第三話 ころ、と鳴る
本日3話目です。
入口のゲートにカードをかざすと、ぴっ、と軽い音が鳴る。
放課後のダンジョン前は、今日も混んでいる。
九月も終わりなのに、西日はまだ夏みたいに照りつけてくる。広場の石畳から、昼間の熱がゆらゆらと立ちのぼっていた。
ダンジョンの入口は、四角い石の門だ。地面から突き出すようにして立っていて、その周りを、あとから建てられたガラス張りの管理棟がぐるりと囲んでいる。門の石だけが妙に古びて見えて、新しい建物の中にぽつんと昔の物が置いてあるみたいだった。
管理棟の壁には、換金所の電光掲示板が掛かっている。魔石の買取価格が、株価みたいに少しずつ切り替わっていく。その下で、自販機が低くうなっていた。
制服の上から防具を着けた高校生、会社帰りらしいスーツの人、係員に何か聞いている親子連れ。売店の前には揚げたての串カツを待つ列までできている。
「アイカ、今日は串いらないの?」
「帰りに買う」
「えらい! 私は今食べる」
ユズが列に並ぼうとするのを、ナツメが襟をつかんで引き戻した。
「帰りに、みんなで。行くよ」
「えーっ」
大きな盾を背負ったユズは、引きずられながらもまだ串のほうを見ている。
その後ろでマオが弓の弦を指で弾いて、張り具合を確かめている。
更衣所で防具を着けながら、ユズはずっとしゃべっている。数学の小テストが思ったよりできた話と、駅前に新しくできたクレープ屋の話と、兄貴がまた盾を勝手に借りようとした話。マオは相づちの代わりにときどき弦を弾く。
アイカは新しいシューズの紐を結び直した。
この前の稼ぎで買ったやつだ。まだ底が硬くて、踏み込むと少しだけ床の感触が遠い。慣れるまで何回か潜らないといけない。
手袋をはめる前に、もう一度だけ左の手首を見る。
灰色に、少し緑。親指の先より一回り大きい、平たいドームの形をした石。
てっぺんの青い魔石から、細い輪が何重にも広がっている。その輪を、中心から裾へ走る細い線が数えきれないほど横切っていた。上からのぞくと、蜘蛛の巣に朝露が光っているみたいに見える。
昨日の夜から、これで何回目だろう。
机に置いて眺めて、写真を撮って、送ってから恥ずかしくなって、でも送ったものは消せなくて。朝は着けるかどうか迷って、結局着けた。探索のときは外そうと思っていたのに、今もまだ着けている。
手袋の袖口の下に、ブレスレットをそっとしまった。
当たらない。
裏がつるつるでどこも引っかからない。昨日、シンジが「石、骨に当たってない?」と聞いていたのを思い出す。
四人とも五層の階層主は倒しているから、クリスタルを持って入口のポータルに立てば、五層の先の階段から始めることもできる。でも、今日は小遣い稼ぎの日だ。浅い層を四人でしゃべりながら回るほうが、安全で、気楽で、串代くらいはちゃんと稼げる。
一層目はほとんど散歩だ。
入口の階段を下りきると、空気がひんやりと肌に貼りつく。雨上がりの神社の石段みたいな、湿った石の匂いがする。
通路は、大きな切り石を隙間なく積み上げた形をしている。誰かが積んだわけじゃない。30年前のある日、何の前触れもなく地面の下に現れたときから、もうこの姿だったらしい。壁の石には、すり減って読めなくなった模様がところどころ残っていた。手の届く高さのものほど、通る人になでられてつるつるになっている。
天井の継ぎ目には、誰かが取り付けたライトが等間隔に並んでいる。束ねたケーブルが壁の上のほうを這っていて、分かれ道ごとに矢印の看板と、層の番号を書いた金属の札が打ちつけてある。
足音が石に跳ね返って、少し遅れて戻ってくる。前を行くパーティーの笑い声が、角を曲がる前から聞こえていた。
すれ違う探索者たちと会釈を交わしながら、四人は二層目への階段を下りた。
段の真ん中だけが、たくさんの靴に削られて浅くくぼんでいる。手すりは後から付けた鉄パイプで、握ると冷たい。
二層目から、少しだけ空気が変わった。
ライトの間隔が広くなって、壁の継ぎ目から水がにじんでいる。石と石の隙間に、細い苔が線を引いたように生えていた。ライトとライトの間の暗がりに入ると、自分の息の音がやけに大きく聞こえる。
体が軽い。
ダンジョンの中に入ると、いつもそう感じる。
地上なら三歩かかる距離が二歩で詰まる。重いはずの剣が腕の延長みたいに動く。これまで潜ってきたぶん、中では体がちゃんと応えてくれる。外に出ると元に戻るのは少しだけもったいない。
「前、二匹」
マオが小さく言った。
半分崩れたアーチの向こうで、角ウサギが二匹、こっちに気づいて耳を立てている。
額の角はアイカの小指くらいの長さ。見た目はかわいいのに、あれが太ももに刺さるとものすごく痛い。去年ユズが身をもって証明した。
「ユズ、左」
「はーい、いらっしゃーい!」
ユズが盾を構えて一歩前に出ると、二匹とも盾のほうへ跳んだ。
がん、がん、と二回、硬い音。
その横から、アイカが踏み込む。
剣の柄の魔石に、魔力を通す。刃が薄く光る。
一匹目の首を払って、その勢いのまま足を返し、二匹目の着地に合わせて突いた。
終わり。
「はい、おつかれ」
ナツメが短杖を下ろしながら言った。
杖の先の魔石は使わないまま光を落としている。今日はまだ出番がない。
マオが素早く角を切り取って、腰の袋にしまった。魔石も取り出す。小さい。今日の夕飯の足しにもならないくらいだ。
歩き出したところで、ユズがアイカの横に並んだ。
「ねえねえ、それ!」
「なに」
「手袋の下、なんか着けてるでしょ? さっき光った!」
見られていた。
「……ブレスレット」
「え、見たい見たい!」
ユズが勝手にアイカの手袋の袖をめくろうとして、ナツメに頭を叩かれた。
「歩きながらやらない」
「一瞬だけ!」
アイカは自分で袖口をずらした。
ユズとナツメが同時にのぞき込む。後ろのマオまで首を伸ばしている。
「うわ、細か! 何これ、彫ってあるの?」
「うん」
「どこで買ったの?」
「買ってない」
「え?」
「シンジの。練習で作ったやつ」
三人が一瞬だけ顔を見合わせた。
「あー」
「なるほどね」
「へえ」
三人とも、それ以上は何も言わない。
言わないのに全部伝わっている気がして、アイカは袖口を元に戻した。
気づくと右手の指が、手袋の上からブレスレットの形をなぞっている。
あわてて剣の柄を握り直した。
三層目の奥で、鉄尾トカゲに出くわした。
天井の高い広間のような場所だった。太い石の柱が何本も並んでいて、そのうちの何本かは途中から折れて、床に転がっている。ライトは入口に一つあるだけで、奥のほうは薄暗い。
広間の床には、細かい砂が薄く積もっている。歩くたびに、靴の下でかすかに鳴った。折れた柱の断面は驚くほどなめらかで、ナイフで切ったチーズみたいに見える。
名前のとおり、尻尾が鉄みたいに硬いトカゲだ。体はアイカの背丈くらい。動きは遅いけれど、尻尾の一振りが重い。
まともに受けると盾ごと持っていかれる。いつもはユズが盾の角度で流し、ナツメが氷で足を止める。その隙に、アイカとマオで仕留める。
「いつもの感じで」
ナツメの声に、全員がうなずいた。
ユズが正面に立つ。トカゲが尻尾を振る。
ユズは盾を斜めに傾けて、尻尾を上へ逃がす。金属同士がこすれるような、嫌な音が広間に響いた。
「ナツメ!」
「はいよ」
ナツメの短杖の先が光る。
トカゲの足元に、細い氷の筋が走って、前足が一瞬だけ床に貼りつく。
アイカが踏み込む。
一太刀目は硬い鱗に弾かれた。浅い。
二太刀目を入れようとした、そのとき。
トカゲの体が思ったより大きくねじれる。
尻尾がユズの盾の外側を回り込んでくる。
狙いは盾の陰から一歩出ていたナツメだ。
間に合わない、と思うより先にアイカの体が動いている。
ナツメの前に滑り込んで、左腕を上げた。
受け流す角度を作る時間はない。
正面から来る。
腕の骨がきしむのを覚悟して、歯を食いしばる。
ごん、と鈍い音がする。
痛くない。
目の前に、灰色の壁がある。
アイカの左腕の前に、いつの間にか厚みのある石の板が立っている。
尻尾はその石にめり込むようにして止まっていて、石の表面から細かい粉がぱらぱら落ちている。
「えっ」
四人分の声が重なった。
石の板はアイカの手首のあたりから生えるように立っている。
その手首の上で、ブレスレットの魔石がうっすらと光っている。
そのとき、耳のすぐそばで小さな音がした。
小石が坂を転がっていくような、ころころした音。
思わず手首を見下ろす。
魔石の上に、何かが座っていた。
親指の先くらいの、灰色の丸いもの。短いこぶみたいな手が二本と、点みたいな目が二つ。体の表面には、ブレスレットと同じ細い線がうっすらと浮いている。
丸いのは短い手を片方持ち上げて、石の板を指した。
それから自分の胸のあたりを、ぽんぽんと叩く。
アイカは瞬きをした。
消えない。
トカゲも、何が起きたのか分からないらしい。尻尾を引き戻して、首をかしげている。
「アイカ、今!」
マオの声で我に返った。
石の板の横から飛び出して、動きの止まったトカゲの首元へ剣を入れる。
今度は鱗の隙間に刃が入る。マオの矢が目に刺さる。
トカゲが倒れた。
しばらく、誰も何も言わない。
アイカが左腕を下ろすと、石の板はさらさらと崩れて床の上で砂になる。
砂もすぐに見えなくなる。
「……今の、何?」
ユズが盾を下ろしながら言った。
「アイカの魔道具、防御の効果とか付いてた?」
「知らない。付いてないと思う」
「思うって!」
ナツメがアイカの左手首を取って、手袋の袖をめくった。
ブレスレットの魔石はもう光っていない。
「魔道具の効果にしては、でかすぎない? あんなの、盾の魔道具でも出ないよ!」
ナツメの言うとおりだった。
ユズの盾にも衝撃を和らげる魔道具の仕掛けが入っている。それでもあの尻尾は正面からは受けられない。だから毎回角度で流している。
さっきのは正面から止めた。
それも、止めただけじゃない。受けた石のほうがびくともしなかった。
そのとき、また耳のすぐそばで、ころ、と音がした。
アイカは周りを見た。ユズは盾の留め具を確かめていて、マオは通路の奥をにらんでいて、ナツメはスマホで何かを調べ始めている。誰も、今の音に顔を上げない。
手首を見下ろすと、さっきの丸いのが、また魔石の上に座っていた。
見間違いじゃなかった。
丸いのはアイカを見上げて、さっきと同じ仕草をくり返した。
私がやった、って言ってる?
「アイカ? どうしたの、固まってるけど」
ナツメの声に顔を上げて、もう一度手首を見ると、丸いのはもういない。
魔石がほんのり光っているだけだ。
「今、ここに、何かいた」
言いながら、自分でも変なことを言っていると思う。
アイカは見たものを、そのまま話した。
親指くらいの、灰色の丸いのがいたこと。ブレスレットと同じ線が体にあったこと。壁のほうを指して、自分の胸を叩いたこと。耳元で小石が転がるような音がしたこと。
ユズとマオがナツメのほうを見た。
「それってさ」
ナツメがゆっくり言う。
「神様、じゃない?」
神様。
小学校の遠足で行った神社に、依代だっていう古い鏡が飾ってあった。ガラスケース越しに見ても、ただの曇った鏡にしか見えなかった。
あれとこの石が、同じものなんだろうか。
「でも、これ、シンジが練習で」
「練習で作ったやつに、入っちゃったんじゃないの」
ユズがなぜか小声で言った。
アイカは左手首を顔の前まで持ち上げた。
「……いるの?」
返事はない。
と思ったら、魔石の奥でまた小さく、ころ、と鳴る。
返事のつもりらしい。
「もう一回、さっきの、できる?」
ころころ。
魔石が光る。
でも、何も起きない。
魔石から、さっきの丸いのが半分だけ顔を出した。
短い手をぐるぐる回して、それから広間の隅に転がっている石を指す。天井から落ちてきたらしい、腰の高さくらいの角の欠けた切り石だ。石を指して、自分を指して、また石を指す。
「あの石に、座りたいの?」
丸いのは体ごと左右に揺れた。首がないから、それで首を振っているつもりらしい。
「石が、好き?」
もっと大きく揺れる。
後ろでユズが盾に顔を押しつけて笑いをこらえている。
「アイカ、通じてる?」
「全然」
丸いのはもどかしそうに両手をぱたぱたさせる。
今度はアイカの手のひらを指して、それから切り石を指して、最後に両手をぱっと開く。
ぶつけろ、ってこと?
アイカは半信半疑で、左手を切り石に向けた。
ぶつけたい。
そう思った瞬間、手首のあたりがほんのりあたたかくなる。
手のひらの前に、こぶしくらいの石の塊が浮かぶ。
次の瞬間にはもう切り石に届いている。
がしゃん、と大きな音が広間じゅうに響いて、切り石の上半分が砕け散った。
破片が広間の床を跳ねて、折れた柱の陰まで転がっていく。
誰も、しばらく声が出ない。
手首の上で丸いのが両手を上げて、ぴょんぴょん跳ねている。
これはアイカにも分かる。喜んでいる。
「うわあ……」
最初に声を出したのは、マオだった。
普段ほとんどしゃべらないマオが、弓を握ったまま砕けた切り石を見ている。
「私の矢、あれの何本分?」
「数えないほうがいいよ」
ナツメが珍しくため息まじりに言った。
「ねえねえ、さっきの壁は!? 壁も、もう一回出せる?」
ユズが目を輝かせている。
アイカは手首を見る。
丸いのは跳ねるのをやめて、アイカの顔をじっと見上げている。何か言いたそうな顔だ。顔、と呼んでいいのか怪しいけれど。
さっきはナツメを守らなきゃと思った。
それなら。
アイカは左腕を胸の前に上げて、守りたい、と思う。
腕の前に、さっきと同じ石の板が音もなく立ち上がった。
ユズが近寄って、盾の縁で石をこんこんと叩く。それからちょっと強めに、がん、と打ちつける。
「硬っ! え、硬っ!」
「ユズの盾の魔道具より?」
「比べものにならない! 私の盾、泣いてる!」
ユズはわざと大げさに、盾を抱きしめてみせた。
アイカが腕を下ろすと、石は砂になって消える。
手首の上の丸いのが満足そうに、ころ、と鳴る。
それからするりと魔石の中へ引っ込んでいった。
アイカは自分の左手を見る。
手のひらはいつもと同じだ。ちょっと汗ばんでいるだけ。
「あのさ」
魔石に向かって、小さく言う。
「名前、ある?」
魔石は光らない。
「……これを作った人は、知ってるの。あなたが、入ってること」
やっぱり、返事はない。
しばらく待って、ようやく一回だけ、ころ、と鳴る。
はいなのか、いいえなのか。
アイカは少し考えて、考えるのをやめる。
アイカはブレスレットを見下ろす。
練習で作ったやつ、とシンジは言った。
いつもの、ちょっと照れたときの早口で。
知っていて、あんな言い方をしたんだろうか。
それとも、本当に何も知らないんだろうか。
知らないと思う。
シンジはそういうのを隠せる人じゃない。
昨日アイカが言えたのは「ありがとう」の一言だけだった。
本当は「きれい」と言いたかった。
口を開いたら「細かい」が出てきて、自分でもなんでそっちなんだと思った。
今日は何から言えばいいんだろう。
「アイカ」
ナツメがスマホの時計を見ながら言った。
「今日はここで上がろう。これ、ちゃんと確認したほうがいい」
「うん」
四人で、さっき下りてきた階段まで戻ることにした。階段の踊り場には、帰還用のポータルがある。
階段へ向かう途中、ユズが後ろからアイカの肩に顎をのせてくる。
「ねえねえ。これ、三灯原くんに言う?」
「言う」
「今日!?」
「今日」
即答したアイカに、ユズがにやっと笑った。
アイカはその顔を見ないようにして歩く。
踊り場の床に埋め込まれた石の円が、淡く光っている。四人でその上に立つと、足元の光がゆっくり強くなって、視界が白くなった。
光が引くと、四人は入口の石の門の内側に立っていた。ひんやりした石の匂いの中に、門の外から、生ぬるい空気と売店の串の匂いが流れ込んでくる。
ゲートを抜けると、空はもう茜色から紺に変わりかけていた。管理棟の外の植え込みで、虫が鳴いている。
「あっ、串!」
ユズが言う。
「約束だから」
ナツメが財布を出した。
四人分の串を待つあいだ、アイカはもう一度だけ手袋の袖口をずらす。
石はもう光っていない。
普通の、灰色に少し緑の、きれいな石に見える。
さっきの丸いのは中で寝ているのか、どこかへ出かけたのか。
串をかじりながら、スマホを出す。
シンジとのトーク画面の一番下に、昨日の夜のメッセージが残っている。
『きつかったら言って。直すから』
既読のまま、返事をしていない。
あのときは何を返しても、嬉しいのがばれる気がした。
アイカは少し考えてから、短く打った。
『今から行く。話ある』
送信してから、串の残りを口に押し込む。
「アイカ、ソースついてる」
マオに言われて、あわてて口の端を拭いた。




