【第三十二話】生まれ落ちた罪、生きている罰(1)
覚悟は決まった。
怖い、止まりたい、泣きたい、叫びたい、吐き出したい。弱音を吐いて、大きな背中に甘えたい。情けなさをそのままに、取り繕うことなく受け止めてほしい。そうは思っても、ここで終わりたいとは思わなかった。
ここで終わってしまって、良いわけがない。こで終わってしまえる、言い訳もない。頭を突っ込んで、そして今、えらく背負うものが増えた。俺達が蹴散らしてきた障害は全て、俺達の目の前にあっただけの罪の選択肢。選択してしまった罪は、責任を以て償うべきだ。
たとえれば賽の河原か。
ごめんなさい、私は自分を生んだ親より早く死んでしまいました。
ごめんなさい、私は自分を生んだ親より早く逃げてしまいました。
私は貴方の死を看取れません。私は貴方の死の責任を負いません。
私は貴方を弔いません。私は貴方の死を受け入れません。私は貴方の死に意味を与えません。
ですが逆に、
貴方は私の死を看取ってください。貴方は私の死の責任を負ってください。
貴方は私を弔ってください。貴方は私の死を受け入れてください。貴方は私の死に意味を与えてください。
私は貴方が死ぬまで、償いに貴方のなんら救いにならない石を積み上げます。だから貴方は、貴方が死ぬまで私の死の責任を負い、弔い、受け入れ、相応しい意味を与えてください。
私は罰として、貴方を助けません。
貴方は罰として、私を助けてください。
私のそれが、親より先に死んだ子の罪というものだから。貴方のそれこそが、子を先に死なせてしまった親の罪というものだから。
そういうもの―という言葉で片付けられる、倫理的な勧善懲悪の一部です。
だから俺は、そうした、この世界に持ち込んでしまったあまりに力強い倫理的な勧善懲悪に則って、贖罪をする気でいる。姿形を失い歪み切った"元"人間に、俺は責任を負い、受け入れ、意味を与える気でいる。馬鹿なものだ、と苦笑したい。けれど、こんなあまりにも力強過ぎるものを使わなければ、俺は自分の行動を正当化できない。勝手なものでもいいから、救済のルールを求めていた。救済を保障するなにかが欲しかった。自分を許してくれる罰を、身勝手に罪と相応しいものとしなければ、俺は吞み込まれる。
案外、速かったですね。そう気の抜けた言葉を口にしたのは、勿論俺だ。余計な無駄口だからフルトーさんではなく、だからといって骸骨であるプラガハではなく、ましてちゅーたでなんてあろう筈もなく、この俺、ラク・ロゥだ。
「もう少し、準備したかったか?」
「いえ、別に」そんなことできる時間も、物もなかったじゃないか、というのは言わなくても分かる。だから言わない。言ったら無駄口とはいえ寧ろ辟易するだけだろうし。
とうとう、俺達はこの異常遺跡―『オルハ地下水路』と呼ばれた大昔のどん詰まりの再現の果てに立っている。全てが再現し終えて、再現するものがなくなればあとは楽屋か舞台裏―表を形成する裏の面が見えるに違いない。
もしかしたら急に真っ暗な虚がぽっかりと地面に不自然な円を穿っていたとしても、まぁそれはそれで納得できるものではある。
死体が吊るされ、異形になるまで拷問され、何故か歪み切って化け物になるこの凄惨な小世界の底にあるのが、相応しい小さな地獄であったとしても、その先を覗けばただ露悪的な風にしたかっただけだと告白されるのなら、今までの全てを精神的に帳消しにできる。期待しているわけではないが、寧ろ俺は陳腐で、駄作と呼ぶべきひどくちっぽけなオチを望んでいるのだ。
もうすぐ最下層。これ以上進む先を見つけられないという、どういう意味でもどん詰まりでしかないところに到着する少し前、フルトーさんは急に足を止める。
「…ん、こんなとこに」
「なんかあったんですか?」
物質的な希望を求めて、自販機下をふたりして覗くみたいに俺とフルトーさんの二人とも身を屈めた。
そこにあったのはまたしても文字。どう考えても一行程度しかないのに余程大切なことを書いたのか、蝋を融かして刻んだ文字の上になにかじとっとぬめい薄い粘液のような層で被膜されていて、自己主張強めに仄かな白い光を発していた。ナメクジでなぞり書きでもしたのだろうか。
またなにかポエミーで、ただ世界観を表すフレーバーテキスト専用アイテムのようななんの助けにもならない文かと思えば、今度は違うらしい。
「霊体契約か。魔力を込めると実態を持つ霊体を召喚するやつだ。珍しい…だが、正直あんま期待できないな。一応呼んでおくか? 賑やかしくらいにはなるだろ」
心の中で魂を持っていかれたりとかしない限りは、と暗黙の了解を設定してから「やった方がいいんじゃないですか」と、俺は答えた。
明確にやりましょう、と言ったわけでもないので、本当に賑やかしにしかならない役立たずだとしても、俺は責任転嫁できる。
滑らかで自然な流れでフルトーさんは白く光るぬめった文字列に手をかざして力を込めると、次第に文字は金型に錫を流し込んで鋳鉄するかのように簡潔で量産的な魔方陣を描き、文字が光の柱のように立ち上がった。するとその柱に囲まれた中央に白い光をこねてまとめたような人ほどに大きい球体が現れたかと思えば、その球体はうずくまった人のようになり、気が付けば腕を天―と方向は正しいのだろう上方に伸ばして立ちあがっていた。
「我が名『鉄塊』レクレス・マエオミロイ-Reckres Maeomiloye-。我が盟友ルカウェイの盟約に従い参上仕った!」と達磨のように胴の丸い鎧を着たおっさんは言った。
「我が名『千里眼』ルカウェイ・ミハルヴェキ-Lockaway Mihailviek-。我が盟友レクレスの盟約に従い見参した」と六本腕―よく見たら二本は鎧の装飾で、別の二本は腕の上についた装飾で、重なっているから六本に見えるというだけの別のおっさんは言った。
「おっさんが二人出てきただけじゃないですか!」
「いや、三人だろ?」とフルトーさんが指差す方を見ると、召喚されて二人とは少し離れた位置で壁に寄りかかる第三のおっさんがいた。
「…レクレス…だっけ? この人も盟友?」と第三のおっさんを指差しながら訊く。
「我が盟友はルカウェイのみよ!新たな盟友!」
ルカウェイのみと言ったすぐ後に俺に盟友認定するとはどういう了見なのだ、と思ったが、すぐに「じゃあこいつはなに!」という別の思いが先行した。
「言ったろ、賑やかしって。三人もいるんだ。三回くらいは攻撃の囮になってくれるさ」
「うーん…」
俺はいかんせん本を抱えているので、囮がいてくれると嬉しくはある。嬉しくはあるんだけど、それはそれとして頭の中で別の声がさっきから、やめておけやめておけ、と連呼している。
やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、やめておけ、
と、目の前に死の危険があるかのように脳内の安全弁が絶叫している。まぁ実際死の危険は目の前にあるんだけども。
骸骨を被った男一名。本物の骸骨一名。盾二個持ちの達磨みたいな体系のおっさんが一名。馬鹿みたいな量のクロスボウを飾りの筈の腕に持たせた妙に金ぴかに輝くおっさんが一名。そして鼠と、とうとうゆかいな仲間たち感が隠せなくなってきて、ここにまた別の―第四のおっさんが急に姿を現したとしても、もうその時は大人しく雑技団に転向した方が英断だろう。そしたらもうカーニバルだ。これから行くのは人喰主義者たちの地獄だが、それでも俺は雑技団を真剣に検討する。
【 】
ゆかいな仲間たちになってしばらく、死にゆく覚悟と雑技団を目指す覚悟をして間もないくらいの時、俺達の旅は終わった。仄かに明るい奇妙な場所ではあるが、そういったことを抜きにしてもきっと最大に奇妙と言える現象と立ち会ったのだ。
目の前が歪んでいる。壁としか思えない灰色の大扉のが俺達の行く手を塞ぐ…筈だったのだろうが、現実その扉は既に巨人の骸骨のようなものに強引に開かれた後だった。その大扉の近くには吊るされる屍はなく、死後も尚解剖され辱められた骸骨もない。その場に自らの領土を広げるような、荒しているとすら表現できたカルティックな様子はなく、空気感が圧倒的に違う。
まるで、なにかを閉ざすような。まるで、聖域を閉じ込めるような神殿か王墓か、そういった類の雰囲気を感じる。だが今や閉ざされた扉は開き、閉じ込められた聖域は開けっ放しになって、この地下水路に溢れている。全ての元凶、この露悪的な地獄の権化。それが眼前にあり、そこに踏み入れなければならないというのに、俺はそんな恐怖よりも陽炎のように存在を揺らめかせる空間の歪みに魅入られている。
「神秘的…」
続く言葉を考えたけれど、次第に熱っぽくなっていく見蕩れた視界が気持ち悪くなり、考えるのを止めて目覚ましに頬を叩いた。
「ちゅちゅちゅちゅ!」
景気づけとでも思ったのか、叩く音に驚いたのか、肩に乗っていたネズミモグラのちゅーたは両手でぽかぽかと便乗して俺の頬を叩いた。手乗りサイズのネズミとはいえ、そこそこ痛い。ちゃんと叩かれてるという感じがする。
「なんだ、眠いのか?」
「いや…まぁ、そんなところです」
「朝から起きっぱなしだもんな。しかも色々あったし、出られたら寝ろ。どうせお前そんな体力ないだろ」
空間の歪みもなんのその、見慣れたよくある光景なのか、フルトーさんはいつもの調子で俺を心配してくれている。
そう言われると本当に眠くなってくるので、大人しく見蕩れていた方がよかったかもしれない。
陽炎はただの陽炎。歪んで見えるのも歪んで見えるだけ。いざ通ってみれば、明確な境界線や存在の実体を掴めたわけでもなく、どうやらそこにあったらしい、と振り返ってようやく分かる程度だった。期待外れというか見かけ倒しというか、安心と失望が混ざらず、同時に感情として俺に訪れた。
もし、浅瀬程度も水位のない場所に、海があったとした、どうする? 深く、底の見えない、巨影の潜む永遠の暗黒が、ある筈もない場所に見えたら、君はどうする。
信じられないと思う。俺だって、現実感が麻痺していなかったらきっと信じなかっただろうし、発狂して海洋恐怖症かなにかを発症して正気を失ったと思う。
少し、波が立つ。なにがあったのかと思えば、巨影が細長い腕を露にし、潜んでいた暗黒を叩きつけたのだ。大木のような腕が一本、もう一本と現れ、とうとう六本。浅瀬に相応しい小さな波が、絶え間なく浸された俺の足に当たる。それで揺れることはない。小さな波が、胎動のように俺に伝わるだけだ。痛くはない。僅かな波がそこにあるだけで、脅威はない。
だが、脅威の前触れだとしたら?
暗黒から巨影は現実となる。暗黒の群れ―跡形もなく融けた生溶肉をまといながら、暗黒の怪物は這い出し、羽化するように飛び上がる。
闇を切り開く月光のような静かな斜光を背に、怪物は暗黒をまとったまま、影であり続けながらも現実となる。六本三対の翼。そういう生き物は知らないのに爬虫類的だと思う翼。枯れ木のように細く、世の光を遮る灰色の翼。神々しさすら感じ、それが死体を身に纏った呪怨の巣窟だとは気付かないだろう。きっと、俺はその内側の呪いを見抜けない。それでいい。それで問題はない。
浅瀬程度に海なんて、少なくとも俺のいう世界にはないものだ。鏡の世界からなにかが這い出てくるのを見たとしても、それを見た俺が鏡の世界に行けるわけじゃない。鏡に傷をつけて終わりが関の山だ。
俺は、怪物の這い出した海を信じない。ただそこにあったという事実だけを見つめ、その先を覗こうとは思わない。こちらが深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ、とはよく言ったものだ。だが俺は自分を覗かない。深淵がこちらを覗いているのならそれでいい。俺が見るのはあくまでも深淵であり、その水面に映る俺自身の姿なんて興味はない。見たいものを見るのは、そういう我が儘ができるの意識の特権だ。俺は俺の意識が持つ特権を使い、怪物だけを見る。
暗黒を見透かし、その真相を視ようとすれば、やはりそこには枯れ木のような幾つもの翼と朽ちかけの枝のような鋭い爪を持ち、蛇の頭を持ち、蜥蜴の姿をして、ナメクジやウナギのように艶やかな表層をしている怪物だった。
なんだ、予想外なんてないな。少し、安心と失望が混ざらず、同時に感情として俺に訪れた。…また。なんだ、またかよ。
巨大な現実の出現に、呆然としていた意識がふと叩き起こされる。
それはネズミのビンタなんて生易しいものではなく、言うなれば光り輝く一筋の矢だった。
「我が名『千里眼』ルカウェイ・ミハルヴェキ! 汝に弓引く者なりッ!」
金メッキの偽六本腕のおっさんが撃ったクロスボウの矢が、怪物の頭を貫いた。言うまでもなく、このおっさんの矢である。
「我が名『鉄塊』レクレス・マエオミロイ! 汝に立ち向かう者なりッ!!!」
かと思えば、その太った体系のどこからそんな速度がでるのかという驚きの速さでもう一人のおっさんが突撃しに行った。盾しか持ってないのに、何故か盾二刀流なのに、そんなの関係ないとばかりに獅子を素手で絞殺す勢いで突っ走って行った。
「…」
「俺達も行くか」
「…そうですね」
なんだか水を差されたような気分になったが、しょうがないとばかりになし崩し的に攻撃が始まった。
これで、戦闘開始である。
【あとがき】
何故かこの部分、凄い筆の走りが早かったんですよね。某ペンネームが回文のラノベ作者を思い出して、やめておけを連呼したからでしょうか。あの作者、中二病には劇物ですよね。
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