署名運動
その日の放課後。
麻耶と正臣の2人は、相談室のテーブルについていた。
風中の合唱コンクール実行委員を迎えるためだ。
2人が待っていると、相談室に男子と女子が1人ずつ入ってきた。
「風誇中学3年、天宮爽太です。合唱部の部長をしています」
「風誇中学3年、都筑香織です。天体部の部長をしています」
正臣は、へえっと思った。麻耶は合唱部の部長。ウチとは、男子女子が引っくり返っている。だからどう、ということはないのだが。そう思いながら、正臣と麻耶も自己紹介を済ませた。
「今日来たのは、合唱コンクールの会場変更の件について相談に乗って欲しかったからです」
香織が言う。
「会場変更?今年は会場が変わるの?」
正臣が聞く。
「この間、新聞にも載りましたよ」
香織が、新聞の切り抜きをテーブルの上に出す。
それは新聞の経済欄に掲載されていた。
正臣は、三面記事とスポーツ欄くらいしか見ないから、記事に気付かなかったのだ。
「毎年合唱コンクールが開催されている室伏湖の牟誇崎台に、リゾートホテル建設の話があるんです。もし、これが実現したら、今年からあの場所での合唱コンクールができなくなってしまいます」
香織が言う。
「でも、なんで今さらこんな時期にリゾートホテルの話なんか・・・」
そこで、麻耶は「あっ」という口になった。
「呼水町長選・・・・」
「この記事を見ると、このリゾートホテルの経済波及効果は年間40億から50億円と言われてる」
爽太が言う。
「年間50億?こんな田舎町のどこにそんなにお金を落としてくれるところがあるって言うんだ?」
正臣が突っ込む。
「採掘場の跡地よ。最近彌絡石の評価が高まってきていて、その美しさが海外からも注目が集まってきているって書いてあるわ。それで、今水没している彌絡石採掘の地下空間を中心に、この辺一体をジオパーク化しようという計画のようよ」
麻耶が、新聞を見ながら言う。
「だからって、なにも牟誇崎台を使うことはないじゃないか」
「呼水の町長は、呼水町で一番目立つこの牟誇崎台に、目に見える業績を残したいんだろう。それが現実になれば、得票数も増える」
憤慨する正臣に、爽太が解説する。
「でも、ジオパーク化するって言ったって、採掘場はほとんど水没しているのにどうやって人を呼ぶんだ?」
「水を抜くのよ。完全に水を空っぽに出来るか分からないけど、試験的に水抜き作業を行うらしいわ。これが成功するれば、ジオパーク計画が加速して、あの牟誇崎台にリゾートホテルが建設されることになる」
「それにしたって、呼水、風応、両方の町民が毎年楽しみにしている合唱コンクールの場所を変えるなんて・・・」
「合唱コンクールそのものがなくなるわけじゃない。実際、牟誇崎台をみんなが使うのは、合唱コンクール以外では、地元の祭りのときくらいで、せいぜい年に1、2回。年間で1か月も利用されていないのが現状だ。あとの11カ月は何にも利用されていない。あそこは、町の保有地だから、土地の有効活用を考えているんだろう」
隣町の爽太の方が、正臣よりよっぽどこの町のことを知っている。最初は、いきなり合唱コンクールの場所が変わると言われ、カッと頭に来たものの、爽太の説明を聞くと、それでもいいかな、という気になってしまう。
「・・・・そういうことなら、合唱コンクールの場所が変わるのも仕方ないかな」
正臣の一言に、麻耶が切れた。
「何言ってるの?合唱コンクールはあの場所でやるからこそ意味があるのよ。弥七と忍野の物語を知らないの?呼水にある牟誇崎台から風応に向かって歌うことで、合唱を超えた何かを聴衆に与えることができる。だから、場所を変えたら、意味がないの」
「鳳さんの言うとおりだ。僕もあそこで、あの場所でやってこそ意味があると思っている」
「でも、そんなこと言ったって、町長が決めたことをどうやって変えるんだ?」
爽太の言葉に、正臣が反論する。
「たしかに、中学生の僕達がどんなに騒いだって、町の決めたことが簡単に覆せるものじゃない。でも、何かをしなければ、2つの町をつなぐ合唱コンクールはなくなってしまう」
「じゃ、どうしようっていうんだ」
「それぞれの中学で、署名を集めるんだ」
「署名?」
「牟誇崎台にリゾートホテルを建設することに反対する署名です。鵬中、風中両方の中学から、生徒が集めた署名が提出されれば、町長選挙の前という大事な時期、無視することはできないはずです」
香織の口調は丁寧だが、中身は強気な発言だ。
「生徒の中には、合唱コンクールの場所なんて、開ければどこでもいいと言う人も多いと思う。でも、あそこで、牟誇崎台で合唱コンクールを開くことにこそ意味がある。だから、僕と都筑さんは、風中のみんなを説得したんだ。今、風中の生徒たちの8割は、リゾートホテル反対派だ。署名をすれば、相当の数が集まる。でも、呼水町にとっては所詮隣町の中学の話だ。だから、鵬中の生徒達にも協力してほしい」
「いきなり言われても、即答はできないわ。先生にも相談しなくちゃ・・・」
麻耶が口籠もる。
「先生たちは協力してくれないわ。町の方針に異を唱えることを生徒にけしかけるようなことなんてできないもの。でも、生徒自らが自主的にすることなら、それを弾圧するのは、先生自ら言論の自由を否定するようなもの。それなら、邪魔はできないはず」
香織の言葉から丁寧語が消えた。
風中実行委員の言うことはいかにもたくましい限り。
だが、どこか過激すぎないか?
熱くなりすぎていないか?
本質的なところが抜けていないか?
正臣は、なんだか危なっかしい気がして胸がざわざわした。
「鳳さんが言ったとおり、ここで、はい、いいえと言うことはできません。時間をください」
正臣はきっぱり言った。
「採掘場の試験的な水抜き作業が終われば、その結果次第でリゾートホテル計画は加速する。いつくらいまでに、返事がもらえるだろうか?」
「一ヶ月後」
爽太の言葉に、正臣が答える。
「それでは遅すぎる。町長は変更した会場を用意してしまう」
「鵬中が、リゾートホテル建設に反対するかどうか、それは確約できないわ。それでもいいなら、一週間後に返事をします」
麻耶は言った。
「分かりました。確かに、わたしたちが勝手に言いだしたこと。鵬中の生徒たちがそれをどう考えるかは、自由です」
香織が言う。
「せっかく来てもらったのに、色よい返事ができなくてごめんなさい。でも、個人的には、さっき言ったとおり、わたしもリゾートホテル反対。もし、鵬中で反対署名ができなかったら、わたしも風中の反対署名にサインする」
風中の2人は笑った。
「その時はよろしく」
爽太が言う。
「そういえば、養生楓さんは、今年合唱コンクールでるのかな」
「楓?なんで知ってるの?」
麻耶が驚いて聞く。
「養生さんとは、小学校4年の時、県の合唱コンクールでソリストとして一緒に歌ったことがあるんだ。毎年鵬中の合唱見ていたけど、その中で養生さん歌っているとこ、見たことなかったんで」
「そうなんだ。・・・・うん、今年は期待していて。きっと見つけられると思うよ」
「養生さんて、歌うのやめたわけじゃないよね」
「中学になって色々あったからね。・・・でも、歌嫌いになったわけじゃないと思う」
「そうか。養生さん覚えているか分からないけど、僕のことよろしく伝えておいて」




