第五話 内緒にしておこうか
じいちゃんはすぐには何も言わなかった。
作業台の端に置いた発送の控えを、指先で少しこちらへ引き寄せる。
品名の欄に、僕の字で「イヤリング」と書いてある。宛先の欄は空白だ。匿名配送だから、そこには何も出ない。
「どんな品だったんだい」
「木と魔石の、片耳のやつ。じいちゃんの杖の、削った残りの木で」
「ああ、あの柄の」
じいちゃんは小さくうなずく。
それから丸椅子に座ったままのアイカのほうを見る。
「アイカちゃん、もう少しだけ時間をもらってもいいかい」
「はい」
「ありがとう。座ったままでいいからね」
じいちゃんは自分の作業椅子を引いてきて、僕たちの間に腰を下ろした。
椅子のきしむ音がやけに大きく聞こえる。
「シンジ。神様の宿った品が、どのくらい珍しいものか知っているかい」
「……宝箱から、たまに出るくらい?」
「うん。それも、階層主を倒して宝箱が出て、その中身がたまたま依代だったら、の話だね。何年潜っても一度も見ない人のほうが多い」
じいちゃんの声はいつもと同じくらい穏やかだった。
お客さんに製作の日程を説明するときとほとんど変わらない。
「人の手で作れる職人となると、もっと少ない。名前を聞くのは、何年かに一度あるかどうかだよ」
この前の籠手の常連さんを思い出す。テレビの探索特集に出るような人でも、あの籠手は魔道具で、依代じゃない。
そういう人たちが、じいちゃんの店に予約を入れて何か月も待っている。
「じいちゃんは?」
聞いてから、聞いてよかったのか迷った。
じいちゃんは少しだけ笑う。
「まだまだ、だねえ」
それ以上は言わなかった。
アイカは膝の上で両手を重ねて、じっと聞いている。
袖口から、ブレスレットの編み帯が少しだけのぞいていた。
「丸いの、出てきてる?」
小声で聞くと、アイカは手首に目を落としてから首を振った。
話を聞いているのか、寝ているのか。どっちにしても、ここでは出てこないらしい。
「だからね、そういう品には、びっくりするような値段がつく。値段がつくものには人が集まる。いい人もたくさん来るけれど、そうじゃない人も、少しは混じるんだよ」
「そうじゃない人」
「たとえば、シンジがまだ見習いだと知って、作れ作れと無理を言う大人とかね。断ったら怒る人もいるかもしれない。騒ぎになれば、関係のない人まで集まってくる」
じいちゃんは僕の手を見た。
削り粉で指先がまだ少し白い。
「シンジの腕がいいのは、ずっと前から分かっていたんだよ。いつか、こういう日が来るかもしれないとも思っていた」
じいちゃんはそこで言葉を切って、作業台の湯のみに手を伸ばした。中身はとっくに空なのに、口元まで持っていって、また置く。
「……思っていたより、ずっと早かったねえ」
何か言おうとして、何も出てこなかった。
作ったときはただアイカに似合えばいいと思っていた。線がつながって、魔力がすっと抜けて、それで満足していた。
その同じものに、知らない大人がびっくりするような値段をつける。考えたこともなかった。
「だから、今は内緒にしておこうか。シンジが依代を作れるかもしれない、ということは」
「……うん」
「おかしな頼み事を持ち込まれるといけないからね。作るのをやめろ、と言っているんじゃないよ。練習はこれまでどおり続けていい。何かあったら、まずじいちゃんに相談しておくれ」
「分かった」
じいちゃんは今度はアイカのほうへ体を向けた。
「アイカちゃんにも、お願いしていいかい。そのブレスレットを誰が作ったかは、しばらく外では言わないでほしいんだ。今日一緒にいた仲間の子たちにも、アイカちゃんから伝えてもらえると助かる」
アイカはブレスレットの上に右手を重ねた。
「言いません。みんなにも、言っておきます」
「ありがとう。あの子たちなら、大丈夫そうかい」
「大丈夫です」
少し間があってから、アイカは付け足した。
「ユズは、口がすべりそうだけど。ナツメが止めます」
じいちゃんが声を出して笑った。
「それは心強いね」
アイカが帰ったのは、それから少ししてからだ。
アイカが立ち上がるころには、作業場の窓の外はすっかり暗くなっていた。路地の街灯の下を、小さな羽虫が輪を描いて飛んでいる。
勝手口まで送っていくと、アイカは靴を履きながら言った。
「シンジ」
「ん」
「ありがとう。……これ」
左手首をほんの少しだけ持ち上げる。
「昨日も言ったけど」
「うん。聞いた」
アイカは僕の顔を見ないまま、勝手口の外に出た。
街灯の下を歩いていく背中が、角を曲がるまで見えていた。
居間は、店の上の二階にある。畳の上に低いちゃぶ台が一つと、壁際に小さな仏壇。仏壇の中では、ばあちゃんが写真の中で、作業着のまま笑っている。じいちゃんが一番気に入っている一枚だ。
夕飯の焼き魚の匂いが、まだ部屋に残っていた。
夕飯のあと、じいちゃんと二人でスマホの画面をのぞき込む。
台所の窓の外で、虫がひっきりなしに鳴いている。
じいちゃんは老眼鏡をかけて、画面に顔を近づけたり離したりしている。
「字が小さいねえ」
「大きくできるよ。ほら」
指で広げると、じいちゃんは「おお」と小さく声を上げた。何回見せても、毎回おおと言う。
出品者のページには、いつものIDが出ている。
SHIN。
「これは、どういう意味なんだい」
「シンジのシン」
「そのまんまだねえ」
じいちゃんは、なぜか少し感心したように言った。
出品中の欄にはペンダントトップと髪留めが並んでいた。どちらもまだ入札がない。取引一覧のいちばん上には、今日発送したイヤリングの写真が出ている。
「買った人には、何が見えているんだい」
「このIDだけ。名前も住所も出ないし、学校とかも書いてない。発送も匿名だから、向こうの住所も僕には見えない」
「うん。それなら、そこはひとまず安心だね」
じいちゃんは老眼鏡をずらして、ペンダントトップの写真を拡大した。
指で画面をなぞって斜めから撮った一枚で手を止める。
「これも、同じように彫ったのかい」
「うん。ブレスレットより前に作ったやつだけど」
「残りの二つは、いったん下げておこうか。新しく出すのも、しばらく控えよう」
「え、でも」
言いかけて、自分でも何が「でも」なのか出てこなかった。
ビット代とか、砥石代とか、そういうことだ。たぶん。
「ビットや砥石が要るなら、じいちゃんに言っておくれ。練習の材料も、これまでどおり端材を使っていいからね」
見透かされていた。
「どうして下げるのか、一応聞いてもいい?」
「住所が知られるから、じゃないよ。そこはさっき確かめたとおりだ」
じいちゃんは画面から目を離した。
「あのイヤリングにも神様が宿っていたら、買った人がそれに気づくかもしれないね。それで、あの出品者の品は、と噂になったとする。そのとき、同じ出品者の品がまだ並んでいたら、人が集まってくる。今は、火のそばに薪を置いておかないほうがいい」
僕は取り下げのボタンを押す。
確認の画面が出て、もう一回押す。ペンダントトップと髪留めが、出品中の欄から消えた。
画面が少し寂しくなる。
自分の部屋から、薄紙にくるんだペンダントトップと髪留めを持ってきた。出品してから、ずっと机の引き出しで待っていた二つだ。
ちゃぶ台に並べて、薄紙を一枚めくり、また戻す。
「あのイヤリングにも、神様がいると思う?」
じいちゃんは首を横に振る。
「分からないね。こればかりは、使ってみた人にしか分からない。何もないかもしれないし、あるかもしれない」
「もしあったら」
「そのときは、そのときに考えよう。まずは、無事に届くといいね」
じいちゃんは老眼鏡をかけ直して、立ち上がった。
「今日はもうお風呂に入って、早くお休み」
部屋に戻ると、アイカからメッセージが来ている。
『みんなに言った』
少しして、もう一件。
『ユズがいちばん心配』
思わず笑う。ナツメも、たぶん同じことを言っている。
次の日は、朝の風が昨日より少しだけ冷たかった。駅から学校までの坂道で、半袖のシャツの腕に鳥肌が立つ。そろそろ長袖を出さないといけない。
教室に入ると、窓際でユズと目が合った。
ユズは僕を見るなり、口の前に人差し指を立てて、しーっ、とやった。
それからものすごく真剣な顔でうなずく。
隣でナツメがユズの頭をはたいた。
「それが一番目立つんだって」
「え、だめ?」
「だめ」
マオは弓の手入れの本を読んでいて、こっちを見もしない。
アイカは自分の席で、窓の外を向いていた。袖口から、革の編み帯がのぞいている。今日も着けている。
アイカから、ちゃんと伝わっているらしい。伝わり方が少し心配だけど。
自分の席に着くとき、アイカと一瞬だけ目が合う。
アイカは何も言わずにまた窓の外を向いて、袖口の編み帯を指先で一回だけなぞった。
イヤリングを送ってから二日たった放課後、作業台で下げた髪留めを見直す。
その日は朝から雨だった。作業場の庇に雨粒が当たって、ぱらぱらと細かい音を立てている。湿気のせいで、砥石を濡らした水がなかなか乾かない。
雨の日の作業場は、いつもより暗くて、いつもより静かだ。作業灯の光がやけに白く見える。窓ガラスを伝う雨のすじが、路地の家々の屋根をゆがませていた。
湿気を吸った木の床が、歩くたびに少しだけ柔らかく鳴る。
長さは僕の小指くらい。細い真鍮の板に、端材の魔石を二つはめてある。板は、じいちゃんの工具箱の底で余っていたやつだ。
二つの魔石の間を細い線が行ったり来たりしながらつないでいる。出品する前はこれでいいと思っていた。
でも今、作業灯の下で見ると、右の魔石から出た線の一本が気になる。
曲がり方が少しだけ急だ。
魔力を細く流してみる。
右の魔石から出て、曲がり角で、ほんの少しだけ流れがもたつく。
ブレスレットのときほどじゃない。流れること自体には問題がない。
でも一度気づいてしまうと、もうそこしか見えない。
「それが、下げた髪留めかい」
隣から、じいちゃんが言った。
いつの間にか杖の頭を彫る手を止めてこっちを見ている。
「うん。ちょっと気になるとこがあって」
「見せてもらってもいいかい。直すところも」
ちょっと緊張する。
じいちゃんにじっと見られながら直すのは、ずいぶん久しぶりだ。
「ここ」
曲がり角を指さすと、じいちゃんは黙ってルーペを受け取った。
しばらくのぞいてから、髪留めの端に指を当てる。魔力を流しているんだと思う。
「うん」
それだけ言って、ルーペを僕に返した。
いちばん小さい球のビットを付けて、回転を落とす。
曲がり角の内側をほんの少しだけ広げる。外側には触らない。内側を削れば、線はそのぶんゆるやかに曲がる。
一回。止めて、ルーペでのぞく。
まだ急だ。
真鍮の板は魔石より硬い。ビットが滑って魔石の縁に触れたら、欠ける。左手の親指で板をしっかり押さえて、右手首を作業台に預ける。こうすると、指先だけが動く。
もう一回。今度は刃先が溝の底に当たらないように、壁だけをなでる。
精密ヤスリで縁のばりを払って、筆で粉をかき出す。
溝の底に粉が残らないよう、ここは念入りにやる。
魔力を流す。
曲がり角を流れがそのまま回っていく。もたつかない。
「できた」
じいちゃんは何も言わずに髪留めを受け取って、また指を当てた。
さっきより、少し長い。
それからゆっくり息を吐いた。
「どのくらい変わったか、自分で言えるかい」
「えっと……曲がり角で、ちょっと引っかかってたのがなくなった。そのくらい」
「そのくらい、か」
じいちゃんは髪留めを作業灯にかざして、しばらく眺めている。
「少しよくなったのは分かるよ。でも、直す前の曲がり角の引っかかりは、じいちゃんには、はっきりとは分からなかった」
「え」
「さっきの時点で、もう十分通っていたからね。お客さんに渡しても、誰も何も言わない出来だった。それを、シンジはまだ気になると言う」
じいちゃんは髪留めを僕の手のひらに戻した。
指先が少しだけ冷たかった。
「……本当に、細かいところまで見えるんだねえ」
じいちゃんはそれきり、しばらく作業灯の光を見ていた。
僕は髪留めを布の上に置いた。
「レジン、掛け直しとく」
「うん。そうしてごらん」
削った曲がり角の上に、透明なレジンを針の先で少しずつのせていく。広げすぎると、隣の線まで埋まってしまう。
ランプの紫の光の下で、固まるのを待つ。この待ち時間には、もう慣れている。
じいちゃんはまた杖の頭に向き直った。
彫刻刀が木を削る、しゃり、という小さな音が戻ってくる。
その夜、風呂から上がると、じいちゃんが居間でお茶を飲んでいた。
「髪留めは、固まったかい」
「うん。明日もう一回見る」
「そうかい。おやすみ」
居間を出ると、廊下はひんやりしていた。雨はいつの間にか上がっていて、窓を開けると、濡れたアスファルトと金木犀の匂いがいっしょに入ってくる。路地の水たまりに、街灯が一つ、揺れながら映っていた。
自分の部屋に戻って、スマホを見る。通知が一件来ていた。
取引メッセージ。
あのイヤリングの落札者からだった。
『本日無事に届きました! 写真よりずっと可愛くて、びっくりしました。木の手触りがとても好きです。大切に使わせていただきます』
普通の、到着の連絡だ。
ほっとして、ベッドに倒れ込んだ。
もう一回、文面を読む。
木の手触りがとても好きです。
写真だけで決めて、即決で押して、届いてすぐにこれを書いてくれる人。どんな人なんだろう。僕より年上なのか、年下なのか。それすら分からない。
あの木目のところだ、と思う。息を止めて彫った、あの一か所の近く。
『お気に召していただけてよかったです。大切に使っていただけたら嬉しいです SHIN』
打ってからちょっと硬いかと思って、でも知らない人だしこれくらいでいいかと思って送った。
画面を閉じようとして、取引一覧の一番上に、あのイヤリングの写真が小さく残っているのに気づく。斜め下からライトを当てた一枚だ。
指で広げてみる。
右側の葉脈の、溝が太くなりかけたところが、写真でもちゃんと写っていた。




