女という異界は存在していたのだ。それと同じ理屈で、フルトーさんは《白無垢の聖女》を現実として、彼女の中身―異界に行こうとしたのだという。そう説明されたのは、実際に俺達が彼女の口に入ってしばらく歩いた頃だった。説明不足も甚だしい。

 というよりも、ここに来てからの彼はなんだかおかしい。会って二日という凄まじいまでに浅い付き合いではあるけれど、そんな俺でも判る程に彼は様子が変だ。なんと言ったらいいか、現実が見えていない。それは発狂した、という風ではなく、寧ろ全てを悟り切って現実とは違う層の世界を見続けているという感じだ。この異常遺跡に来てから、多くの化け物と遭った。魔獣とも魔物とも形容できない、異形の非生命。死肉を食らう鼠、彷徨う焼け爛れたような皮膚亡者。そしてなによりも生溶肉スライム生溶肉スライムにより巨大な人喰い鼠は内側から乗っ取られ、ある亡者は奇形に改造されていた。《白無垢の聖女》が外殻としていた―枯れ木の森の怪物さえも、生溶肉スライムを纏っていた。拷問の痕跡やら辱められた屍など、死の気配が空気のどこかに漂い、酸素と交わって俺達はその幾分かを擦った筈だ。そうしてここの空気に適応したとしても、関わるもの全てを異形で冒涜的な化物に変質させる生溶肉スライム相手に、戸惑うことも臆することもなく、いつもの彫られた彫刻のような変わらない表情のままというのは妙だ。

 言うなれば、彼は"正しすぎる"のだ。勿論長年戦ってきた経験値もあるのだろうが、それを加味したとしてもこんな未知の危険にここまで正しい道を選べるとは思えない。これが全て彼の実力であるというよりも、全てを知るなにかに囁かれ、案内されていたとでも白状された方がよっぽど納得できる。もしも俺の『姿のない案内人』という妄想が事実だとしたら、その案内に従って"正しい道筋"を征く俺達は…その案内人に出会えるのだろうか。正しすぎる道を示す―この異常な空間を知る何者かと、遭遇してしまうのだろうか。正直言うと、こんな異常な空間を知る者は、まずそれだけで異常者と言って間違いないと思う。敵を倒して道を切り開いた先に待つのが、全ての黒幕のような別の敵かもしれないなんて…俺は可能性に戦慄した。

 俺は、境界線を目にした。やはりその境界線はぼんやりとした陽炎のような空間の歪み程度で、大仰な吸い込むような渦巻きなどではなかった。ブラックホールというよりは舞台幕といった感じだ。別の世界に行くというよりは、切り替わるという様子。ずっと地続きで、究極的に言えばいつか逃れられずに直面しなければならないという気さえする。それが分かっていても拒むことなんてできないので、結局数秒眺めるだけ大して悩みをせずに俺は境界線を越えた。

 境界の向こうは、暗闇だった。わずかに少女の喉の白色が見える程度で、視覚では真っ暗と言ってよかった。なのでプラガハの目の光を灯り代わりにしたが、不思議と境界線を超える前よりもよく照らしているように思えた。ここでの光の方が本物だとでも言わんばかりに、かえって不自然なほどにぼあぼあと明るかった。

 歩みを続けると次第に白色すらなくなり、本当の漆黒が俺達を包む。プラガハの両目というか細いにも程がある灯りに二人と一匹は肩を寄せ合った。明確に認識できるのが目の前のしゃれこうべくらいしかないのだから、当然すがりつくように集まる。

 すがりつくものが限られる―逆に言えばプラガハの光さえ確認できればいいのだから、危機感知に割いていた神経は解き放たれ、思考は自由になる。すると自然に、交わされる言葉も増えていった。戦いの連続、休憩こそたまにあったがひたすらに弾丸のように進み続けた俺達は自ずと会話の方向性が今までの振り返りに近い内容になる。あの行動はどういう意味があったとか、あの時はどう思ったのか、余裕あると懐古してしまうのはもはや人間の必然とも言える。

 口の紐が緩むと、色々思いがけない言葉が出てくるもので、フルトーさんは少し優しくなった。

「なんでこんなことしたのかくらいは言ってやるよ」

嬉しくもあり、じゃあもっと早く言ってくれよという気持ちもあって半分半分だった。

「さっき言ってたよな、『いつから耳鳴りがするのか』って。あの時は戦闘中で集中力を切らしたくなかったから適当にはぐらかしたが、正直に言おう。ずっと聞こえてる」

「ホントですか…?」驚きこそすれ、二度目なので自分でも思ったほどではなかった。

「あぁ、ずっと。昨日今日の話じゃない。ずっと昔も昔、ある出来事がきっかけで聞こえやすくなってたんだ。もう、『そういう能力がある』と思った方が納得しやすいくらいにな。んでだ、わざわざこんな―化け物の口の中に入った理由は、その耳鳴りのせいなのは言うまでもないと思うが、俺はそれを盲信したわけじゃない」

ちゃんと考えてのことだ、と彼は言った。盲信したわけではない、つまり声に従うまま来たわけではないと判ったが、そうなったところで俺の不安の矛先が彼の判断能力に移るだけだ。この人がもし見誤っていたら、その時は…俺は息を呑んだ。ちょうど呼吸がしたかったんだ。

「ここは…生溶肉スライムがいることから判ることだが、人が死に過ぎてる。呪術的な儀式に伴う生贄だとしても、少し数が異常だ。『大量殺戮』とその結果として『生溶肉スライム』。この間の因果が埋められなかった。お前に渡した本が製作されたと思しき第二次(だいにじ)貴血(きけつ)王朝(おうちょう)時代と、ここで行われていた食人の文化。この大きな二つの要素では、どう考えても因果の間は埋められない。文明攪拌ぶんめいかくはん前―世界がぐちゃぐちゃに混ぜられる以前の東方の文化と、今まで続く西方の文化では、土地も時代も全く合致しない。だから俺はこういう仮説を立てた。『この異常遺跡は二つの主がいる』と」

「二つの主?」

「異常遺跡というものは、その形成の核となる物語が必要だ。それは悲劇であり、神話や信仰で成り立つ。けれど悲劇というのは神話や信仰が前提知識として―その物語の前に存在している場合がある。もしこの異常遺跡が二つの物語が時代を超えて重なり合う―核の部分から同時に二つが一つになっていたとしたら、理論的には成立する」

「それと…耳鳴りに…従わずに、フルトーさんが考えた理由って?」

「俺達が聞こえる耳鳴りは、どちらか一つの物語にしか対応していない。どっちかがもう一つの物語の前提か、或いは後付けだ。ある物語の登場人物は、その物語の前後は把握できないんだよ。時間で大きな隔たりがあるからな」

「その…確証は?」

「プラガハと霊体契約ゴルヴェナンテの三人だよ。この二つは襲撃と召喚という形態の違いこそあれ、等しく霊体だ。だがプラガハは三人と面識がないし、その逆もしかりだ。レクレスだったか、声のデカい奴が弓手の奴とは面識があったが、もう一人やプラガハのことは言及しなかった。この四人は同時にいたわけじゃない。異なる時間に残された霊体だ。そうだよな、プラガハ?」

先ほどからランプのように扱われているしゃれこうべはフルトーさんの問いかけに、彼は「あぁ、少なくとも生前の仲間ではない」と答えた。少なくともと言う言い方から、きっと彼自身記憶が曖昧なんだろう。頭だけしかないんだから、無理もないことだ。

「以上の理由より、俺は耳鳴りを盲信しなかった。あくまで情報源程度に考えていた。…プラガハのいた時代が先か、三人のいた時代が先か。どっちが先か、結論聞きたいか?」

「はい、そりゃ」

彼が意外に話したがりで驚く。この人、結構深く考えてるけど、まとめるまではとことん共有しないんだな。と俺は思った。だからといって説明不足を許すわけではないけれど。

「三人の時代の方が先だ。プラガハは後。プラガハは最初に、ここ―『オルハ地下水路』に来た目的を『異端の密教を狩る為』と言った。つまりプラガハのいた時代では、なにかしらの宗教があり、もう既に大きな影響力を持っていた。だが、本とその持ち主の言葉からすると、三人の板時代では、宗教はまだ作って間もない―まだ信仰ではなく神話だった。出来事を時系列に沿って整理すると、プラガハの方が物語の後付け―死体やら生溶肉スライムやらは真相とは関係ない。ってのが俺の考えだ」

「じゃあなんでここに来たんですか? 白い女―今俺達が中にいるあの化け物は、プラガハの時代の産物でしょ? どこまで行っても後付けなんじゃ…」

「言ったろ、地続きって。後付けの物語の最初の部分は、本来の物語の最後と結びつく。だから俺達のしていることの先に、前時代の終わりが来る」

なるほど、遺跡の深部に進んで、どんどんと深いところに向かっているという意識があったが、遺跡の時系列でいえば単純に遡っているわけか。深いところほど古いとは、本当に遺跡だな。

「楽ですね、進む方向自体は」

「楽で結構。道そのものが長いんだから、進むのが楽なら良いに越したことはない」

いつも通りに冷徹で平坦な答え。でも今は何故か彼の奇妙さの一つのように思えた。


 【 】


 きっと、話が続けていたと思う。これから先に待つ危険を俺に意識させない為に、彼はわざと自身の考えていたことを次々と話してくれていた。そこから自然に、毒にも薬にもならない一文と一文を交互に織り交ぜるだけの歴を形成され、か細い希望に縋りつくように声を絶えず交わし続けていたと思う。


「いますか?」

「あぁ」

「息、苦しくないですか?」

「あぁ」

「足、痛くないですか?」

「まぁな」


些細な、取るに足らないようなことでも喜んで声に出していた。たとえそれに返されるのがどんなに素っ気ないもので、相手もその薄いやりとりを知り尽くしていたとしても―俺はそのどうでもいい、思考を片っ端から口にするようなことを止めなかったと思う。それを望むほどに俺は心細かったし、ふとした瞬間にどうしようもない寂しさを感じて、足が止まってしまう気がしていた。


 一瞬―いや、そう認識しただけで、本当は一瞬すらなかった筈だ。さも最初からそうだったと言うように、突然足元がなくなった。それからどのような場所に落ちたのか、残念…いや幸いなことに、俺は自分がどこに行くのかを、その道を知ることはなかった。


 他愛のない会話の連続を断ち切って、"なにか"は俺達を下に引き寄せた。だがその時には既にフルトーさんは俺の目と口を塞ぎ、情報を遮断していたので俺はそれ以上の要素を拾うことはなかった。したがって俺の視界が暗黒の果てしなさに絶望することも、俺の絶叫のあまりの響きのなさに怖気づくこともなかった。それでも、何も感じない、なんてことはなかった。

 それが物理的なものでなく、言わば次元の移動であると理解していても、落下の感覚は生々しかった。踏みしめられない足元の空と、触れることのない周りの無ばかりで自分を支えるものはなく、自分の体が糸すら切られた操り人形のように思えた。自由落下と言えばいいのか、空気抵抗などの理すら俺を受け止めようとはしなかった。不気味なまでに、表す擬音などありはせず、風切り音が聞こえそうなほどに速く、ズボンの裾から首元に通り抜ける空気が肌を撫でる感覚を実感できるほどに遅かった。一本の細いレールに沿っているようでもあり、宙に振り回されているようでもあった。不安定で不完全な変動し続ける落下を、言葉なんかで表現できるわけがない。ともかく、閉鎖的な俺の感覚は、ただ揺られる体の中の液体の運動だけが俺自身の置かれている状況を理解させる最も有効な証拠だった。有り体言えば、酔って吐きそうだった。平衡感覚は機能していなかったが、三半規管は機能していたらしかった。


フルトーさん、手をどけてください。吐きそうです…


 音として出なかっただけで、きっとえづきそうだったに違いない。それどころか醜い文句を散々に垂れてしまうだろうという有様だったというのに、ある瞬間を境にそんな状況ではなくなった。

  解決した、というわけではない。吐き気も嘆きも、それを発しようとした意思も明白に覚えている。それでも、"その瞬間"を通り過ぎれば、関わるなにもかもが過去のものになった。思い起こして、再びしようとも思えない―まるで時間が網となり、不必要なものを濾し置き去ったように、妙に潔白にも近づいた様子だった。潔白と言えば聞こえはいいが、それは即ち無力化だった。危機を排除する為に獣から牙を抜き、血を抜き、抗う能力すら剥奪された息をする肉に貶められたような気分だった。

その浄化による、穢れ―人間らしい毒気や殺意の欠如は、堪らない不快感を伴った。

ぞっと、背筋に流れた一筋の汗が冷たく変わった。

【あとがき】

 構想がある程度まとまって、書いていて楽しい部分ではあるのですが、絶対このサイトで書くものではないなと"ズレ"をひしひしと感じております。あとスプラトゥーンのビッグランをやったのですが、1ゲーム中々長いですね。気軽にやってはいけない所要時間です。


至らぬ点ありましたら、どうぞご意見お願いします。


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