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端材の神様 〜魔道具職人見習いの練習作品は、なぜか依代になる〜  作者: ヅダスキー3世
第一章 作業台の上の神様

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第二話 このままでいい

 ポケットの中で、指が紙袋の角に触れる。

 朝、家を出るときに、なんとなく入れてきた。中身はまだ空っぽで、肝心のブレスレットは家の作業台の上だ。帰ったら仕上げて、それから。

 

 四時間目の終わりのチャイムが鳴ると同時に、前の席の男子が振り返る。

 

「三灯原、購買行く?」

 

「今日は弁当」

 

「裏切り者」

 

 何が裏切りなのかはよく分からないまま、そいつは財布を握って教室を飛び出していく。

 

 窓の外の空が、夏よりずいぶん高い。グラウンドでは、どこかのクラスが体育祭の大縄跳びの練習をしていて、数を数える声が切れ切れに聞こえてくる。

 

 黒板には、四時間目の数学の式が消し残されている。日直が消し忘れたらしい。教室じゅうに、誰かの唐揚げと、誰かのカップ麺の匂いが混ざっていた。

 

 窓際の後ろのほうでは、アイカがいつもの三人と机をくっつけている。

 パーティーを組んでいる、同じクラスの女子たちだ。スマホの画面をのぞき込んで、次に潜る日の相談でもしているらしい。アイカはほとんどしゃべらずに、ときどき短く何か言って、ほかの三人がそれに笑う。

 

 弁当のふたを開けると、じいちゃんが詰めた卵焼きが斜めに滑っている。

 

 じいちゃんの卵焼きは甘い。ばあちゃんの味をまねしているらしいけど、ばあちゃんのより少しだけ砂糖が多い。本人は気づいていないと思う。

 言ったほうがいいのかどうか、もう何年も迷っている。

 

 窓際から、椅子を引く音がする。

 アイカたちが弁当を片付けて、四人で廊下へ出ていく。通りすぎるとき、アイカの目が一瞬だけこっちの机に落ちる。

 

 卵焼き、見られたかな。

 

 放課後の廊下は、西日で床が飴色に光っている。窓の外からは、野球部の金属バットの音と、吹奏楽部の音階練習が、交互に聞こえてくる。

 

 放課後、廊下でアイカとすれ違う。

 

「シンジ」

 

「おう」

 

「昨日の、プリン。サキさんにお礼言っといて」

 

「言っといた」

 

「そう」

 

 それで終わる。

 アイカは仲間の三人と一緒に昇降口のほうへ歩いていく。今日は潜らない日なのか、全員制服のままだ。

 

 僕はポケットの中の紙袋を、もう一回だけ指でつまむ。

 

 帰り道、どこかの庭の金木犀がもう咲き始めていた。角を曲がるたびに、甘い匂いが濃くなったり薄くなったりする。

 

 工房までは、駅の裏から古い商店街を抜けていく。シャッターの下りた店と、まだ開いている店が交互に並んでいて、八百屋の店先には梨とぶどうが山になっていた。

 商店街の終わりで一本路地に入ると、急に車の音が遠くなる。その突き当たりに、屋根瓦の黒い二階建てがある。一階の通りに面した側が店で、奥に作業場が続いている。看板は出ていない。知っている人だけが来る店だ。

 

 工房に帰ると、じいちゃんの作業台で、昨日の胸当てが布の上に広げてある。

 樹脂はきれいに固まっていて、作業灯の光をつるりと返している。

 

「おかえり。手を洗っておいで」

 

「ただいま」

 

 手を洗って戻ると、じいちゃんが胸当てを持ち上げて、裏から作業灯に透かしている。

 

「シンジ、これを表の棚に。明日の10時にお見えになる方の分だよ」

 

「はーい」

 

 胸当てを布で包んで、店の表へ運ぶ。

 受付ではサキさんが電話をしていて、受話器を肩に挟んだまま、棚の一番上を指さしてくれる。札の名前の横に、明日の日付。そこに置いて、作業場へ戻る。

 

 じいちゃんはもう、次の品に取りかかっている。布をかぶせてあった何かは、細長い杖の頭だったらしい。

 僕は自分の作業台に座る。

 

 工具箱の陰から、石と破片を出す。

 

 ゆうべ角を消した裏側を、指の腹でもう一度なぞる。平らだ。

 

 樹脂を掛ける前に、溝の掃除をする。昨日削ったまま寝かせたから、溝の底に白い粉がうっすら貼りついていた。細い溝だと、このくらいでも流れが鈍くなる。

 柔らかい毛の筆で粉をかき出して、残ったところはアルコールを含ませた綿棒でそっと拭く。石の溝は深いから奥まで、魔石の溝は浅いから、なでるだけ。

 

 破片をくぼみに仮に置いて、魔力を流す。昨日直した左の線も、ほかの線も、全部すっと抜けていった。

 

 破片の裏に接着剤をほんの少しだけのせて、くぼみに落とす。

 すとん、と入る。はみ出した分を、つまようじの先で拭き取る。

 

 接着剤が落ち着くのを待つ間に、腕に巻く部分を用意する。

 引き出しから、平たい革紐を二本出す。靴紐を細く薄くしたような、幅の狭いレザーレースだ。

 それぞれを真ん中で折り返すと、四本の帯になる。折り返した輪を楕円の両端の穴に一つずつ通して、そこから先を編んでいく。

 

 平四つ編み。四本のうち、いちばん外側の一本を、隣を越えて内側へ。反対側の外側も、同じように内側へ。

 革は表と裏で手触りが違う。表のなめらかな面がいつも上に来るように、一本ずつ指先でひねりを直しながら重ねていく。少しでも引く力が偏ると、編み目が片側だけ詰まって、帯がゆるく曲がる。

 

 編み目が、麦の穂みたいに並んでいく。

 指でなぞると平らで、角がない。これなら、手首の内側に当たっても痛くない。

 

 両端には、小さな留め金を付ける。

 留め金の表には、昨日のうちに模様を入れておいた。細い鏨を金槌で軽く打って、刃の角を少しずつ蹴り進める、蹴彫りという彫り方だ。打った跡が小さなくさび形の点になって、それが連なって線になる。

 石の同心円に合わせて、波が寄せては返すような曲線を三本。作業灯の下で傾けると、点の一つ一つが光を拾って、細い波がきらきら揺れて見えた。

 

 アイカの手首の太さは、昨日なんとなく見て覚えた、ような気がする。

 ……いや、たぶん合ってるはず。念のため、編み帯の長さは少しだけ余裕を持たせておく。

 

「じいちゃん、UVのランプ借りていい?」

 

「いいよ。右の引き出しの二段目だね」

 

 じいちゃんは杖の頭から目を離さずに答える。

 

 樹脂は、透明なやつを使う。

 石の表面の溝に沿って、ごく薄く伸ばす。溝を埋めるんじゃなくて、模様の上に薄い膜を一枚張るくらい。厚く盛ると、せっかくの彫りがぼやけて見える。

 

 泡が一つ、溝の角に残っている。

 針の先でつついて、消す。

 

 ランプの下に置いて、スイッチを入れる。紫っぽい光が作業台を照らす。

 

 待つ。

 

 この待ち時間が、いつも少し苦手だ。

 手を動かせないから、余計なことを考える。たとえば、これを渡したら、アイカはどんな顔をするか、とか。

 

 たぶん、特に何も言わない。

 アイカは昔から、いいものをもらっても「ありがとう」の一言で終わる。小学生のころ、じいちゃんが作った鈴付きのキーホルダーをもらったときもそうだった。あれ、まだランドセルに付いていた気がする。

 

 ランプが消える。

 

 爪の先で軽くつついてみる。固まっている。

 二回目を、もっと薄く重ねる。今度は石の縁から魔石の縁まで、全部。

 

 もう一回、待つ。

 

 二回目が固まったところで、検査機の端子を当てて、魔力を流す。

 通る、と出る。

 

 それから、端子を外して、自分の指で流し直す。

 樹脂の膜の下で、線がちゃんとつながっている。重さもない。膜一枚ぶん、流れが少しだけ遠く感じるけど、それだけだ。

 

 次に、手首の内側に当ててみる。

 裏側はどこも引っかからない。編み帯を回して留め金を留めると、石が手首の上でちょうど平らに座る。

 

 外して、作業灯の下で回してみる。

 

 灰色の中に、ほんのり緑。

 てっぺんの青い魔石を中心に、同心円の輪が裾まで何重にも広がっている。その輪を、中心から放射状に伸びる細い線がびっしりと横切っている。樹脂の膜のせいで、線の一本一本が少しだけ光って見える。

 

 ……あれ。

 

 これ、けっこう、いいんじゃないか。

 

 自分で作ったものを、そう思ったのは初めてかもしれない。

 いつもはどこか一か所、あとからあとから気になるところが見つかる。今は、どこを見ても、それがない。

 

「できたのかい」

 

 いつの間にか、じいちゃんがこっちを見ている。

 

「たぶん」

 

「たぶん、ね」

 

 じいちゃんは笑っただけで、手を伸ばしてこない。

 見せてとも言わない。僕が見せないのを、分かっているみたいに。

 

 紙袋をポケットから出して、ブレスレットを入れる。

 中でころんと転がる音が、やけに大きい。

 

 勝手口が鳴ったのは、それから30分くらいしてからだ。

 

「こんにちは」

 

 制服のままのアイカが、顔を出す。

 廊下で話したときと同じ格好で、肩口のボブが風で少しだけ乱れている。

 開いた勝手口の向こうは夕焼けで、金木犀の匂いが一緒に入ってきた。

 

「あれ、今日潜らないんじゃ」

 

「潜らない。通っただけ」

 

 アイカはそう言って、いつもの丸椅子に座る。

 通っただけ、にしては、ちゃんと座る。

 

 じいちゃんは、いつの間にか表のほうへ行っている。

 店のほうから、サキさんと誰かの話し声がかすかに聞こえる。

 

 作業場に、僕とアイカだけ。

 

 ポケットの中で、紙袋がかさっと鳴る。

 じいちゃんは表で、サキさんも表だ。

 

「これ」

 

 気づいたら、紙袋を突き出している。

 

「練習で作ったやつ。よかったら」

 

 アイカは紙袋を見て、それから僕の顔を見る。

 受け取って、中をのぞく。

 

 指で、そっとつまみ出す。

 

 作業灯の光の下で、アイカはブレスレットをしばらく見ている。

 表を見て、裏を返して、また表を見る。魔石から放射状に伸びる線の一本を爪の先でたどろうとして、触れる直前でやめる。

 

「これ、彫ったの」

 

「うん」

 

「全部?」

 

「全部」

 

 アイカはもう一度、石に顔を近づける。

 

「細かい」

 

 それだけ言って、また黙る。

 

 長い。

 色、やっぱり地味だったかもしれない。

 

「……ありがとう」

 

 小さい声だった。

 それだけ言って、アイカはまたブレスレットに目を落とす。

 

 いつもどおりの、一言。

 分かってたはずなのに、ちょっとだけ肩の力が抜ける。

 

 アイカは編み帯を手首に回して、留め金を留めようとする。

 片手だと、うまくいかない。二回、三回と、金具の先が輪の横を滑る。

 

「貸して」

 

 言い終わる前に、アイカはもう手首をこっちに出している。

 

 留め金をつまむ。

 アイカの手首の内側に、指の背が少しだけ触れる。思ったより細くて、あったかい。

 

 留まる。

 

「きつくない?」

 

「平気」

 

「石、骨に当たってない?」

 

「当たってない」

 

 アイカは手首を返したり、握ったり開いたりしている。

 石は、手首の上でちゃんと平らに座っている。

 

「長さ、もうちょい詰めたほうがいいかも。ここ、ちょっと遊んでる」

 

「このままでいい」

 

「そう?」

 

「うん」

 

 アイカは僕のほうを見ないで答える。

 視線は、手首の上だ。

 

 それから、急に立ち上がる。

 

「帰る」

 

「え、もう?」

 

「宿題ある」

 

 さっき通っただけって言ってたのに。

 

 勝手口に手をかけたところで、アイカは一度だけ振り返る。

 

「シンジ」

 

「なに」

 

「……また明日」

 

「うん。また明日」

 

 扉が閉まる直前、アイカが手首を目の高さまで上げる。夕方の光で、石が少し明るい色になる。

 

 じいちゃんが表から戻ってきたのは、そのすぐあとだ。

 僕の空になった紙袋と、閉まった勝手口を見て、何か言いかけて、やめる。

 

「夕飯、何がいいかい」

 

「……なんでもいい」

 

「そうかい」

 

 じいちゃんは、それ以上何も聞かない。

 僕は空の紙袋を丸めて、ゴミ箱に放る。縁に当たって、床に落ちる。

 

 夕飯のあと、自分の部屋の机に白い画用紙を広げる。

 

 僕の部屋は、工房の二階の、通りに面した六畳だ。窓の下を、ときどき自転車のライトが通り過ぎていく。

 本棚の一段は、失敗作の置き場になっている。線が途中で割れた魔石、削りすぎて薄くなった石、模様の向きを間違えた真鍮の板。捨てられずに、薄紙にくるんで並べてある。

 窓を少し開けると、鈴虫の声と、まだほんのりぬるい夜の空気が入ってくる。

 

 並べるのは、練習で作ったものの残り。

 どれも、アイカのブレスレットより前に作ったものだ。

 魔石と木を組み合わせた、木の葉の形の片耳イヤリング。小さなペンダントトップが一つ。髪留めが一つ。

 全部、端材の魔石と、その周りに彫った模様でできている。

 

 スマホのライトを横から当てて、写真を撮る。

 上から一枚。斜めから一枚。模様が見えるように、ぐっと近寄って一枚。

 

 イヤリングの木は、じいちゃんが杖の柄を削ったときに出た切れ端だ。

 木目がきれいだったから、桜の葉みたいな形に削り出して、付け根の魔石から葉先へ葉脈を彫った。葉脈がそのまま回路になっている。ニスを何度も重ねたら、最後は飴色になった。

 片耳にしたのは、一対にすると左右で模様をそろえるのが大変だったからで、それ以上の理由はない。

 

 そのイヤリングは、写真が難しい。

 正面からだとのっぺりして、彫った線が全然写らない。斜め下からライトを当てると、溝の影がくっきり出る。これだ。

 

 十何枚撮って、三枚ずつ残す。

 

 いつものオークションサイトを開く。

 出品者の欄には、昔、登録するときに適当に決めたIDが出ている。

 

 SHIN。

 

 シンジのシン。ほかに思いつかなかった。

 取引するときも、相手に分かるのはこのIDだけで、本名も住所も、学校も工房も出ない。それが気楽で、ずっとこのサイトを使っている。

 

 説明文には、いつもどおり材料と大きさだけを書く。

 

 魔石(端材)と木材の、木の葉形の片耳イヤリング。手彫りの葉脈模様入り。

 ニス仕上げ。大きさは縦22mm、横14mm。

 

 魔石が入っているのは、魔道具の練習だから当たり前だ。

 でも、こんな爪の先みたいな欠片じゃ、魔力は通っても何の効果も出ない。ダンジョンの中でも、ただの飾りだ。お守りみたいなものだと思う。見た目が気に入った人が、普段着けてくれればそれでいい。

 

 売れたお金は、だいたいビットと砥石に消える。

 それで次の練習ができるなら、ちょうどいい。

 

 三つ出品し終えたところで、スマホが震える。

 

 アイカからだ。

 

 写真が一枚。

 机の上に置いた手首。その上に、ブレスレット。部屋の明かりで、石がさっきより少し黄色っぽく見える。

 

 その下に、一行だけ。

 

 『ありがとう』

 

 ……二回目だ。

 

 返事を打つ。

 「どういたしまして」は硬すぎて消して、「似合ってる」まで打ったところで、手首しか写ってない写真に似合ってるもないだろと思って、また消す。

 

 『きつかったら言って。直すから』

 

 結局、いちばん普通のやつになる。

 送信する前に、もう一回だけ写真を見る。

 

 手首の角度が、ちょっとだけ石がきれいに見える向きになっている。たまたまだと思う。

 

 送信。

 

 既読がつく前に、画面の上に別の通知が出る。

 

 『出品中の商品に入札がありました』

 

 片耳のイヤリングだ。

 出してから、まだ十分も経っていない。

 

 へえ、と思う。

 誰が買うんだろう。耳に着けて、鏡を見たりするんだろうか。

 

 スマホを伏せて、机の端の画用紙を片付ける。

 それから、もう一回だけスマホを表に返す。アイカからの返事は来ていない。既読はついている。

 

 下から、じいちゃんが風呂が空いたよと呼ぶ。


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