【第三十四話】キミと見た空とビッグバン(1)
頭の中で声がこだまする。鼓膜をとんとんとしつこく小突くものではなく、強い残響が脳を揺らし、声が―言葉が聞こえる。
誰かが地獄で泣いています。
その声はあなたの声ですか?
いいえ、その声はあなたの声ではありません。
あなたは地獄にいません。
あなたは、地獄にすらいられていません。
あなたは、地獄ですら行けていません。
あなたは、地獄でさえ、行けません。
あなたはどこにもいません。
あなたはどこにもいれません。
あなたはどこにもいけません。
あなたはどこにもいません。
ただあなたは、暗黒に彷徨います。
ただあなたは、虚無に囚われます。
ただあなたは、永遠に寂しいです。
声をあげても、届く筈がありません。
手を振っても、あなたには振る腕がありません。
諦めたくても、永遠の暗黒はあなたを逃がしません。
だからあなたは、
声をあげたくて、聞く人を誘いました。
手を振りたくて、誰かから指一本ずつ奪いました。
諦めたくなくて、永遠の暗黒を見始めました。
あなたは悪魔の声で生命に囁き、死神の体で肉を集め、怪物になって、屍の山で暗黒を埋め尽くしました。
誰かがあなたの地獄で泣いています。
その声はあなたに聞こえますか?
いいえ、その声はあなたに聞こえることはありません。
あなたは悪魔で、死神で、怪物です。声なんて、聞こえる筈がありません。
悪魔は邪悪に考えるだけです。
死神は命で弄ぶだけです。
怪物は叫ぶだけです。
【 】
「オンラァッ!」
目が覚めたと思ったら、最初に俺を迎えたのは俺を殴る恩人の姿だった。
「もう一発ッ!」
「待って待って!!」俺は取り戻した意識の最初の命令―フルトーさんを止めようと腕を前に出した。
状況の混乱と、胸骨圧迫を俺の顔でやろうとしているのか、それくらい無駄に重い一撃が俺の頬を打たれたのの二つの事実を整理できていない俺は、時間が欲しかった。というか説明もなく殴るのはやめてほしかった。
「なんで! なんで殴ってるの!」
「魅了が効いてる。分かっか、お前目ぇ赤く光ってるぞ」とそれで説明をし終えたのか、言い終わって早々に拳にひねりを加え始めていた。「だからこうして、もう一遍気絶させるッ!」
そんなパンチしなくていい、される側の身にもなってくれ。と必死な思いで俺は地面を後ろ向きに這って彼から逃げた。
ふと、水面に映る自分の顔が見えた。疲れた顔、据わった目、そしてそこに僅かに朱い光が宿っている。もうそんなの、正気の人間の顔じゃない。瘴気に魅入られている。異質な力が、俺の中でまだ燻っている。顔を覗かせた朱い魅了が、水面を見つめると段々と姿が見えなくなる。
消えたんじゃない、隠れたんだ。
巣窟に帰った毒蛇を忌避するように、俺は姿を消した朱い魅了を引きずり出したくてしかたなくなった。
瞼の上で、眼窩に爪の先をはめた瞬間、忌避感をより強い思いが上書きした。俺の思いじゃない。俺の思いは今、膿を掻き出すように魅了を排除しようとしているだけだ。他人の言葉―フルトーさんの言葉を安全弁として頭が引っ張り出す。
名前を忘れるな。
考えを止めるな、思考停止した死人になるな。
馬鹿みたいな綺麗事でも生きたい理由を叫べ。
暗闇の冷たさは気持ちの悪いものだ、どこまでいっても、心地よいものではない。
『吞み込まれるなよ』
―俺の名前はラク・ロゥ…いや違う。俺は落伍知郎。「落伍しない」を「知る」「郎」。いつだって落ちない。いつだって俺は這い上がれる。蜘蛛糸を掴んだ地獄から抜け出せる。
俺は生きている。息をして、心臓が動いて、吐き気がして、動悸がして、それを気持ち悪いと思う"生きた人間"だ。
生きているし、これからも生きていたい。まだ俺は恋人ができていない。俺はまだ心の内を曝け出せる寄る辺を持っていない。永遠の安息を手に入れていない。俺はまだ他人に自分を認めてもらっていない。俺は誰かに認めてもらっていない。俺はまだ女に認めてもらっていない。
人恋しさを超えたい。
肉体的な交際をしたい。
永遠に孤独な一つの肉塊に閉じ込められた単独の意識のまま、死ねない。
そこまでしないと、俺は俺の死を認められない。
俺は死んでいいとなんて思えない。
死ぬ間際の安堵を永遠に手に入れられない。
俺は一度死んだ。
一度死んで、なにもできない虚無が心臓で杭になっている。
俺はなにもできなかった、その死の感覚が嫌というほど皮膚の下で蠢いている。ざくざくと肌を突き破らんと抗う無力さを納得させられていない。
自分を構成する全てのもどかしさを納得させて、消えられない。
脆く消え去る軽薄な肉の死に納得できていない。
俺は救われない。
このままじゃ死ねない。
このまま死んでいいわけがない。
まだ俺は、俺を許せていない。
『死ぬな』
『死ぬな』
『死ぬな』
『死ぬな』
『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』死ぬ『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』『死ぬな』
死んでたまるか、だから死ぬな。
俺は痛い。痛みを消したいと思っている。俺の腹に小針を刺すような静かな寂寥感を、取り除きたいと思ってる。痛みを抱えたまま、無意識の快楽に逃げられない。痛みを超えろ。
「痛ぇよ…」
俺は水面に映る自分から目を逸らし、自分の腹に跪く。内臓が膨張するような感覚を創り出し、腹の内の全てを吐き出そうとする。
俺は全てを吐き出した。一度。もう一度。出来る限り何度も、吐き出す。
「は…あぁぁ、ぁ」
朱い、俺は自分が吐き出したものに俺は目を奪われる。じっと、執念深く、ただの吐瀉物としての実在しかないそれに俺はそう思えた。
魅了は、もう俺の中にない。
「…ンぐっ」
口を拭い、腹からこみあがる空気の道を自由にして、自然な流れに呼吸を任せる。
自然に、意識せずに体がしたい律動に任せて、呼吸を整える。
目の前で発狂し、嵐のように暴れる怪物を諦観する。あそこにこれからまた飛び込むのだと、意思を整える。
俺の意識は灯台から飛び降り、荒れ狂う波に切り刻まれ、虚無に堕ちた。そうすると、暗黒は虚無にいる俺を拒絶し、この世界に追い出した。
俺の身体はここから走り出し、荒れ狂う怪物に切り刻まれ、虚無に堕ちる。そうすると…そうしても俺は上の世界に追い出されることはない。
あれはひどい悪夢だ。目覚めの悪い、コーヒーが欲しくなる悪夢なんだ。現実とは違う。現在とは違う。口を閉じて、意識して呼吸をする。俺の意図する平穏の律動を血液に刻む。悪夢を掻き消し、現実の律動に自らを落とし込む。
「腹と背中打ったから気をつけろよ」この世界でひとり孤立しているような自覚を、いとも簡単に消し飛ばした声。
その方を振り向けば、勿論、フルトーさんがいた。
「えっ…?」
「お前結局落下して、一応受け止めたけど相当腹と背中に衝撃受けたから、無茶すんなって言ってんだよ」
「いげっ」指摘するようにフルトーさんは俺の背を少し小突くと、俺の体は不格好な声を上げて反応する。
「突撃すんな。後ろいろ。言ったろ?死ぬなって」
呆れたような、それでいて心配するように彼は言うと俺の肩を叩き、儀剣と大斧を構えて怪物に立ち向かっていった。
行動の方向性が定まったというか、俺が行動してどうこうなる次元では本格的になくなってきたからというか、今俺は怪物から距離を取っている。近づきすぎて、ヘマしたら掴まれ、地面に叩きつけられかけた。その反省として俺は怪物の全貌が見える程度に離れ、保身最優先、『いのちだいじに』を心掛けているのだ。
怪物はというと、とうとう超次元じみてる。というか、どう擁護しても生き物の範疇を超えている。
頭は二股に裂かれ、腹は真っ二つに割れてライチの果実のように白いナニカが漏れかかっている。だが怪物はライチと違って、瑞々しい麗しの白い果実のように見えるが、逆茂木のような牙が喰いかかる罠になっている。どうせぇちゅうねん。
とはいえ、そんな怪物と相対しても、フルトーさんと三人のおっさん達は決して引けを取らない。フルトーさんは燃え盛る業火のように猛々しく強力な攻撃で怪物の巨体を揺らし、失念していた第三のおっさん―青い服の寡黙な戦士が的確な一撃でそれを支えている。最前線で攻撃を捌き、注意を引き付けるレクレスもさっきと違って余裕があるように見える。
しばらく様子を見ていると、一つ気付くことがあった。
俺、いらなくね。
いや、危機から遠のくのは勿論嬉しいことなんだけど、さっき突撃した時の決死の思いとの落差がある。どういう感情で見ろって言うんだよ。不服で拗ねたい個人的な気持ちと、戦いの最中で生存が第一なんだからもっと真面目でいなければならないという気持ちが、行き場を失った熱意を以て変に丁々発止の激戦を繰り広げている。脳内会議は熾烈を極めていた。
「《殺災流》聖炉殺炎」
儀剣が青白く、鋭く尖ったかと思えばフルトーさんはそれを怪物の胴に突き刺し、大斧が赤黒く、強大な大火を纏ってかと思った彼はそれを以て尻尾から左第三腕にかけて一直線に切断する。悍ましい戦闘術だというのに、彼の動きは魅せられる美麗な舞のようだった。
森のように巨大な怪物だというのに、彼により体を斬り落とされた時の姿はまるで小さな蛇のように無力に見えた。このまま蛇の串焼きにしてしまうのかと思いきや、どうやら違う―空気感が一変する予感がする。
一撃でぶった切った大成果を何事もなかったかのように、彼はなにかを叫んで全員を後退させる。言葉は分からなかったし、フルトーさんは仮面を被っているのでその表情を見取ることはできない。にもかかわらず、彼の危機の訴えがよく判る。
きっと、その意味は彼だけが発するものではない。この異常遺跡が、怪物の存在する暗黒の淵が危機の信号を発している。それは崩壊の予兆。門がこじ開けられ、聖域から無理矢理に聖体を持ち出される強奪される、内部からの危機。内部崩壊。暗黒が持つ内臓の排除機構のような歪な訴えを感じる。
"少女"が来る。
現実が暗黒に犯され、その深淵が虚無と繋がる。現実と虚が一つの門で一致する。一つの空間に同期した二つの世界が、第三の世界を召喚する。その予兆―視界が朱い陽炎が被さる前に、不幸中の幸い、俺は体験から来たる厄災の正体を掴めていた。掴めて尚、どうすることもできないのは歯がゆかったが、覚悟はできた。俺は受け入れ、そしてきっと―
―殺して暗黒に送り返すだろう。
【あとがき】
書き始めを思いついたら早いですね。全然本筋とは関係ない内容ばかりで始めてますけど、書くこと自体は楽になりました。
至らぬ点ありましたら、どうぞご意見お願いします。
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