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【第三十話】月光と北風と悪夢、遠くに。

 脚を開き、抱えていた腕も倒れ、不気味に佇んでいた皮の剥がれた人体は、その顔をようやく俺達に見せてくれた。

しかし、そこに期待以上の事実はなかった。大方予想いていたとおり、それは女性で、多分まだ生きていて、なによりちゃんと死んでいた。正確に言えば目玉はなかったし、骨の隙間から垂れる筈の臓器の類も一切が排除されていて"もう生き返ることはできない"。

動いているだけの死体。それが現実だった。ちょっと味方になったりしないかなという淡い期待もあったけど、この妥当な結果に今更探してもそんな期待どこにも見当たらないのは明らかだった。思った時点で諦めていたんだ。


「よかったぁ…」


そんなことは私の精神世界だけで終わらせてもらって、事実だけを切り抜くと俺は

・なにか怪しげなものに手を付けた。

・それは見た感じ死体で、罠の可能性もある。

・変な呟きをしていて、それは古代の言葉らしく、状況を理解するヒントになるかもしれない。

…というものに対して独断専行でやりにいったのだから、これで結果が出ないとシャレにならない大損害になる。

なにかギミックがあった場合、俺のせいで一生解けなくなる可能性だってあったのだから、冷静になると体が震えてくる。


…しかし、一応成果があってよかった。


「"本"…ですかね?」


本のページを開く感覚でやったら中から本が出てきた。…もう俺は精神世界と現実の区別がごっちゃになったのかもしれない。


「…見せてみろ」

フルトーさんが手を出して、その本を渡すように要求してきた。断る理由もないし、やってしまったらとうとうただのお騒がせ野郎でしかなくなるので大人しく彼に本を渡した。


 大きさは、まぁそこそこ。祈りとかしていたから聖書的なものかと思っていたけど、それよりは少し大きそう。けど厚みはそんなにない。抱えて持った方が良いけど、多分片手でも持てる。サイズ感はそんな感じ。

 だがそんなのはぱっと見ただけで推し量れる。影だけ見てもきっとそれくらいは分かるだろう。問題は目の前にあるからこそ判るディテールだ。

 高貴さを感じさせる見事な深紅に染まって―だがそれもすっかりと色褪せてしまっていて、既にかすれて僅かに残るばかりの表紙。色々なものがその姿からは失われているのだろうけれど、裏表はともにかなり繊細な技術で金箔が張られ、蔓や華があしらわれていた。

そしてそれは極めて美しく且つ緻密な模様だったが、目を凝らせばそれは意図的でより深い次元で構成された魔法陣のような図形を隠す"ただの装飾"であると判る…ダヴィンチコードみたいに裏の意味を疑ってしまうのは気が立っているからか。


 フルトーさんはページを素早く、パラパラ漫画が描いてあることを期待でもしているかのような速度でめくっていった。しかし手つきは相当手慣れたものだし、目の動きからしても一ページ一秒未満でもしっかり読んでいるのだろう。速読、というのだったか。詳しくは知らないけど、それってこういう内容がよく分からない本にも使える技なのか?

「…それで、内容は?」見れば現状打開につながるのではないかという期待が裏切られるのかの緊張感と、馬鹿みたいな疑問の答えがでるのかという期待感に相応しくないほど恐る恐る彼に訊く。


「……内容は密教らしく聖典みたいだが、作りがツェヴェレライカ方式 ―第二次(だいにじ)貴血(きけつ)王朝(おうちょう)時代の形式なのは気になるな」

「そうなんですか?」

「主に学術書に多く見られた形式だという話だ。時期が同じってだけなのかもしれないが…にしたって『らしからぬ』感じだ。田舎の過激思想持ちが持ってるには格式高過ぎる。地方領主、最低でも騎士官あたりが持っててやっと納得できるってとこだな」


パラパラと一目見ただけだというのによく解るものだ…それにしては彼の顔はどこか俯いて見えた。納得できていないからだろうか、内容を噛み砕けない、というか呑み込めていないという風だ。なにか気になるところでもあるのだろうか?


「なにかわからないところでもあったんですか?」俺は本を盗み見るようにフルトーさんの隣に立ちながら彼に訊いた。

「解らないことだらけだよ、ロゥ。はっきりと『これだ』と解るものなんて何一つない。…そういうのも求めてるんじゃないだろ?」彼は少し悪戯っぽくシニカルに笑った。…余裕があってなによりだ。

「真面目に言うと暗号の類だろうな。内容よりもその構成とかに注目した方が良いだろうな。ちょっと待ってろ、これ教養いるやつだからお前にはできねえよ」

そういうと彼は一層真剣な表情に切り替え、格式高いらしい文字列との睨み合いを再開した。聖典という中身ではなく、ツェヴェレライカという外見に意味があると考えた彼は持つ知識とその教養とやらを行使していた。


 そしてその結果が出るのは考え始めてから二十分ほどしたあたりだった。


 だが俺はそのことを素直に喜ぶことは出来なかった。暗号が解けたことに、というよりは暗号を解いていたことそれ自体にだ。今から三分ほど前―解き始めて十五分以上が経過したら何故だから例の聖典から黒い電流のような、或いは分岐する糸が飛び出るように"なにか"が出現していた。その"なにか"は宙に滞留していたかと思えば、それが雲のようにまとまり、今では泥のように床で蠢いている。幸いというか呑気というか、読んでいるフルトーさんにはそれの影響は出ていないらしかった。


 「ちょっと、なにこれ!」狼狽(うろた)えまくっていて、自分の目的なんてとっくの前に忘れていた。

肩にちゅーたが乗り、右手には得物の槍を持ち、反対の手でプラガハが落ちないように努める。体が三方向に引き裂かれるような思いだった。


「『人間性の霧(ネウラ・ニマグ)』という禁術の類だろう。触れ過ぎたら石になるという話だ」

「嘘だろォッッッ!!!」

しゃれこうべというのは生きていないからか、プラガハの様子は大分冷静なそれだった。当事者意識が欠けているとも言える。


「解説だか解析だかはいいから、あんたもなんかしてくれよ!あの枝出す魔法とかさァ!使えないの!?」

「使えはする。しかし、何分この朽ちた亡骸だ。細枝一本具象する魔力すら残されていない」

「役立たず!」

「その通りの能無しの分際で言えたものではないが、魔法とは貴殿が想像しているほど万能ではない。寧ろ万能に思うのは無理なほど制約に満ちている。だからこそ…」

「使えない理由の説明は結構! "使えるようにする為"の説明はないの!?」

「貴殿の魔力を使う」

今までが嘘のように、彼の言った解決策は極めて簡潔で、それ故に不可解でもあった。まず魔力ってなんだよ、という次元の話が俺には分からなかったのだ。


 プラガハと呼ばれた人物の、灰色の骸骨が妖艶な淡い朱に光る。するとその光は瞬く間に立体的に浮かび上がり、文字列を形成していた。それは意味深なだけの無意味な文字の塊ではないという直感があった。予感ではなく、経験から裏付けされた確信でもあった。


「…魔法陣?」


 昨日、夢にも思いだしたリールスという悲し気な顔をした暗殺者と会った。一度目は殺しに来て、二度目は助けに来た。ドライで、だからこそその独特な美学が混じり合った或る種プロフェッショナルなあり方に、俺は少し感動を覚えた。

 彼女の見せたあらゆる生命に対して耽美的なまでに万能を発揮できてしまう、残虐な魔法の火花をまだ覚えている。それまでの道筋に流れる鮮烈で電流的な衝撃が体に思い出させる。一瞬、その火花や光に相応しいなにかの迸りが血管を通り抜ける感覚がして、通ったそれは、確信をもって()()()()()と言える。


「…の不定形な存在から、魔力とは生きるという意思と結びついた概念であると解釈される。つまりだ」


思い出は一度止まり、止まらずに流れていた現実が再び姿を見せる。興味がないものは、どうしてこんなにもすぐに過ぎ去ってしまうのだろうと若干の後悔があった。


「貴殿にも魔力がある」


結論だけ言われて、何も分からない筈のその一言に、自信はともかく確証だけはどこか湧き上がってきた。

自分でも不思議なくらい、戸惑いはなかった。


 無自覚か、無意識か、その区別は要らない。何も考えていなかった。何も思っていなかった。何も考えるまでもなく、何も思うまでもなかった。ただ、"できる"と身体が囁いて、"やる"と俺が応えただけだった。それ以上のことはなにもなかった。何もなく、何の根拠も出来事もなく、脈絡なく突然にやった。

 プラガハを棒から外す。元の状態を見られるのなら、きっとそれはかっこいいと思えただろう兜を脱がし、眼窩と鼻のあたりに指を入れてボーリングの球を持つように―それが生きていたと、生前の面影を知れた相手に対して行う持ち方とは到底思えない、使い古した物をそのまま使い潰すかのように冒涜するように掴んだ。

 親指、人差し指、中指を使った。まだ登場していない薬指と小指がしゃれこうべを掴み、人差し指がそれを支えた。二回登場で人差し指がMVPだ。

 今ならニュートンの気持ちが分かった気がする。いや、ガリレオだったか。俺の片手は不安定な三本指に委ねられて支えている。まさに今から落とさんとしているようだ。重さを感じる。高さを感じる。重力を感じる。だが重みは感じない。力も感じない。このまま落として、粉々に砕けてしまっても構わないとばかりに軽く感じた。俺は持ってなんていない、落としていないだけだと分かった。

 

 力を感じる。感じてばかりだ、少し辟易する。そういう無駄な思考だけができるのは何故か。

 妙な落ち着きを乱すことなく、静かな洗練された力が流れる。頭から、心臓から、指先から。力はスタート地点を変え、その大きさを次第に増しながら順々と一点に集まる。溜まったらあとはゆっくりだ。ゆっくり、型に流し込まれ鋳造されるアルミニウムのように、力は視えない光沢を放つ。未知が強引に押し付けられているのに、まったく理解できていないのに心の底から納得して、次を楽しみにしている自分がいる。その奇妙な現状にすら納得できる。

 白々しく、今やしゃれこうべに堕ちた戦士に幾度となく形成された筈の文字列は、その歴史を感じさせずに遥か遠い時代の自らの知らぬ若造の元で、全てを忘れたかのように真新しい真珠色の光を燃やしている。自分の術だ、と説明不足な理解が俺の中に入り込む。使いたいのはこんなものではないと、心の中では嘆いた。プラガハの、彼の使ったあの魔法そのものが使いたいと思っていた。フルトーさんの氷を破ったおぞましい侵略樹を俺は求めていた。それが裏切られたような気がして、残念だった。しかし、それはそれとして現実は別の方を向いていた。


 ピンク色の光が俺の手のひらからこぼれる。線香花火のように終わりを匂わせ、だが終わりを見せない、騙る光。ほたるのように眩く、しかし飛ぶことはない。落ちるだけ、こぼれ堕ちるだけの蛍光。文字列に形作られた円陣は底にはない無限の力を呼び出す。生まれている、という感覚はない。どこかから光を召喚しているという感覚だ。

 こぼれた光はその輝きを保ちながら毛玉のように光の棘を伸ばし、沈殿する闇の霧を闊歩して切り拓いていく。頼もしいようでもあり、光の見せる動きが生物的で不気味でもある。安楽椅子の周辺から霧が大方去った瞬間、俺の手をなにかが引っ張った。引っ張り上げて、そのままピンセットでつままれたように動けなくなった。あまりに動かないものだから、きっと時間が止まったのだろうと思った。それでも引っ張り上げられた手以外は動くので、混乱はするもののそれを押し殺して、次に行きたい場所を見つけようとした。


 とは言っても、行きたい場所など探すまでもなく一か所しかなかった。


 光の群れは俺の求める場所に大移動を始め、霧溜まる埃だらけの床をキャタピラのように動いて行った。群れがついた瞬間、腕を引っ張ったなにかはわずかな自由意思を俺に与え、最後の一瞬だけ指揮者のタクトを握らせた。

 どうやら導くガイドはとことん俺を初心者扱いしてなめきっているらしい。最後だけやらせりゃいいとか、子供への接待じゃないんだから。手取り足取りって、自由にやりたい側からしたら意識削ぐよな…と何故だか今実感した。


 光はその身を裂いた。自ずと裂かれて毬栗(いがぐり)が開くように割かれ、中の柔らかで純粋な白い"別物"の光が現れた。実は割れ、姿を現した種は今急に決めたかのように自由に変形しゲル状に融け合った。

―そして、()()()


 何の植物かは分からない。水墨画で見たような細長い枝をした灰色っぽい植物が、可能性の種たちにより生まれた。今にも崩れ落ちてしまいそうな脆い印象を受けるその灰の枝に、何故だか俺は飛び移っても大丈夫だという確証を感じていた。感じてばっかだが、それが間違っていることは今はまだ、ない。信じるに値する。


「行くよ、ちゅーた」

槍とプラガハをまとめて持ち、フードにちゅーたがくるまるのを待つ。闇の霧には波がある。行っては退き、行っては退く。退き潮(エッブタイド)は実在する。緩やかで、明らか。残された時間と潮の流れはなんとなく判る。そして確信する、充分間に合うと。タイミングはいつだってつかめるんだ、焦る必要はない。


 困難なことをする例えに『針に糸を通すような』と言ったりするが、俺の直面した困難はそれに比べると見劣りする。原因は俺の能力不足なのであって、別に何者かによる妨害が続いている状況でもない。事実だけ切り出せば椅子から枝に飛び移るだけだ。今いる安楽椅子は高さがそこそこあるから、勢いをつければ無理な距離ではない。飛び移る時に反動で蹲ってる死体がどこかに吹っ飛ぶ可能性もあるけど、俺には関係のないことだ。後で祟り殺されても文句は言えないし、言われる覚悟は手を突っ込んだ瞬間からしているので今更の話だ。


 (クウィル)(ディオン)(アベズ)。カウントダウンと同時に、俺の目の前に明確なビジョンが見える。できることとやれることが絞られ過ぎて、もうこれしかないと視界が提示し始めたのだろう。俺の潜在的な精神状態を考えれば、俺内部の危険のシグナルなんだろうけど、今はサイレンも聞こえない。無視して、超えるべきだ。超えるんだ、自分(おれ)


 俺は跳んだ。ジャンプして…槍を使って棒高跳びの要領で距離を稼ぎ、なんとか心許ないほど細い枝に飛び乗った。足にかけた力のことを考えると、きっと椅子は吹き飛んだだろう。そんな罰当りを繰り返す背徳者的悪行をした俺は、どうやら行きたかった場所に行けたみたいだった。

 「フルトーさんッ!」俺は手を伸ばした。

プラガハの魔法で枝を生やした場所を考えてはみたものの、どうやってもフルトーさんのところに行った方が安全だという結論になってしまった。初めてにしては結構正確な座標指定だと思う。腕があまり長くない俺でも、なんとか手を伸ばせば彼に届く距離だった。

 別に、彼の元に生きたかった動機というのは、あまりの恐怖と怯えでちびりそうになって『助けてフルトーさん!』と惨めったらしく叫びに来たかったからではないというのはまず言っておく。とはいえ、詳細な動機はまとまってすらいないのだが…強いて言えば、台風の中で一番安全なのは台風の目ではないか、と考えたからだろう。忘れるかもしれないけど、俺が怖がってる脅威―『人間性の霧』の発生源は彼もとい彼の持つ本だ。

 しかし、俺の期待に反して―だが俺の予想通り、俺が来たからといって何かが変わることはなかった。フルトーさんは何事も起きていないように真剣で冷淡な表情で本と向き合い続けていた。

 色々思うところはあったし、これをしてしまったらUSBとかゲームソフトの間違った使い方みたいに妙なバグを引き起こして霧の量が増えるかもしれないし、本が増殖するかもしれない(もしかしたら増殖するのはフルトーさんの方かもしれない)。そんな悪い予感など横に置いて、俺は結局手をもっと伸ばして、指先で本を掴み、手元に引いた。

 俺の手に取った途端、本は電流を放つのを止め、大量の煤―のように見える黒い蝶を飛ばして、いつしか煙幕と呼べる規模にまで膨れ上がっていた。

「ブハッ、ッガハッ!」

なにが口の中に入ったのだが分からない。そもそも口の中に入ったのかすら判っていない。それに加えて最近何も飲んでいないので口の中の水分がからっからで、たとえ飛んできたのが本物の煤や蝶だったとしても呑み込みたいくらいで、咽ようとなんて―あまつさえ吐き出そうとなんて考えはなかったが、体は反応して喉を突き刺し続けていた。

 すると何故だか分からないが、喉が潤っていた。というよりは、喉の渇きを感じなくなっていた。まるで身体ではなく、欲求そのものが満たされたかのように…

現実の奇妙さと痛みに向き合う為に喉を抑えていた俺の足を、誰かが触れた。

…しかし、まぁ…その誰かなんて一人くらいしかいないのだが。

「無事だったようだな」

顔を上げるとそこには見慣れた甘いマスクの木偶の坊が立っていた。空気の読めない澄ました表情のまま、腹が立つくらい素敵な仕草で俺の持つ本を掴んでいた。まだ読んでるとも言いたいのか。だとしたらに十分もしたのだから交代してほしいと訴えようか…

「何考えてんだよ、そんな枝の上で」

「フルトーさんこそ何考えてたんです! 体感二十分以上経ってますよ!?」

「そうか…大分短かったんだな。こっちは四日くらい経った気でいたぞ」

張り合うつもりか…というのは俺の意地悪な解釈だろう。彼は素の反応でこう言っているに違いない。馬鹿な嘘をつく人とも思えないし、きっと本当だ。信じられないことではあるけど、彼は信じられる…


【ひとこと】

 誰かの本を読むたびに、文調ではなく、思想だけしか影響されないので、いくら読んでも成長しないのですが、そんな経験ありますか?


至らぬ点ありましたら、どうぞご意見お願いします。


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